夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初秋の快晴の中、庭の手入れをすれば、私は汗まみれ泥まみれで孤軍奮戦し・・。

2012-09-26 15:52:06 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
朝の7時過ぎに、ぼんやりと玄関の軒下に下り立つと、
雲は三つぐらい浮かぶだけの青空を眺めたりし、ときおり微風を受けると秋めいた風の匂いに微笑んだりした。

朝方、天気情報は朝の6時は17度、昼下がりは26度前後、そして夕暮れの6時は23度前後で、
さわやかな快晴の日中を迎えます、と報じていたので、
B型のお調子者の私は、庭の樹木の枝葉も伸び、草も生い茂ってきているので、
初秋の情景にふさわしいように、庭の手入れをしょう、と思い立った。

玄関庭は過ぎし夏の間に彩(いろど)ってくれた紫紅色の花の高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)が、
いじらしく10数輪咲いているが、残り花のように感じたりした。
そして塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花も残り花のように咲いていた。
この時節の玄関庭は、平年と同様に、群生させた可憐なピンク色した花が咲く秋海棠〈シュウカイドウ〉、
純白色の玉すだれ〈タマスダレ〉が咲いて、晩夏から初秋の時節を彩〈いろど〉ってくれる。

そして紫式部〈ムラサキシキブ〉は、それぞれの枝にたわわに薄紫色に色合いを染め始め、
花梨〈カリン〉の実は50ぐらいに成っているが、色合いは少し黄緑色で、
数週間過ぎれば淡い黄色に染められるのが、平年の習〈なら〉わしとなる。
あとは椿(ツバキ)、白梅(ハクバイ)、モミジなどの雑木の樹木となっている。

9時過ぎより、樹木の剪定を早々と済ませて、難問の草むしりをしたのであるが、
ドクダミの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥だらけになる。

陽射しの26度前後の中、孤軍奮闘していると、
やはり晩夏の余韻の暑さで汗まみれとなり、一時間ぐらい過ぎると、
玄関の軒下に簡易椅子を置いてに腰かけ、10分ばかり休憩する。

ときおり微風が吹き、身をゆだねると、秋めいた風は心地よく、微笑んだりした。
そして、冷茶を飲み、煙草を喫ったりし、
庭の草むしりの終えた場所を見つめたりし、残りはまだまだあり、
と実感させられながら、体力の衰えを感じている私は、今しなくてはいつするのよ、
と心の中で気合いを入れて、昼食抜きで奮戦することとした。

結果としては、12時過ぎに玄関庭は終了したが、
主庭の手入れを始めて、やはり夏に彩(いろど)ってくれたアメリカン芙容(フヨウ)の20数本を、
来年の4月にお逢いしのしょう、と愛惜を重ねながら切り倒したりした。
しかし幼い3年生までは、秋を迎えると葉は黄色く染られるので、
私はうつろう時節を共に過ごしたく、残したりした。

そして奮戦して草むしりをしたが、2時過ぎに体力の余力はなく、私は断念した。


庭のそれぞれの片隅にある金木犀〈キンモクセイ〉の樹は2本ばかりあるが、
10月の初旬になると、枝先の周辺にたわわな実が付け、
橙黄色の小花が咲くと、時節の到来を毎年教えられてきた。

私は微(かす)かな匂いが漂う金木犀(キンモクセイ)の芳香は好きであるが、
盛りを過ぎる頃、樹の周辺に橙黄色の小花が黒土の上に落ち、
彩〈いろど〉る情景に幼年期の頃から魅了されている。

このように思っている私は、主庭の中途半端な手入れとなってしまったので、
せめて次回は金木犀の咲く前に、手入れをしょう、と決意したりした。

そして私は若き40代のサラリーマン時代は、休日の時に炎天下の中でも、
7時間ぐらいは気力で、体力にまかせて庭の手入れをしたりしたが、
あの頃の自分の若さには適〈かな〉わない、と高齢者3年生の私は苦笑したりした。

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