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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

光回線、やがて不要になる可能性を学び、二宮金次郎の真似事をする方の増大に憂い・・。

2012-09-15 12:36:31 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の14日の午後に、いつものようにプログの投稿文を綴り、
『携帯電話、スマートフォンも使えない私、せめてインターネットは自宅のパソコンで・・。』
と題して、投稿したりした。

この後、ビジネス情報誌として名高いダイヤモンド社のネット【DIAMOND online】を開き、
三つばかりの記事を読んだ後、
『光回線サービスの仁義なき契約者獲得バトル! “鬼気迫る営業攻勢”があなたを辟易させる背景』
と題された【経済・時事】のひとつに、
どういうことなの、と思いながらクリックして読んだりした・・。

News&Analysisに於いて、連載記事で【第397回】となり、
今回はネット環境にも詳しい岡 徳之さんが執筆され、9月14日に配信された記事であった。

要約すれば、《スマートフォンの普及で光回線の利用需要が頭打ちになり・・
フレッツ光の純増数が4割も激減・・やがて若年層のノマド化が引き金に光回線を駆逐するスマホの台頭・・》
このようなことが前半の内容であり、私は驚嘆させられた・・。

この寄稿文で何よりも具体的に驚いた実態と傾向は、
《・・
NTT東西の「フレッツ光」の純増数(契約数から解約数を差し引いた数)は、
2012年4-6月期、前年同期の約53万6000件から43%も激減し、約30万7000件となった。
7月以降も落ち込みは止まらない・・

これはNTT陣営に限った話ではないが、そもそも光回線自体が不要のサービスになりつつあるということだ。

家族でパソコンをフルに使う家庭にとって、固定の光回線は重宝かもしれないが、そのような家庭は限定的。
特に若年層の間で見受けられるのは、「インターネットの利用はスマホでアプリを使うくらいで十分」というトレンドだ。

「こうなると、100メガクラスの回線は必要ありません。
パソコンをモバイルで代用できる人なら、月々3980円ほどでモバイル回線を利用できるため、
“光回線は高い”と感じてしまいます」

一方、郊外エリアでは、光回線の方が通信品質は高くなり、インターネットへの接続もスムーズにできる。
しかし、各社が手がけるモバイル回線サービスの提供エリアが拡大し、モバイルブロードバンドが普及してくると、
光回線とモバイル回線の差はさらに縮まってくる。
そうなると、いよいよ光回線が不要になってくる。

「今後、スマートフォンの普及が光回線のニーズを食いつぶすトレンドが顕著になっていくでしょう」
と情報通信技術分野の市場調査・コンサルティングを専門とするICT総研の齊藤和アナリストは予測する。

また最近では、モバイルWi-Fiルーターなど、新しいタイプのデータ通信端末も登場し、
ノマド的な働き方をするビジネスマンやギークな学生にウケている。
そうした端末を外出中だけでなく、自宅でも使う層が増えれば、ますます固定の光回線需要は減ってしまう。
・・》

私たち夫婦は子供に恵まれず家内とふたりだけの家庭であり、
門扉に近い電信柱から、たった一本の光ファイバー回線を頼りに、
NTT東日本の管轄下で、電話は『ひかり電話』、ネット回線は『フレッツ』、
そしてテレビは『スカパー!光』となっている。

こうした事情の上、恥ずかしながら、私たち夫婦はスマートフォンはもとより、
携帯電話さえも使えないので、やむなくインターネットは『フレッツ』の回線で、パソコンを利用している。
このような稀(まれ)な国民のひとりとなっているので、光回線が頭打ちになり、
やがて衰退することは、困るよなぁ、と大いに憂いながら戸惑ったりした。

この後、若い学生や働いて下さる若き諸兄諸姉の多くは、
光回線に頼らずモバイル情報にすがり、そして新聞も定期購読せずモバイルでニュース検索・・
世の中は変わるよなぁ、と漠然と思い馳せたりしたり、
今後ますます二宮金次郎の真似事をする方が多くなるの、と溜息(ためいき)をしたりした・・。

この二宮金次郎の真似事に関しては、
昨年の2011年12年13日の私の投稿文として、
『昨今の若き男女は、二宮金次郎のように歩く方が多くなり、高齢者の私でも戸惑いながら苦笑し・・。』
と題して、投稿しているが、今回あえて再掲載する。

【・・
二週間前に買い物で駅前のスーパーに行った時、駅近くの商店街を歩いていると、
若き20代の女性が前かがみで何かを見ながら歩いていた。

その後、駅前の広場を足早に歩いていた若き30代の男性も、
やはり前かがみで何かを見ながら歩いていた。

私は驚きながら周辺を見渡すと、10人ぐらいの方が前かがみで何かを見ながら歩いていたので、
まるで江戸時代末期に農民の児として育った二宮金次郎のような方が増えた、
と私は苦笑したりした・・。

もとより二宮金次郎は、貧困の少年時代を過ごし奮闘しながら朝から晩まで働き、
この間に薪(まき)を背負っての道中に本を読んで勉学に励んだ人で、
私が学んだ小学校の校庭の片隅に銅像があった。

私は注視しながら見ていると、何かしら携帯電話のような物に覗き込むように見ている人が多く、
無念ながら携帯電話も使えず、世の中の時流から取り残されている私でも、
ここ一年ぐらい話題となっている高性能携帯電話と称されているスマートフォンだ、
と解った。

そして過ぎし日に雑誌などで教示され、従来の携帯電話はもとより、バソコン、デジカメ、
カーナビ、携帯音楽プレーヤー、ゲーム機、電子辞書なども有している機能もある、
と知り私は驚いているひとりである。


この後日、私は久々に電車に乗ろうと改札口に入り、
地下にあるプラットフォームに通じるエレベータ乗った時、
隣にいる若き20代の女性が、このスマートフォンを忙しそうに画面を変えていた。

そしてエレベータの降り口から平坦となったプラットフォームを歩いていても、
スマートフォンの画面から目を離さないので、人の多い所で危ないなぁ、
と私は危惧したりした。
その後、やはりこの女性は40代ぐらいの男性にぶつかり、目礼しながら謝ったりしていた。

私は身体の衰えた高齢者、或いは構内のベンチとかに、ぶつかったり、
最悪の場合は電車が入線してきたら、と私の方がハラハラしてしまうのである。


昨日、私は近くの野川の遊歩道を散策していた。
落葉樹のたわわな葉は、紅色、朱紅色、黄色など染められている錦繍(きんしゅう)の情景が終わりかけ、
枝には少しばかりの葉が残り、朝のまばゆい陽射しが樹木の枝葉を照らしだして、
私は思わず足を止めて、見惚〈みと〉れていた・・。

まもなく後方から足音が聴こえ、突然に足音が消え、私は後ろを振り向くと、
わずか1メートルぐらいで、若き20代のツーピスを召された女性が、驚いたように立ちすぐんでいた。
私はこの女性の顔立ちを見た後、手に握りしめたスマートフォンに気付いた。

そして、この女性は人影の少ない遊歩道で、スマートフォンで情報を検索しながら歩いているうちに、
私の姿を手前で気付いた、と思われる。

この女性は私に目礼をして立ち去ったのであるが、
私の方が驚いたょ、と私は心の中で呟〈つぶや〉いたりした。


このように昨今は何かと慌ただしく、世の中は情報に溢れているが、
働いて下さる若き諸兄諸姉、せめて歩いている時ぐらいは、
前方を見据えて颯爽と歩くのが何よりも美しい、
とサラリーマンを35年近く体験した私は確信を深めている。
・・】
このように私は綴っていたが、こうした心情は今でも変わらない。

余談であるが、この『昨今の若き男女は、二宮金次郎のように歩く方が多くなり・・』を投稿し、
二週間過ぎた頃、ソニーのモバイルだったと思われる広告を偶然に見かけて、
二宮金次郎の絵柄を添付掲載されていたので、広告プランナーの方の感性と齢ばかり重ねた私と、
たまたま思いは同じだった、と微苦笑したことがあったりした。

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