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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私が険悪する言葉・・♪

2007-08-28 15:15:00 | 定年後の思い
昨今、新聞、雑誌、テレビ等で視聴したり、日常生活の外出などで耳にするたびに、
私は気になり、険悪する言葉がある。
一番困るのは、テレビの出演された30、40代の小奇麗な女性が使ったりすると、
容姿に似合わず蓮っ葉な言葉で使うので、程度の低い人、と感じてしまうのである。


★はまる

若い人が使うのは、言葉の感性が乏しいと苦笑をしたりしているが、
少なくとも40歳以上の大人の人が使うのは、
いかがなものかしら、と思っている。

この言葉は、江戸時代以来の枕詞に近い男女間の会話と、私は思っている。

☆夢中になっている

☆熱中している

少なくとも大人と思われる方には、使って頂きたい、と思っている。

反論されるお方は、流行している言葉を使わないと、
時流から取り残される、と危惧し、あえて使っている方も見られる。

日常の言葉は時代を移す鑑(かがみ)と称されているが、
日本の古来より美しい言葉があるのに、
日常生活の基本は、さりげない会話から成り立っているのに、
余りにも粗末にしていると感じるのである。

★ムカツク

この表現も険悪する。
このような言葉を口にだしたら、相手のお方は・・
こうした心情を思えば、少なくとも大人の人は使えないはずである。

私の現役時代、職場で若い方が使っていて、
私は感性の乏しい人、人格形成の薄さを感じてしまったのである。


私の幼児の頃、農家で育ったのであるが、言葉が乱暴であったりした時、祖父、父はもとより、
近所の叔父さん、叔母さんから叱咤を受けたりした。

その言いかたは何だ・・言葉を粗末にするなぁ、と小突(こづ)かれたりしてきた・・。

私は言葉ひとつとっても、貧富さとか社会の地位とかは関係なく、
そのお方の人格を表わす、と確信している。






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夏の匂(にお)い・・♪

2007-08-28 08:32:00 | 定年後の思い
ときおり私は、自分が綴った文章を省(かえり)みたりする。
特に昨年の夏は・・一昨年の頃は何を思っていたのだろう、
と他愛ないことを振り返ったりする・・。

今朝は、今年の夏は7月には曇り、雨の日が多く、
8月になると平年以上の猛暑が多く、
スーパー、八百屋さんの店頭で並ぶ農作物が影響を見られているので、
昨年の夏は・・などど振り返りかえったのである。

一昨年の夏の終りに、私は西瓜(スイカ)のことを綴って折、
今年の夏を振り返ると、思わず苦笑したりしている。


スーパーで買物を済ませ、八百屋で野菜物を見ていたら、
西瓜があり、富良野産とシールが貼ってあった。

買物車にくくりつけた段ボールの中は、
野菜物を入れると溢(あふ)れそうになるので、迷ったのである。

結果としては、重い西瓜を片手に提(さ)げて、
片手に買物車を引っ張って、住宅街を抜けて歩いた。

サルスベリと称されている百日紅の淡い紅色の花を観たり、
宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)の底紅の純白の花びらを誉(ほ)めたりして、
暑い日中、アロハシャツも汗まみれとなりながら帰宅した。

夕暮れのひととき、家内と西瓜を食べながら、
『富良野の西瓜・・昔風の味だねぇ・・
最近は甘味が多すぎたものが多いが・・こうした味も俺は好きだなぁ・・』
と私は家内に言ったりした。

食べはじめていると、甘味が口いっぱいになり、
夢中で食べ終わると、口の周(まわ)りは西瓜特有の夏の匂いが漂(ただよ)った・・。

今年は6月の下旬より、茨城産、福島産、秋田産、北海道産を食べてきたが、
今日で西瓜は夏の香りを残して、最後と思われる。

家内は、夏の果物に関しては、メロンより西瓜が好きである。


このように一昨年の9月2日で綴っていたが、今年は天候が不順なので、
不作なのか高騰し、私が西瓜を提げてきたのは、
確(たし)か3回だったかしら、と家内と昨夕話したりしていた。









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