私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の69歳の身であるが、
平素の買物の専任者の私は、スーパーで家内からの依頼品を買い求めた後、
帰宅し、本日はどのコースを散策しょうかしら、と少し思案した後、野川の遊歩道とした。
私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の辺鄙な処で、
住宅街で家並みが密集しているが、
自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、
私は何かしら解放感を感じて、上流に向かったり、ときには下流に向かったりし、
こよなく歩いているコースのひとつであり、本日は下流沿いとした。
この野川は川べりに小道があり、そして少し高い処の両岸には遊歩道があり、
私は少なくとも週に一度は、こよなく愛している遊歩道のひとつである。
私は散策と買物の時は、この時節は制服のような定番の服装として、
スリー・シーズンのストレッチパンズの長ズボン、長袖のスポーツシャツ、ウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのB5サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしている。
そしてバックの中身の必須品として、財布、メモ・ノート、ポールペン、ハンドタオル2枚、ハンカチ2枚、
煙草、ライター、携帯灰皿などを入れ、ウォーキング・スタイルで歩く。
本日は、たまたまコンバクト・デジカメを首回りから下げて、颯爽と歩いた。
そして情景に瞬時に魅せられた時、立ち止まりデジカメで、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、この過ぎゆく春の季節のひとときの情景を撮ったりしている。

そして今回、10数年前に小公園のあるマンションが
10数棟あるゆったりとした敷地のはずれを歩いたりした。
この後、このマンション群の中央の道の歩道を歩き、私は一枚を撮ったりした。
このマンションの情景が私は魅せられて、早や7年が過ぎている。
私は調布市の片隅で、雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦は、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
しかしながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内に万一先立だれて、独りぼっちとなった時は、
やむなく自宅を処分して、小公園のあるマンションで独り住まいを思案している。
こうした状況の場合は、このマンション群の中で、こじんまりとした2LDKを買い求めて、
晩年期を過ごしたい、と思ったりしている所のひとつとなっている。

この後、私は再び遊歩道を歩きだした・・。
この地域は、桜並木となっていて、過ぎ去り日の3月下旬に染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、 最後に4月下旬に八重桜(ヤエザクラ)が咲き、
私も桜花に心を寄せて愛(め)でて、今年も歩いてきた路である。

今や葉桜の時節を迎えているが、私は川風を心地より受けながら、薫風だよねぇ、
微笑んだりした・・。
たわわな若葉の彩(いろど)りの中、かすかに若葉が揺れると若葉風だねぇ、
と気付かされたりした。
やがて対岸への橋を歩いたりした。

そして小田急線の喜多見駅に向かい歩いたりしていると、
遊歩道の片側が小公園が帯のように長く続き、この季節の花の彩りを見ながら、
私は歩いたり、ときたま魅了された花に立ち止まり、見つめたりした・・。


やがて帰路に向かい、やがて私は木のベンチで休憩とした。

私は幼年期に農家の児として育てられたので、
過ぎし日の春の明るい陽射しの光につつまれ中、欅(ケヤキ)、モミジ、クヌギ、コナラなどの落葉樹は、
芽吹き、萌黄色から黄緑色、やがて新緑色に染められ、そして色合いを深める情景に、
圧倒的に魅了されている。
或いは常緑樹は、新芽を伸ばしながら葉色は光沢を増し、眩(まばゆ)い色合いとなり、
私は今年も見惚(みと)れて過ごしてきた。
やがて私は再び歩きだすと、川辺に黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が見えて、
私は遊歩道から川辺の近くに下り立った。
この一カ月近く、この野川の川辺に長く帯のように菜の花、そしてハマダイコンの花が、
仲良し恋しのように咲き、私は見惚れてきた野花のひとつであったが、
まもなくお別れだよねぇ、来年もお逢いしたいょ、と思いを強めたりした。

そしてぼんやりと思いながら、古来より惜春という言葉があるが、
こうしたことたよねぇ、と菜の花、そしてハマダイコンの花を眺めながら思ったりした。
この後、自宅に向かい遊歩道を歩いていたら、
菖蒲(しょうぶ)の花が見えて、立ち止まったりした。

そして花菖蒲(はなしょうぶ)かしらと思ったりしたが、菖蒲(あやめ)だよねぇ、
と心の中で呟(つぶや)いたりした。

やがてトボトボと歩いていると、爽やかで過ごしやすい春にお別れだよねぇ、と過ぎ去る季節に愛惜を深めて、
私は自宅の方面に向った。
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平素の買物の専任者の私は、スーパーで家内からの依頼品を買い求めた後、
帰宅し、本日はどのコースを散策しょうかしら、と少し思案した後、野川の遊歩道とした。
私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の辺鄙な処で、
住宅街で家並みが密集しているが、
自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、
私は何かしら解放感を感じて、上流に向かったり、ときには下流に向かったりし、
こよなく歩いているコースのひとつであり、本日は下流沿いとした。

この野川は川べりに小道があり、そして少し高い処の両岸には遊歩道があり、
私は少なくとも週に一度は、こよなく愛している遊歩道のひとつである。
私は散策と買物の時は、この時節は制服のような定番の服装として、
スリー・シーズンのストレッチパンズの長ズボン、長袖のスポーツシャツ、ウォーキング・シューズとなり、
紳士用の小物入れのB5サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしている。
そしてバックの中身の必須品として、財布、メモ・ノート、ポールペン、ハンドタオル2枚、ハンカチ2枚、
煙草、ライター、携帯灰皿などを入れ、ウォーキング・スタイルで歩く。
本日は、たまたまコンバクト・デジカメを首回りから下げて、颯爽と歩いた。
そして情景に瞬時に魅せられた時、立ち止まりデジカメで、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、この過ぎゆく春の季節のひとときの情景を撮ったりしている。

そして今回、10数年前に小公園のあるマンションが
10数棟あるゆったりとした敷地のはずれを歩いたりした。
この後、このマンション群の中央の道の歩道を歩き、私は一枚を撮ったりした。
このマンションの情景が私は魅せられて、早や7年が過ぎている。

私は調布市の片隅で、雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦は、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
しかしながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内に万一先立だれて、独りぼっちとなった時は、
やむなく自宅を処分して、小公園のあるマンションで独り住まいを思案している。
こうした状況の場合は、このマンション群の中で、こじんまりとした2LDKを買い求めて、
晩年期を過ごしたい、と思ったりしている所のひとつとなっている。

この後、私は再び遊歩道を歩きだした・・。
この地域は、桜並木となっていて、過ぎ去り日の3月下旬に染井吉野(ソメイヨシノ)の桜が咲き始め、
その後に山桜(ヤマザクラ)、 最後に4月下旬に八重桜(ヤエザクラ)が咲き、
私も桜花に心を寄せて愛(め)でて、今年も歩いてきた路である。

今や葉桜の時節を迎えているが、私は川風を心地より受けながら、薫風だよねぇ、
微笑んだりした・・。
たわわな若葉の彩(いろど)りの中、かすかに若葉が揺れると若葉風だねぇ、
と気付かされたりした。
やがて対岸への橋を歩いたりした。

そして小田急線の喜多見駅に向かい歩いたりしていると、
遊歩道の片側が小公園が帯のように長く続き、この季節の花の彩りを見ながら、
私は歩いたり、ときたま魅了された花に立ち止まり、見つめたりした・・。


やがて帰路に向かい、やがて私は木のベンチで休憩とした。

私は幼年期に農家の児として育てられたので、
過ぎし日の春の明るい陽射しの光につつまれ中、欅(ケヤキ)、モミジ、クヌギ、コナラなどの落葉樹は、
芽吹き、萌黄色から黄緑色、やがて新緑色に染められ、そして色合いを深める情景に、
圧倒的に魅了されている。
或いは常緑樹は、新芽を伸ばしながら葉色は光沢を増し、眩(まばゆ)い色合いとなり、
私は今年も見惚(みと)れて過ごしてきた。
やがて私は再び歩きだすと、川辺に黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が見えて、
私は遊歩道から川辺の近くに下り立った。
この一カ月近く、この野川の川辺に長く帯のように菜の花、そしてハマダイコンの花が、
仲良し恋しのように咲き、私は見惚れてきた野花のひとつであったが、
まもなくお別れだよねぇ、来年もお逢いしたいょ、と思いを強めたりした。

そしてぼんやりと思いながら、古来より惜春という言葉があるが、
こうしたことたよねぇ、と菜の花、そしてハマダイコンの花を眺めながら思ったりした。
この後、自宅に向かい遊歩道を歩いていたら、
菖蒲(しょうぶ)の花が見えて、立ち止まったりした。

そして花菖蒲(はなしょうぶ)かしらと思ったりしたが、菖蒲(あやめ)だよねぇ、
と心の中で呟(つぶや)いたりした。

やがてトボトボと歩いていると、爽やかで過ごしやすい春にお別れだよねぇ、と過ぎ去る季節に愛惜を深めて、
私は自宅の方面に向った。
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