夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『老いてますます楽し 貝原益軒の極意』を少し学び、つたない私でも瞬時に魅了されて・・。

2016-03-19 15:06:13 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
昨夜11過ぎから降りだした雨は、本日の午前中には本降りとなり、
平素の買物メール老ボーイの私は、買物、そして散策も取りやめとした。

そして新聞を読んだり、テレビでニュースを視聴した後、
愛読している総合ビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】を見たりしていた・・。

こうした中で、【 江戸のグルメブームに歯止めをかけた腹八分精神 】と見出しを見て、
どのようなことなょ、とクリックして精読してしまった。

やがて読み終わった後、つたない人生航路を歩んできた私でも、瞬時に魅了された・・。

この記事は、【ダイヤモンド・オンライン】の【ライフ】の【長寿の食卓】に於いて、
小説家・料理人の樋口直哉さんの【 あの人は何を食べてきたか 】の連載記事のひとつである。

この原文は、樋口直哉さんの著作『老いてますます楽し 貝原益軒の極意』より、
編集部が少し編集し、昨年2015年10月8日に配信されていた記事であり、無断ながら転載させて頂く。
            

《・・貝原益軒は、江戸時代中期の儒学者。
その学問領域と残した著作の幅は広く、幕末に来日したシーボルトは「日本のアリストテレス」と賞賛した。
83歳の時に書き残した健康指南書の『養生訓』は、現在でも読み継がれている名著だ。

1630年に筑前・福岡に生まれた益軒は、虚弱な子どもだった。
外で遊べない幼少期が書物と向き合う時間をつくり、父から医学や薬物、食物の性質などを学んだことが
晩年、世に送り出す『養生訓』のベースになった。

益軒は日常の中で、食を重視していた。
それは『養生訓』全8巻のうち、2巻を飲食に充てていたことからもよくわかる。

具体的には「薄味」「脂っこいものは避ける」「なま物、冷たい物、かたいものも禁物」
「汁物は一種類、肉も一品に、おかずも一つか二つくらいにとどめる」といったものだ。

他に「腹八分を心がけること」など驚くべきことに、現代の栄養指導とほぼ同じである。
益軒の食生活は野菜中心だったようで、そのあたりにも江戸時代に85歳まで生きた理由があった。

ちなみに『老いてますます楽し 貝原益軒の極意』という本の著者、山崎光夫氏は、
この腹八分精神は益軒の『養生訓』がベストセラーになったことで、庶民の間にも定着したものだ、と推察していている。

当時、武士の食習慣が変わり、1日3食になったことが影響しているという。
この時期さらに1日4食を習慣とする武士たちも現れ、また元禄時代は今でいうグルメブームだったこともあり、
益軒はそうした流れに歯止めをかける意味で、腹八分を提唱したという。
            

かといって益軒は“べからず”ばかりの堅苦しい人間ではなかった、と前述の山崎氏は解説する。

「みづから楽み、人を楽まめて、人の道を行はんこそ、人と生まれるかひ(甲斐)有りて」

81歳の著作『楽訓』の一節である。
『養生訓』が体の健康書なら、『楽訓』は心の健康書。
どちらも人生の本質を楽しみとする哲学で貫かれている。

「益軒にとっては、長命は目的ではなく、“楽しむ人生”のための一つの手段だった」と山崎氏は言う。

「怒ってから食事をしてはいけない」「心配事をしながら食べてはいけない」「体を動かし」「心を平静に」「毎日に楽しみを見つける」

そんな当たり前のことが書かれた『養生訓』は、300年前の知恵の宝庫。
現代は当たり前のことが、わからなくなる時代だ。

時々は深呼吸するような気持ちで、古い本を開きたい。
昔の人たちがいろんなことを教えてくれる。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
            

私が読み終わった後、つたない私でも瞬時に魅了されては、
《・・長命は目的ではなく、“楽しむ人生”のための一つの手段だった・・》
と一節であり、特に《・・「毎日に楽しみを見つける」・・》は、深く同意させられたりした。

私は殆ど毎日、自宅から3キロ範囲にある遊歩道、小公園を独りで歩きながら、
過ぎ去った日々に愛惜をしたり、これから到来する未知の日々に希望を託して、
70代入門の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
       
こうした中で、私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

そして知的好奇心が衰えず、相変わらず随筆、ノンフィクション、近現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている時もある。

こうした中で、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
独りで歩き廻ったりして、 季節の移ろいを享受している。
            

そして食習慣は大切であり、私は幼年期に農家の児として育ったので、齢ばかり重ねた今でも、
朝食は、ご飯と汁、おかずと香の物で成り立っていた庶民の『一汁三菜(いちじゅうさんさい)』の真似事をしている。

私の朝食の原則として、前菜を必ず頂いている。
キャベツを千切って電子レンジで少し温めて、もずく三杯酢をかけて盛大に頂くこともあるが、
天候不順で、新鮮なキャベツにめぐり逢えない場合は、タマネギが代用としている。

こうした時は、タマネギをスライスし、生ワカメとあえて、
そしてミッカンぽん酢とお醤油をかけて、大きな皿に盛大に食べたりした。

こうした後、冷凍のブロッコリーを電子レンジで少し温めて、
やはりミッカンぽん酢とお醤油をかけて、食べている。

やがて十六穀米の入った白米のご飯、インスタントのワカメの味噌汁、
コブの佃煮、ラッキョの塩漬け、福神漬け、カブの醤油漬け、カブの葉の塩漬け、焼きノリ、
そしてシャケの瓶づめ、或いはサバ缶のミソ煮で頂くことが多い。
        
家内は時折つきあうが、大半は食パンにジャム、オレンジ・ママレード、或いはブルーベリーを塗り、
二枚ばかり食べながら、ホット・コーヒーを飲みながら頂くことが多い。
そしてバナナなど果物も食べたりしている。

昼食はフランスバンを三分の一ぐらい私は食べたりしているが、
家内はケーキのような菓子パンを食べることが多い。
そして昼食は、お互いに自由な時間で頂いているのが、実態となっている。
            

やがて夕食の時は、私は、朝食と同様な前菜を盛大に食べた後、
ブロッコリーを食べている。

そして牛肉、豚肉、鶏肉、ラム肉などのいずれかを野菜を加えて、多めに頂いたりし、
ときにはシイタケ、シメジ、マイタケなどの茸(きのこ)も好きで、食べたりしている。

家内は肉と野菜を食べたりした後、プリンかショートケーキを食べたりしている。

こうした朝食、夕食を頂いている中でも、
私は平素は亡き母の遺伝を素直に受け継いだ為か、男の癖におしゃべりで、
家内と談笑をしたりしている。

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