私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の72歳の老ボーイの身であるが、
私は農家の児として長兄、次兄に続いて三男坊として生を受け、そして妹ふたりの間に育ち、
長年サンドイッチのような中で、過ごしてきた。
やがて小学2年生の頃から、父の妹である叔母が未婚だった当時、
都心に住んでいる友人が来宅して、私は言葉、しぐさ、表情にに魅了されて、
素敵なお姉さん・・と感じたりして以来、何かしら女性に憧憬を深めたりしてきた・・。

そして確か1954年(昭和29年)の秋、小学4年生だった私たち生徒は、
先生に引率され学年別に指定された日に電車に乗り、
京王線の布田駅の近くの映画館で、木下惠介・監督の『二十四の瞳』を観賞した・・。
そして、ストーリーも完全に理解できない私は、数多くのシーンで涙を浮かべたりしていた。
この映画で何よりも心を震わせ、感極まって涙を流したのは、
敗戦後の恩師の大石先生(高峰秀子さん)の教員復職の祝賀会を成人した生徒が開き、
戦争で失明した磯吉(田村高廣さん)が、一年生の時に先生と生徒12名の記念写真を指差しながら、
生徒全員の位置を示すシーンであった。
そして、この時に廊下に立っていた成人した生徒の女性(月丘夢路さん)が
『浜辺の歌』を唄うシーンであった。
こうした時、月丘夢路さんのしぐさ、表情を観たりして、綺麗なお姉さん・・と
と見惚(みと)れたりしていた。

私は幼年期に農家の児として育てられた為か、父の妹である叔母が畑の一角に、花壇を作り、
仏様とかお墓にささげる花を見たりしてきたので、里花には愛惜を秘めているひとりである。
或いは田圃(たんぼ)とか遊歩道の片隅に咲いている野花も恋しく、長年に見惚(みと)れたりしている。
そして家内は中学生の頃から茶事を習ってきたので、私は婚約の頃から茶花を教えられて、
魅了されたりしてきた・・。
このように里花、野花、茶花に関しては、少しばかり知っているが、
洋花に関しては、殆ど無知な男である。

こうした中で、薔薇(バラ)の花に関しては、何かしら気品のある女性が高価なドレスを召したような、
或いは裕福な家庭で育っている高嶺の花のような女性と感じたり、
私は定年退職した60歳の頃まで、近寄りがたく気後(きおく)れしまい敬遠してきた・・。
そして何かと卑屈と劣等感を秘めてきた私でも、
遅ればせながらイギリス、フランスなどの文化を知る為には、
やはり薔薇(バラ)は欠かせない、と確信を深めたりした。
やがて年金生活の60代に国内旅行で『バラ園』があった時、鑑賞する時もあったりし、
私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、恒例の『春のバラフェスタ 』、『秋のバラフェスタ 』などで、
数多くの美麗な薔薇(バラ)を鑑賞して、感性の衰えた私でも、魅了された。
こうした中、昨年の秋、家内が独り住まい家内の母宅に介護で、3泊4日で出かけた間、
『おひとりさま』となってしまった私は、『秋のバラフェスタ 』が開催中に訪れたりした。

やがてバラ園に着くと、お待ちしていましたわょ、と微笑まれたような
数多くの麗(うるわ)しきバラに、めぐり逢えた・・。
それぞれのバラの花形が美しく、やはり高貴な女性の容姿だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
私は下男のように跪(ひざまず)いて、撮ったりした。

周辺にいる私と同世代の10数人は、カメラの愛好家にふさわしく、
一眼レフの中でも高価なカメラ、レンズを使用して、撮られたりしていた。
私の所有しているコンバクト・デジカメの性能、そしてデジカメの技量の乏しい私は、
せめてバラに魅了された若葉マークのような初心者として、
心の思いは誰よりも・・、と思いながら20数枚を撮ったりした。
こうした中で、恥ずかしながら少しポケてしまった写真は3枚もあったりしたが、
こうしたことは高貴の女性の前では、私は幾つになっても、オドオドしてしまい平常心をなくしていた、
と後で気付いたりして、独り苦笑をしたりしたた。
このように一時間半ばかり、麗(うる)しい数多くのバラに、
綺麗な高嶺の人、と思い深めて過ごし、やがて高揚しながら帰宅に向かった。

今年の5月下旬、『春のバラフェスタ 』開催中に訪れ、やはり人出が多い中、私は鑑賞しながら撮ったりしたが、
少し疲れを関して、ベンチが並んでいる中、ひとつのベンチに腰を下ろした。

やがてひとりの70代と思われるご婦人が、私の隣に座られて、
この御方が瀬戸内寂聴さんが改名する前の晴美さんの時に上梓されたひとつ『美は乱調にあり』の本が、
たまたま私が見えて、良き作品をお読みなさっていますねぇ・・と私は言ったりした。
そして私は東京オリンピツクが開催された当時、瀬戸内晴美さんの『夏の終り』は、知人などに絶賛したひとりです、
と私はこの御方に言った後、この当時の作家たちの作品、或いは映画、風俗など、
一時間ばかり語りあったりした、
やがて私は隣接した深大寺で鐘を撞(つ)く音色を近くて見たく、辞する時に、
『久々に楽しい時間を過ごせまして・・』と私はこの御方に言ったりした。
『わたしこそ、懐かしく深みのあるお話ができて、充実したお時間を過ごさせて、感謝ですわ・・』
とこの御方は私に言ったりした。
昨日、『春のバラフェスタ 』が今週の土曜日から開催されると知っているが、
やはり開催中は人出の多い中、ゆっくりと鑑賞が出来ないと思われて、私は訪れた。
そしてバラ園で数多くのそれぞれの美麗な花を鑑賞した・・。
やがて魅了された花に、一期一会のような思いで、デジカメで撮ったりした。

このように私は、薔薇(バラ)に関しても、殆ど無知な身であるが、
感性の衰えた老ボーイの私でも、遅ればせながら年金生活の中、高貴な花の魅力は少しだけ判ってきた、
と独り微笑んだりしている。
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私は農家の児として長兄、次兄に続いて三男坊として生を受け、そして妹ふたりの間に育ち、
長年サンドイッチのような中で、過ごしてきた。
やがて小学2年生の頃から、父の妹である叔母が未婚だった当時、
都心に住んでいる友人が来宅して、私は言葉、しぐさ、表情にに魅了されて、
素敵なお姉さん・・と感じたりして以来、何かしら女性に憧憬を深めたりしてきた・・。

そして確か1954年(昭和29年)の秋、小学4年生だった私たち生徒は、
先生に引率され学年別に指定された日に電車に乗り、
京王線の布田駅の近くの映画館で、木下惠介・監督の『二十四の瞳』を観賞した・・。
そして、ストーリーも完全に理解できない私は、数多くのシーンで涙を浮かべたりしていた。
この映画で何よりも心を震わせ、感極まって涙を流したのは、
敗戦後の恩師の大石先生(高峰秀子さん)の教員復職の祝賀会を成人した生徒が開き、
戦争で失明した磯吉(田村高廣さん)が、一年生の時に先生と生徒12名の記念写真を指差しながら、
生徒全員の位置を示すシーンであった。
そして、この時に廊下に立っていた成人した生徒の女性(月丘夢路さん)が
『浜辺の歌』を唄うシーンであった。
こうした時、月丘夢路さんのしぐさ、表情を観たりして、綺麗なお姉さん・・と
と見惚(みと)れたりしていた。

私は幼年期に農家の児として育てられた為か、父の妹である叔母が畑の一角に、花壇を作り、
仏様とかお墓にささげる花を見たりしてきたので、里花には愛惜を秘めているひとりである。
或いは田圃(たんぼ)とか遊歩道の片隅に咲いている野花も恋しく、長年に見惚(みと)れたりしている。
そして家内は中学生の頃から茶事を習ってきたので、私は婚約の頃から茶花を教えられて、
魅了されたりしてきた・・。
このように里花、野花、茶花に関しては、少しばかり知っているが、
洋花に関しては、殆ど無知な男である。

こうした中で、薔薇(バラ)の花に関しては、何かしら気品のある女性が高価なドレスを召したような、
或いは裕福な家庭で育っている高嶺の花のような女性と感じたり、
私は定年退職した60歳の頃まで、近寄りがたく気後(きおく)れしまい敬遠してきた・・。
そして何かと卑屈と劣等感を秘めてきた私でも、
遅ればせながらイギリス、フランスなどの文化を知る為には、
やはり薔薇(バラ)は欠かせない、と確信を深めたりした。
やがて年金生活の60代に国内旅行で『バラ園』があった時、鑑賞する時もあったりし、
私の住む地域の都立『神代植物公園』に於いて、恒例の『春のバラフェスタ 』、『秋のバラフェスタ 』などで、
数多くの美麗な薔薇(バラ)を鑑賞して、感性の衰えた私でも、魅了された。
こうした中、昨年の秋、家内が独り住まい家内の母宅に介護で、3泊4日で出かけた間、
『おひとりさま』となってしまった私は、『秋のバラフェスタ 』が開催中に訪れたりした。

やがてバラ園に着くと、お待ちしていましたわょ、と微笑まれたような
数多くの麗(うるわ)しきバラに、めぐり逢えた・・。
それぞれのバラの花形が美しく、やはり高貴な女性の容姿だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、
私は下男のように跪(ひざまず)いて、撮ったりした。

周辺にいる私と同世代の10数人は、カメラの愛好家にふさわしく、
一眼レフの中でも高価なカメラ、レンズを使用して、撮られたりしていた。
私の所有しているコンバクト・デジカメの性能、そしてデジカメの技量の乏しい私は、
せめてバラに魅了された若葉マークのような初心者として、
心の思いは誰よりも・・、と思いながら20数枚を撮ったりした。

こうした中で、恥ずかしながら少しポケてしまった写真は3枚もあったりしたが、
こうしたことは高貴の女性の前では、私は幾つになっても、オドオドしてしまい平常心をなくしていた、
と後で気付いたりして、独り苦笑をしたりしたた。

このように一時間半ばかり、麗(うる)しい数多くのバラに、
綺麗な高嶺の人、と思い深めて過ごし、やがて高揚しながら帰宅に向かった。

今年の5月下旬、『春のバラフェスタ 』開催中に訪れ、やはり人出が多い中、私は鑑賞しながら撮ったりしたが、
少し疲れを関して、ベンチが並んでいる中、ひとつのベンチに腰を下ろした。

やがてひとりの70代と思われるご婦人が、私の隣に座られて、
この御方が瀬戸内寂聴さんが改名する前の晴美さんの時に上梓されたひとつ『美は乱調にあり』の本が、
たまたま私が見えて、良き作品をお読みなさっていますねぇ・・と私は言ったりした。
そして私は東京オリンピツクが開催された当時、瀬戸内晴美さんの『夏の終り』は、知人などに絶賛したひとりです、
と私はこの御方に言った後、この当時の作家たちの作品、或いは映画、風俗など、
一時間ばかり語りあったりした、
やがて私は隣接した深大寺で鐘を撞(つ)く音色を近くて見たく、辞する時に、
『久々に楽しい時間を過ごせまして・・』と私はこの御方に言ったりした。
『わたしこそ、懐かしく深みのあるお話ができて、充実したお時間を過ごさせて、感謝ですわ・・』
とこの御方は私に言ったりした。
昨日、『春のバラフェスタ 』が今週の土曜日から開催されると知っているが、
やはり開催中は人出の多い中、ゆっくりと鑑賞が出来ないと思われて、私は訪れた。
そしてバラ園で数多くのそれぞれの美麗な花を鑑賞した・・。
やがて魅了された花に、一期一会のような思いで、デジカメで撮ったりした。


このように私は、薔薇(バラ)に関しても、殆ど無知な身であるが、
感性の衰えた老ボーイの私でも、遅ればせながら年金生活の中、高貴な花の魅力は少しだけ判ってきた、
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