伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

吉田拓郎 LIVE 2019

2019年11月01日 | エッセー

── *:買ったアルバムについて音楽評論家ぶってネットで語らない人
    *:知ったかぶって吉田拓郎について語ったりしない人 ──
 が「アイ・ライク・ユー」だという。
 先月末リリースされた新譜
     TAKURO YOSHIDA
 2019 -LIVE 73 YEARS- in NAGOYA
 に添えられた小冊子に拓郎自身が綴ったものだ。上記は40数項目並んだうちの2つである。
 恐れながら大樹の陰に寄っかかって異論を唱えたい。大樹とは思想家・内田 樹氏である。
〈恋愛は誤解に基づく。恋に落ちたときのきっかけを、たいていの人は「他の誰も知らないこの人のすばらしいところを私だけは知っている」という文型で語ります。みんなが知っている「よいところ」を私も同じように知っているというだけでは、恋は始まりません。〉(「先生はえらい」から抄録)
 半世紀もファンでありつづけてみれば、そこいらの恋愛なぞはとっくに超えている。「誤解」は高々とした信念と化し、「音楽評論家ぶって」はともあれ、せめて「知ったかぶって」語る資格は有するものと確信する。だから、「この人のすばらしいところを『私だけは知っている』という文型」は赦されていいのだ。

 体調が優れず、この30数年間で初めて“欠席”した。BDの映像が始まった途端、無性に込み上げた。2度目にはついに落涙した。“73 YEARS”の変わらぬ姿に、いや LIVE2016 よりも若やいだ様子にのっけから琴線が弾かれた。なんせLIVEのタイトルに堂々と 73 YEARS と名乗るミュージシャンがいるだろうか。そこに高齢化社会を歯牙にもかけぬ鮮やかな勇姿を見たのは「私だけは知っている」であろう。
 T&ぷらいべえつ with 2019T's BAND と名付けられたバックは“2016”とほとんど同じメンバーである。しかし格段にグレードアップしている。特にコーラスがいい。ステージのデザイン、ライティング、ポジショニング、全曲が拓郎作詞作曲の楽曲によるセットリスト、すべてが新鮮でかつ渋い。巨細にわたってソフィスティケートされている。今までのLIVEとは次元が違う。<ボーナス映像>に収録されたツアーメイキングに、その辺りの並々ならぬこだわりが垣間見られる。
 なんといっても出色は新曲『運命のツイスト』(もちろんこれも詞・曲ともに拓郎)である。なんと拓郎がステージでツイストを踊った。 「僕の長いライブの人生で/『踊った』事が過去にあったか・・/踊りたくなる曲に仕上がったから/身体が動くから『踊ろう』と思った」と彼はいう。
  〽もっとあなたと生きたいネ
 と始まり、
  〽思いもかけないはるかな旅路に
    君に届けと唄がきこえる
 と締める。なんともこころが腰振る応援歌ではないか。前記の「アイ・ライク・ユー」に、
〈*:「昔は良かった」とか「あの頃はこうだった」ばかり言わない人〉
 が「ライク」だとある。曲にすると、こうなるのか。
 同じく「アイ・ライク・ユー」に
 〈*:日本のフォークソングが好きじゃない人〉
 とは語るのだがやはり氏より育ち、60年代後半から70年代初頭をハイティーンとして潜った世代は、常に何かにプロテストし続けている気がしてならない。もちろん同じ時代の一部の体験であったとしても全体が共有していたように振り返る「模造記憶」ではあるだろう。だが、世代感覚とはそういうものではないか。
 『結婚しようよ』にしてもそうだ。ただのラブソングではなかった。「御両家、御婚儀相整いまして」という家制度の因習に訣別を宣し、条件はただ一つ、2人の髪の長さだと言い放ったプロテストソングだった(12年7月の拙稿「いまさら『結婚しようよ』」で詳述した)。
 何かへの乾きは今もつづき、何かへの異議申し立てはなおも止まない。“73 YEARS”とは団塊の世代の魁である。拓郎の背に心地よく負んぶされ、あるいは後ろに回って嗾ける。そんな半世紀であった。
 オーラス、今回のライブでも彼はいつもの長い長いお辞儀をしてステージを去った。お辞儀をするのはこちらだろうと少し恥ずかしくもあった。
 と、また「知ったかぶって」語ってしまった。だって、『私だけは知っている』のだから。 □