私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活の71歳の身である。
私の住む地域は、平年は2月中旬に純白した白梅の花が咲き、少し遅れて華やいだ紅梅の花が咲く。
やがて全国の女の子を祝福するような桃の節句を過ぎた頃に、桃の花が咲いたりしてきた。
そして3月20日前後から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、平年の習わしとなっている。
私は白梅の花に関して、幼年期より好きで、早春の寒さの中、凛と咲く情景に魅了されてきた。
私は幼年期に農家の児として育った為か、生家の庭の片隅にある梅の純白な花が満開を過ぎると、
ときおり微風が吹くと、かすかに花びらが揺れて、やがて花びらが舞いながら地上の黒土に彩(いろど)る情景が、
圧倒的に魅せられてきた。
そしては桜花(さくらばな)に関しては、ここ15年ぐらい三分咲きに心を寄せたりした後、
やがて満開の情景にも愛(めでた)りしてきた。
私は散策する中、自宅の近くに流れる野川の桜並木の遊歩道を歩いたりすると、
花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なったりする。
こうした情景を観ると、 私は立ち止まり、数多くの桜花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、やがて地上に落下する。
古来より、桜の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきたことに、
思いを重ねたりした・・。
私は桜花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に、確かな美を感じてきた。
このような情景に私は見惚(みと)れてたりしてきたが、
遥か1000年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてきた。
そして私は桜花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も大病もせず、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねることが多い。
或いは野川の水の流れを見たりしていると、
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。
そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、桜花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。
このような桜花のうつろう情景に心を寄せてきた。
こうした中で、自宅の周辺の雑木林を歩き廻ったりしていると、
このようなところに桜があったことは知らなかったよ、と教示されることもある。
そして私は山桜を見かけると、 私が若き34歳の時、
自営業をしていた次兄が、資金繰りが破綻して、自室で突然に毒薬を飲み自裁されたので、
私はこの山桜に心を託して、山桜の咲く時になると、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、37年過ぎている。
この間、次兄が生前で、我が家が新築まもない時に、花桃を20数本頂だき、
私たち夫婦は戸惑いながらも微笑んだりした。
このような思いで、私は毎年とりとめなく梅、桃、そして桜を愛(め)でてきた・・。
過ぎし1月18日に今年初めて小雪が降り、
やがて28日に我が家より、徒歩45分ばかり歩くと、都立・神代植物園があり、
私は白梅、紅梅、蠟梅(ロウバイ)を愛(め)たりした。
そして2月17日に、遅ればせながら我が家の白梅が咲いたりし、微苦笑したりした。
私が微苦笑させられたは、私は何かと遅れた人生航路を歩み、
読書の魅力に気付かされたのも高校に入学してまもない時であったし、民間会社の中途入社できたのも25歳、
そして結婚したのも31歳であり、何かとこの人生の歩みが遅い航路となったりした。
このように主(あるじ)の私にに似た遅咲きの白梅が、愛(いと)おしく感じて、微苦笑をしたであった。
やがて22日に、いつもように野川の遊歩道を散策していると、早咲きの大島桜か河津桜の親戚ような桜花にめぐり逢え、
戸惑いながらも悦んだりした。
この後、25日に都立・神代植物園を訪ねて、生れて初めて寒緋桜(カンヒザクラ)を鑑賞した・・。
しばらく見惚れた後、少し歩くと樹高5メートルぐらいで淡き桃色が視えて、私は近づくと、『河津桜』と名札が幹に付けられていて、
これが早咲きの桜として名高い河津桜か、と遅ればせながら初めて見て、
清楚で好感するよ、と心の中で呟き、記憶の形見として撮ったりした。
この後、白梅、紅梅の残り花、そして椿の花を褒めて帰えろうかなぁ、と思いながら小路を歩いていた時、
園内の奥まった片隅に樹高2メートルたらずで、淡き桃色が視えて、何の花木かしら、と感じ、私は近寄っていた・・。
ひっそりと咲いていた小花に瞬時に魅了されて、私は一期一会だ、と心の中で呟き、撮ったりした。
まもなく私は更に近づくと、樹の幹に、小さな紙に『河津桜』と名札が付いていた。
私は多くの方が見過ごしてしまうような奥まった片隅に、ひっそりと咲いていた『河津桜』に、
つたない人生航路を歩んできた私は、情愛を感じて深く魅了されたりした。
こうして予想外に、早咲きの桜花にめぐり逢いができ、このような幸福感はめったにないよねぇ、
と微笑んだりした。
ここ一週間、晴れ間ない日々が続く中、私は何かしら戸惑ったりして過ごしてきた・・。
思い当たるとすれば、桃の花を鑑賞しなくて、早咲きの桜花を愛(め)でてしまって、
何かしら季節の到来に狂いを感じたことに気付いたりした。
そして私は、久々の晴れ間の本日、桃の花を求めて、都立・神代植物園を訪ねた。
やがて華やいだ桃の花を鑑賞して、心は充たされ、
少し愛(め)でる順序こそ違ったが、春の三冠王のような梅、桃、そして桜を愛(め)でることができた・・。
この後、園内を歩けば、数多くの早咲きの桜花にめぐり逢ったりした・・。
やがて私は、毎年3月20日前後から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜、その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)には、
どのように愛(め)でようかしら、と戸惑いを重ねながらも、やがて微苦笑したりした。
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私の住む地域は、平年は2月中旬に純白した白梅の花が咲き、少し遅れて華やいだ紅梅の花が咲く。
やがて全国の女の子を祝福するような桃の節句を過ぎた頃に、桃の花が咲いたりしてきた。
そして3月20日前後から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が最初に咲き始めると、
その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)が咲くが、平年の習わしとなっている。
私は白梅の花に関して、幼年期より好きで、早春の寒さの中、凛と咲く情景に魅了されてきた。
私は幼年期に農家の児として育った為か、生家の庭の片隅にある梅の純白な花が満開を過ぎると、
ときおり微風が吹くと、かすかに花びらが揺れて、やがて花びらが舞いながら地上の黒土に彩(いろど)る情景が、
圧倒的に魅せられてきた。
そしては桜花(さくらばな)に関しては、ここ15年ぐらい三分咲きに心を寄せたりした後、
やがて満開の情景にも愛(めでた)りしてきた。
私は散策する中、自宅の近くに流れる野川の桜並木の遊歩道を歩いたりすると、
花びらが散乱して、歩道の脇には絨毯のように花びらが重なったりする。
こうした情景を観ると、 私は立ち止まり、数多くの桜花を見たりすると大半は小枝に残っているが、
ときおり微風が吹くと、花びらが小枝から離れ、青い空の中をさまようように舞いながら、やがて地上に落下する。
古来より、桜の散りはじめ、花びらが舞いながら散る情景を花衣(はなごろも)と称してきたことに、
思いを重ねたりした・・。
私は桜花に関しては、3分咲きに魅了されるひとりであるが、
やはり花びらが散りはじめ、空中にゆったりと舞いながら散る光景に、確かな美を感じてきた。
このような情景に私は見惚(みと)れてたりしてきたが、
遥か1000年前の人たちも、私のように感じる人が多いかしら、と思わず微笑んだりしてきた。
そして私は桜花を観る時、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も大病もせず、天上の神々の采配で生かしてもらっている、と思いが強く、
毎年、花衣(はなごろも)の情景を眺めていると、過ぎし日々に愛惜を重ねることが多い。
或いは野川の水の流れを見たりしていると、
川面は陽春の陽射しを受け、光を帯びながら清き流れとなっていた・・。
そして川辺に枯れた薄(すすき)の群生に、桜花が重なっていて、
やがて水の流れに巻き込まれ、花筏(はないかだ)のように下流に向かい、ゆっくと流れていた。
このような桜花のうつろう情景に心を寄せてきた。
こうした中で、自宅の周辺の雑木林を歩き廻ったりしていると、
このようなところに桜があったことは知らなかったよ、と教示されることもある。
そして私は山桜を見かけると、 私が若き34歳の時、
自営業をしていた次兄が、資金繰りが破綻して、自室で突然に毒薬を飲み自裁されたので、
私はこの山桜に心を託して、山桜の咲く時になると、次兄の言葉、しぐさを思い浮かべたりし、
何かとお世話になった次兄を思い馳せたりし、37年過ぎている。
この間、次兄が生前で、我が家が新築まもない時に、花桃を20数本頂だき、
私たち夫婦は戸惑いながらも微笑んだりした。
このような思いで、私は毎年とりとめなく梅、桃、そして桜を愛(め)でてきた・・。
過ぎし1月18日に今年初めて小雪が降り、
やがて28日に我が家より、徒歩45分ばかり歩くと、都立・神代植物園があり、
私は白梅、紅梅、蠟梅(ロウバイ)を愛(め)たりした。
そして2月17日に、遅ればせながら我が家の白梅が咲いたりし、微苦笑したりした。
私が微苦笑させられたは、私は何かと遅れた人生航路を歩み、
読書の魅力に気付かされたのも高校に入学してまもない時であったし、民間会社の中途入社できたのも25歳、
そして結婚したのも31歳であり、何かとこの人生の歩みが遅い航路となったりした。
このように主(あるじ)の私にに似た遅咲きの白梅が、愛(いと)おしく感じて、微苦笑をしたであった。
やがて22日に、いつもように野川の遊歩道を散策していると、早咲きの大島桜か河津桜の親戚ような桜花にめぐり逢え、
戸惑いながらも悦んだりした。
この後、25日に都立・神代植物園を訪ねて、生れて初めて寒緋桜(カンヒザクラ)を鑑賞した・・。
しばらく見惚れた後、少し歩くと樹高5メートルぐらいで淡き桃色が視えて、私は近づくと、『河津桜』と名札が幹に付けられていて、
これが早咲きの桜として名高い河津桜か、と遅ればせながら初めて見て、
清楚で好感するよ、と心の中で呟き、記憶の形見として撮ったりした。
この後、白梅、紅梅の残り花、そして椿の花を褒めて帰えろうかなぁ、と思いながら小路を歩いていた時、
園内の奥まった片隅に樹高2メートルたらずで、淡き桃色が視えて、何の花木かしら、と感じ、私は近寄っていた・・。
ひっそりと咲いていた小花に瞬時に魅了されて、私は一期一会だ、と心の中で呟き、撮ったりした。
まもなく私は更に近づくと、樹の幹に、小さな紙に『河津桜』と名札が付いていた。
私は多くの方が見過ごしてしまうような奥まった片隅に、ひっそりと咲いていた『河津桜』に、
つたない人生航路を歩んできた私は、情愛を感じて深く魅了されたりした。
こうして予想外に、早咲きの桜花にめぐり逢いができ、このような幸福感はめったにないよねぇ、
と微笑んだりした。
ここ一週間、晴れ間ない日々が続く中、私は何かしら戸惑ったりして過ごしてきた・・。
思い当たるとすれば、桃の花を鑑賞しなくて、早咲きの桜花を愛(め)でてしまって、
何かしら季節の到来に狂いを感じたことに気付いたりした。
そして私は、久々の晴れ間の本日、桃の花を求めて、都立・神代植物園を訪ねた。
やがて華やいだ桃の花を鑑賞して、心は充たされ、
少し愛(め)でる順序こそ違ったが、春の三冠王のような梅、桃、そして桜を愛(め)でることができた・・。
この後、園内を歩けば、数多くの早咲きの桜花にめぐり逢ったりした・・。
やがて私は、毎年3月20日前後から染井吉野(ソメイヨシノ)の桜、その後に山桜(ヤマザクラ)、最後に八重桜(ヤエザクラ)には、
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