私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
昨夜11過ぎから降りだした雨は、本日の午前中には本降りとなり、
平素の買物メール老ボーイの私は、買物、そして散策も取りやめとした。
そして新聞を読んだり、テレビでニュースを視聴した後、
愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見たりしていた・・。
こうした中で、【 江戸のグルメブームに歯止めをかけた腹八分精神 】と見出しを見て、
どのようなことなょ、とクリックして精読してしまった。
やがて読み終わった後、つたない人生航路を歩んできた私でも、瞬時に魅了された・・。
この記事は、【ダイヤモンド・オンライン】の【ライフ】の【長寿の食卓】に於いて、
小説家・料理人の樋口直哉さんの【 あの人は何を食べてきたか 】の連載記事のひとつである。
この原文は、樋口直哉さんの著作『老いてますます楽し 貝原益軒の極意』より、
編集部が少し編集し、昨年2015年10月8日に配信されていた記事であり、無断ながら転載させて頂く。
《・・貝原益軒は、江戸時代中期の儒学者。
その学問領域と残した著作の幅は広く、幕末に来日したシーボルトは「日本のアリストテレス」と賞賛した。
83歳の時に書き残した健康指南書の『養生訓』は、現在でも読み継がれている名著だ。
1630年に筑前・福岡に生まれた益軒は、虚弱な子どもだった。
外で遊べない幼少期が書物と向き合う時間をつくり、父から医学や薬物、食物の性質などを学んだことが
晩年、世に送り出す『養生訓』のベースになった。
益軒は日常の中で、食を重視していた。
それは『養生訓』全8巻のうち、2巻を飲食に充てていたことからもよくわかる。
具体的には「薄味」「脂っこいものは避ける」「なま物、冷たい物、かたいものも禁物」
「汁物は一種類、肉も一品に、おかずも一つか二つくらいにとどめる」といったものだ。
他に「腹八分を心がけること」など驚くべきことに、現代の栄養指導とほぼ同じである。
益軒の食生活は野菜中心だったようで、そのあたりにも江戸時代に85歳まで生きた理由があった。
ちなみに『老いてますます楽し 貝原益軒の極意』という本の著者、山崎光夫氏は、
この腹八分精神は益軒の『養生訓』がベストセラーになったことで、庶民の間にも定着したものだ、と推察していている。
当時、武士の食習慣が変わり、1日3食になったことが影響しているという。
この時期さらに1日4食を習慣とする武士たちも現れ、また元禄時代は今でいうグルメブームだったこともあり、
益軒はそうした流れに歯止めをかける意味で、腹八分を提唱したという。
かといって益軒は“べからず”ばかりの堅苦しい人間ではなかった、と前述の山崎氏は解説する。
「みづから楽み、人を楽まめて、人の道を行はんこそ、人と生まれるかひ(甲斐)有りて」
81歳の著作『楽訓』の一節である。
『養生訓』が体の健康書なら、『楽訓』は心の健康書。
どちらも人生の本質を楽しみとする哲学で貫かれている。
「益軒にとっては、長命は目的ではなく、“楽しむ人生”のための一つの手段だった」と山崎氏は言う。
「怒ってから食事をしてはいけない」「心配事をしながら食べてはいけない」「体を動かし」「心を平静に」「毎日に楽しみを見つける」
そんな当たり前のことが書かれた『養生訓』は、300年前の知恵の宝庫。
現代は当たり前のことが、わからなくなる時代だ。
時々は深呼吸するような気持ちで、古い本を開きたい。
昔の人たちがいろんなことを教えてくれる。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私が読み終わった後、つたない私でも瞬時に魅了されては、
《・・長命は目的ではなく、“楽しむ人生”のための一つの手段だった・・》
と一節であり、特に《・・「毎日に楽しみを見つける」・・》は、深く同意させられたりした。
私は殆ど毎日、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園を独りで歩きながら、
過ぎ去った日々に愛惜をしたり、これから到来する未知の日々に希望を託して、
70代入門の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
こうした中で、私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして知的好奇心が衰えず、相変わらず随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている時もある。
こうした中で、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
独りで歩き廻ったりして、 季節の移ろいを享受している。
そして食習慣は大切であり、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。
私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
キャベツを千切って電子レンジで少し温めて、もずく三杯酢をかけて盛大に頂くこともあるが、
天候不順で、新鮮なキャベツにめぐり逢えない場合は、タマネギが代用としている。
こうした時は、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。
こうした後、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。
やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。
家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。
昼食はフランスバンを三分の一ぐらい私は食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。
そして昼食は、お互いに自由な時間で頂いているのが、実態となっている。
やがて夕食の時は、私は、朝食と同様な前菜を盛大に食べた後、
ブロッコリーを食べている。
そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。
家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。
こうした朝食、夕食を頂いている中でも、
私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりで、
家内と談笑をしたりしている。
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昨夜11過ぎから降りだした雨は、本日の午前中には本降りとなり、
平素の買物メール老ボーイの私は、買物、そして散策も取りやめとした。
そして新聞を読んだり、テレビでニュースを視聴した後、
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こうした中で、【 江戸のグルメブームに歯止めをかけた腹八分精神 】と見出しを見て、
どのようなことなょ、とクリックして精読してしまった。
やがて読み終わった後、つたない人生航路を歩んできた私でも、瞬時に魅了された・・。
この記事は、【ダイヤモンド・オンライン】の【ライフ】の【長寿の食卓】に於いて、
小説家・料理人の樋口直哉さんの【 あの人は何を食べてきたか 】の連載記事のひとつである。
この原文は、樋口直哉さんの著作『老いてますます楽し 貝原益軒の極意』より、
編集部が少し編集し、昨年2015年10月8日に配信されていた記事であり、無断ながら転載させて頂く。
《・・貝原益軒は、江戸時代中期の儒学者。
その学問領域と残した著作の幅は広く、幕末に来日したシーボルトは「日本のアリストテレス」と賞賛した。
83歳の時に書き残した健康指南書の『養生訓』は、現在でも読み継がれている名著だ。
1630年に筑前・福岡に生まれた益軒は、虚弱な子どもだった。
外で遊べない幼少期が書物と向き合う時間をつくり、父から医学や薬物、食物の性質などを学んだことが
晩年、世に送り出す『養生訓』のベースになった。
益軒は日常の中で、食を重視していた。
それは『養生訓』全8巻のうち、2巻を飲食に充てていたことからもよくわかる。
具体的には「薄味」「脂っこいものは避ける」「なま物、冷たい物、かたいものも禁物」
「汁物は一種類、肉も一品に、おかずも一つか二つくらいにとどめる」といったものだ。
他に「腹八分を心がけること」など驚くべきことに、現代の栄養指導とほぼ同じである。
益軒の食生活は野菜中心だったようで、そのあたりにも江戸時代に85歳まで生きた理由があった。
ちなみに『老いてますます楽し 貝原益軒の極意』という本の著者、山崎光夫氏は、
この腹八分精神は益軒の『養生訓』がベストセラーになったことで、庶民の間にも定着したものだ、と推察していている。
当時、武士の食習慣が変わり、1日3食になったことが影響しているという。
この時期さらに1日4食を習慣とする武士たちも現れ、また元禄時代は今でいうグルメブームだったこともあり、
益軒はそうした流れに歯止めをかける意味で、腹八分を提唱したという。
かといって益軒は“べからず”ばかりの堅苦しい人間ではなかった、と前述の山崎氏は解説する。
「みづから楽み、人を楽まめて、人の道を行はんこそ、人と生まれるかひ(甲斐)有りて」
81歳の著作『楽訓』の一節である。
『養生訓』が体の健康書なら、『楽訓』は心の健康書。
どちらも人生の本質を楽しみとする哲学で貫かれている。
「益軒にとっては、長命は目的ではなく、“楽しむ人生”のための一つの手段だった」と山崎氏は言う。
「怒ってから食事をしてはいけない」「心配事をしながら食べてはいけない」「体を動かし」「心を平静に」「毎日に楽しみを見つける」
そんな当たり前のことが書かれた『養生訓』は、300年前の知恵の宝庫。
現代は当たり前のことが、わからなくなる時代だ。
時々は深呼吸するような気持ちで、古い本を開きたい。
昔の人たちがいろんなことを教えてくれる。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
私が読み終わった後、つたない私でも瞬時に魅了されては、
《・・長命は目的ではなく、“楽しむ人生”のための一つの手段だった・・》
と一節であり、特に《・・「毎日に楽しみを見つける」・・》は、深く同意させられたりした。
私は殆ど毎日、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園を独りで歩きながら、
過ぎ去った日々に愛惜をしたり、これから到来する未知の日々に希望を託して、
70代入門の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
こうした中で、私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
そして知的好奇心が衰えず、相変わらず随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている時もある。
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もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
独りで歩き廻ったりして、 季節の移ろいを享受している。
そして食習慣は大切であり、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。
私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
キャベツを千切って電子レンジで少し温めて、もずく三杯酢をかけて盛大に頂くこともあるが、
天候不順で、新鮮なキャベツにめぐり逢えない場合は、タマネギが代用としている。
こうした時は、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。
こうした後、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。
やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。
家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。
昼食はフランスバンを三分の一ぐらい私は食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。
そして昼食は、お互いに自由な時間で頂いているのが、実態となっている。
やがて夕食の時は、私は、朝食と同様な前菜を盛大に食べた後、
ブロッコリーを食べている。
そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。
家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。
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私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりで、
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