東京の郊外は、8時過ぎには早くも30度を越えて、相変わらず暑い日中を迎えようとしていた。
私はここ10日前後は、最寄のスーパーで買物を済ませたり、
少し遠回りして散策をしている程度であった。
本日は駅前の歯科医院に10時半に予約しているので、
9時半過ぎに家を出て、川沿いの遊歩道を歩いた。
途中で私の好きな底紅で純白の花びらの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が数多く咲いていたが、
炎天下の中、心に余裕がなく、少し観ただけで先を急いだ。
駅前のスーパーのトイレで、顔を洗った後、本屋に寄った。
これといって欲しい本がなかったが、新刊本コーナーで、一冊の本の題名に惹(ひ)かれて、購入した。
今年の春に敬愛した作家の城山三郎の追悼して一冊であり、
『城山三郎 命の旅』(講談社)であり、内橋克人、佐高 信の両氏が編集された本である。
私は城山三郎・氏に関しての思いは、少なくとも2篇綴っているので省略する。
『慈父のような存在だった城山三郎・氏・・!!』 投稿日:2007年3月23日
『慈父のような方、死の淵(ふち)に・・。』 投稿日:2007年6月11日
この後、歯科医院の待合室で読みはじめ時、
私の名前が呼ばれたので中断した、
治療後、コーヒーショップの『ドトール』で、
アイスコーヒーを飲みながら、編集された内橋克人、佐高 信の両氏に寄る対談のタイトルが、
”慈母”としての城山三郎
と掲げられていたので、私は微苦笑をしたりした。
そして、座談の名手の特集の中で、
城山三郎、宮澤喜一の両氏に寄る対談を精読した。
この両氏の賢人の発言に教示されたことは当然であるが、
発言された時代に思いを馳(は)せると、
より一層目頭が熱くなる・・。
両氏は今年に他界された方であるが、
こうした人こそ日本の貴重な人であり、稀な人だった、
と改めて私は教示を受けている。
この後、スーパーで買物を済ませ、家内の好みのパン屋に寄った後、
帰宅した。
昼過ぎのニュースで、東京は37度の猛暑と報じて折、
私は洗面所で顔を洗い、クーラーの冷気に身を寄せたりした。
私はここ10日前後は、最寄のスーパーで買物を済ませたり、
少し遠回りして散策をしている程度であった。
本日は駅前の歯科医院に10時半に予約しているので、
9時半過ぎに家を出て、川沿いの遊歩道を歩いた。
途中で私の好きな底紅で純白の花びらの宗旦木槿(ソウタン・ムクゲ)が数多く咲いていたが、
炎天下の中、心に余裕がなく、少し観ただけで先を急いだ。
駅前のスーパーのトイレで、顔を洗った後、本屋に寄った。
これといって欲しい本がなかったが、新刊本コーナーで、一冊の本の題名に惹(ひ)かれて、購入した。
今年の春に敬愛した作家の城山三郎の追悼して一冊であり、
『城山三郎 命の旅』(講談社)であり、内橋克人、佐高 信の両氏が編集された本である。
私は城山三郎・氏に関しての思いは、少なくとも2篇綴っているので省略する。
『慈父のような存在だった城山三郎・氏・・!!』 投稿日:2007年3月23日
『慈父のような方、死の淵(ふち)に・・。』 投稿日:2007年6月11日
この後、歯科医院の待合室で読みはじめ時、
私の名前が呼ばれたので中断した、
治療後、コーヒーショップの『ドトール』で、
アイスコーヒーを飲みながら、編集された内橋克人、佐高 信の両氏に寄る対談のタイトルが、
”慈母”としての城山三郎
と掲げられていたので、私は微苦笑をしたりした。
そして、座談の名手の特集の中で、
城山三郎、宮澤喜一の両氏に寄る対談を精読した。
この両氏の賢人の発言に教示されたことは当然であるが、
発言された時代に思いを馳(は)せると、
より一層目頭が熱くなる・・。
両氏は今年に他界された方であるが、
こうした人こそ日本の貴重な人であり、稀な人だった、
と改めて私は教示を受けている。
この後、スーパーで買物を済ませ、家内の好みのパン屋に寄った後、
帰宅した。
昼過ぎのニュースで、東京は37度の猛暑と報じて折、
私は洗面所で顔を洗い、クーラーの冷気に身を寄せたりした。