夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

純白な蓮(ハス)の花、この世の最上の花と思いながら、60数年が過ぎ・・。

2014-05-24 14:41:17 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の69歳の身であるが、
今朝の7時過ぎに小庭のテラスに下り立ち、まばゆい陽射しに向かい、手を合わせたりした。
こうしたことは、この地上は少なくとも太陽の陽射しと水の恵(めぐみ)は欠かせないので、
何かと単細胞の私は、感謝しながら定年後の習性となっている。

この後、樹木の葉色は深緑に染められる中、
群生している小判草(コバンソウ)の草花が首を傾げたように揺れるのを見たり、
半夏生(ハンゲショウ)もかすかに揺れている・・。

そして日中は初夏のような暑さになるのかしら、とぼんやりと思ったりしていると、
脳裏の片隅から何故かしら蓮(ハス)の花が浮かべたりしていた・・。
          

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして宅地の周辺に竹林、雑木林を維持管理していた。

こうした中で、田んぼのある一面に湧水があり、そして小川に流れ、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
          

そして父、祖父が病死される私が小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに甘受していた。

7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
やがて8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。

そして私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて独り楽しんでいた・・。

そして泥だらけの中で、どうしてあんなに白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。
              

お盆の時、仏壇の前に畳一帖ぐらい台を設置し、
位牌の前に、盆棚を置いて、野菜、果物を供えたりしている。

外れに茄子(ナス)や胡瓜(キュウリ)に割り箸で足を付けて、馬や牛にみたてたりしている。
そして台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮(ハス)の葉を浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
或いは台の左右に、この時節の草花を飾り、この中の中核は蓮(ハス)の花となっていた。
          

やがて夏休みが終わった頃、蓮(ハス)の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。

数週間過ぎた頃、この実を採り、
少し剥(むく)とどんぐりのような形した白い実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。

やがて蓮(ハス)の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
青果市場に父は出荷した後の残りが、生家の食卓を彩(いろど)った。

私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間の多くの人が言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。

このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時とか、
名所と知られているある寺の観せる美麗な蓮(ハス)は、
あれは単なる鑑賞専用の蓮(ハス)であって、私が愛惜を秘めている蓮(ハス)じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。
          

定年退職した2004〈平成16〉年の翌年の夏、
ある書物で、黒羽山の大雄寺の高僧が、蓮のことについて、綴られているのを知った。
《・・泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮(ハス)の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。

泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。
このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。・・》
こうようなことを綴られていた。

私の生家は仏教の曹洞宗で、無知なことが多いが、
蓮(ハス)は泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるのに、圧倒的な思いで魅了されている・・。

私なりに年金生活の身過ぎ世過ぎの中、日常生活を身勝手に過ごしているが、
改めてこうした純白の花を眺めると、
何かしらこれまでの私の卑屈と劣等感の多かった人生の歩みを浄化してくれる随一の花と思っている。
          

このように私なりに深い思いを秘めているが、
私の住む周辺は1955(昭和30)年の初めに頃になると、
田畑、雑木林は急速に消え、もとより蓮(ハス)の水田も消え去り、やがて住宅街に変貌した・・。

そして私は家内と共に国内の旅行をした時、
旅先で偶然に、田んぼある蓮(ハス)の花を見かけたりすると、
                    
しばらくのあいだ見惚(みと)れながら、まぶたが熱くなってしまうことが多くなっている。
        

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コメント (10)
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