ウィトラのつぶやき

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社会人第3の師 Karl Heinz Rosenbrock

2011-02-11 08:55:24 | 昔話

今回は私が社会人第3の師と考えるRosenbrock氏についてである。この人は今は引退しているが健康には問題なく活動している人である。しかし、外国人であり、私のブログが彼の生活に影響を与えることは無いだろうと思うので紹介することにする。

Rosenbrock氏を私が知ったのは彼がヨーロッパの標準化組織ETSIのトップだった時である。私は彼の行動から学ぶところが多かったので師と思っているのだが、向こうは殆ど私を意識はしていなかったと思う。言われれば「そんな人もいたな」という程度だろう。第2の師、佐々木さんは明確に私を意識して育てようと思っていた感じがするのとは大分違う。

ETSIという組織はイギリス、ドイツ、フランスなどの集まったヨーロッパ全体の通信にかかわる標準化を有線・無線を含めてすべて扱っている組織である。これに対する日本の組織はどうなっているかというと、無線はARIB、有線はTTCという2組織に分かれており、私の付き合いの深かったARIBのほうで言えば現在のトップはソニーの中鉢氏である。ARIBのトップはソニー、パナソニック、富士通、NEC、三菱などの社長が持ち回りで務める。

ARIBのトップは実質的には名誉職で、1年に数回、新年会や総会などで挨拶をする程度である。その下に専務理事という人が居て、その人が実質を取り仕切っている。当時は専務理事の下に無線通信グループと放送グループがあり、無線通信グループの中に移動通信グループがあったと記憶している。佐々木さんはこの移動通信グループを率いていた。従って、Rosenbrock氏と私は、大会社の社長と課長くらいのレベル差があり、向こうが記憶していなくてもおかしくないくらいの人物である。

私が初めてRosenbrock氏を知ったのは、1998年、3GPP設立の議論が煮詰まってきて、具体的に内部組織を決めたり、投票権を決めたり、ルールを決めたりする段階の会議でだった。その時の会議のARIB代表は佐々木さんであり、ETSI代表がRosenbrock氏だった。ETSIのトップ自らがこのような会議に出席していること自体が私にとっては驚きであり新鮮だった。

その会議では、ヨーロッパと日本に加えてアメリカと韓国が3GPPに参加することが決まっており、アジア・アメリカ・ヨーロッパで権限を3等分しよう、という議論がなされていた。この提案に最も強く反発したのはETSIのヨーロッパ勢である。既にGSMは世界全域で導入されており、実質的な世界標準でありGSMのシステムを改変するのはETSIの内部組織であるSMGで行われている。3GPPの事務局などもETSIから出すことになっていたので、ETSIの会議にアメリカや日本から参加してもらえば良いではないか、という意見である。

これに対してRosenbrock氏が「地域エゴを出すと話はまとまらない。新しい組織は皆が積極的に参加しようという気持ちになるのが何より大事。まずやってみようではないか」といってヨーロッパ勢を説得した。結局その説得がうまくいったわけだが、良くうるさいヨーロッパ勢がその説得で納得したものだと思う。Rosenbrock氏に対する信頼が大きな要因になっていたと思う。

その後、私は3GPPの無線グループの議長になり、グループの書記(Secretary)を雇うときの採用面接などにも同席させてもらった。Rosenbrock氏はフランス在住のドイツ人なので英語、ドイツ語、フランス語が堪能である。候補者がフランス語ができると言えばフランス語で質問したりして試していた。質問内容も様々な角度からの質問が含まれており、参考になった。外部団体から3GPPにレターなどが来て、丁寧な断りをするときの言い回しなども見事なものだった。

3GPP設立当時に、密接な関係を持つETSIの活動としてGSMの標準化を行うSMGと、SIMカードの標準化を行うSCPがあった。3GPPが設立して1年後にはRosenbrock氏はSMGを解体してGSMの標準化を3GPPに組み込むことを提案してきた。GSMはヨーロッパ発の実質的世界標準である。この時もさぞヨーロッパ内で反対意見があっただろうと思うが、結局GSMは3GPPで議論することになった。

その一方でSIMカードのSCPはETSI内部に留めている。当時のSIMカードは部品の一つで携帯電話に比べればはるかに小さなビジネスだったが、SIMカードは携帯電話に留まらず更に大きな枠組みの核となると判断していたのではないかと思う。10年後の今になって、タブレット端末が出てきてその構想が眼に見えてきていると思う。Rosenbrock氏は業界全体を俯瞰する大きな視野を持った人だと思っている。

なお、このブログを以前から読んでいる読者は「何人まで師が出てくるのか?」と疑問を持つかもしれない。私が師と思う人の登場はこれが最後である。