伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

異様な対応

2019年05月29日 | エッセー

 黒塗りの霊柩車が校門から出ていく。ヘリから送られる映像……。もちろん、夢だ。寝つけなかった昨夜、見た。
 以下、杞憂を記す。
 〈不審者情報の共有強化を指示 首相、川崎死傷事件受け  事件を受け、政府は関係閣僚会議を開いた。安倍首相は、事件の全容解明のほか、警察や学校が把握した不審者情報を共有する仕組みを強化し、子どもの安全確保に活用するよう、閣僚らに指示した。「登下校時に子どもが集まる箇所などの点検を再度行い、警察官による重点的な警戒、パトロールを行うとともに、地域住民による見守り活動などとの連携を密にしてほしい」と話した。〉
 朝日の報道である(抄録)。異様ではないか。ほとんど未解明の段階で一国のトップが前面に出て、こうまで即断し指示を出す。「不審者」とは何なのか。どういう基準で誰が決めるのか。彼は不審者だったのか。明確な殺意とターゲットをもった計画犯だったのか。もしそうなら不審者とは呼べない。まだなにも判ってはいない。即断に過ぎるのではないか。また「情報を共有する仕組みを強化」からは相互監視社会、管理社会へのバイアスが臭ってくる。続く発言も安全確保に名を借りた警察国家への志向が見て取れるといっては穿ち過ぎであろうか。
 ともあれ危機に即応する「やってる」感の演出は願い下げだ。本来なら捜査当局の調べを受けて閣僚会議をもち対策を指示すべきだし、当面の対応は警察庁が矢面に立つべきだ。秋葉原事件でもそうだった(福田康夫首相)。ボトムアップであるべき事の順序が逆だ。権力者はその行使にセンシティブであるべきだ。トップダウンの常態化がこの順逆を等閑視させているとすれば、事件は二重に悲惨だ。
 警察国家とは、警察権が強大で、国民の自由や生活を圧迫している国家をいう。杞憂とはそのことである。
 事件の約3時間後、海自護衛艦「かが」の巨大エレベーターがスルスルと下降しトランプ、安倍両夫妻が颯爽と格納庫に降り立った。「かが」はこれから改修され事実上の空母になる。米国製F35B戦闘機を搭載する。先月同類の空自F35Aが墜落したばかりだ。原因は未だに解明されてはいない。原因究明を督促する首相の発言は寡聞にして知らない。F35Bは1機147億円もする。そんなことは忘れさせるような見栄えのする演出である。
 一国の安全保障と子どもの安全確保とはトポロジーが違う話だ。だが、バイアスの向きが同等で妙な演出が気に障る。だから杞憂を誘われた。 □