伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

amazon からの不明商品

2019年05月20日 | エッセー

  昨日のこと、amazon から着く予定の書籍を待っていたところだった。届きはしたが、本1冊にしてはえらく重い。開けてビックリ、レトルト○○カレーのセット。注文した覚えがない! もしやamazon を騙った新手の押し売りか。貧窮を哀れんだ天の差配か。なにせ送り主がどこにも書かれていない。届け先の氏名、住所、電話番号はまちがいない。爆薬を煮込んだルーが過熱とともに辺り一面を一瞬で吹き飛ばす仕掛けか。イスラムを冒涜した記憶はないし、テロるほどの値打ちのある人間ではない。ならば一体、これはなに?
  とりあえず厳重に保管して、営業日の今日を待って“調べ”を開始した。心当たりに連絡するも、すべて外れ。遂に配送センターで注文番号を頼りにトレース。行きつ戻りつ、やっと発注者が自らの氏名他を入力せずに発注したことが判明。それが誰かはお教えできませんが、先様にメールで事情をお知らせしますとのことで“調べ”は終わった。後刻、友人から電話が入った。数日前、彼はメールでカレーの件を知らせていたという。読み落としたか。というか、体調不良で食欲がないと聞いた彼が好物のこれなら喰えるだろうと、先日カレーを届けてくれたばかりだったのだ。だから心当たりから外していた。まことに恐縮の行ったり来たり。丁重にお礼を述べて、一件落着となった。
 不思議なことに交易は沈黙交易から始まった(14年3月の小稿『妻はクロマニヨン人?』で触れた)。しかしもっと不思議なことにそれは不等価交換であった。
 他集団との境に何か贈品らしき物が置いてある。当方にはないものなので、価値がよく判らない。でも何か返さねばならない。思案の挙句に、ともかく何か値打ちの物を置く。そうすると、今度は先方が何かを返してくる。何度も繰り返されていくうちに、それぞれの品物の価値が判明してくる。このデコボコした不等価交換が交易のループを起動させた。もしも端っから等価の交換であれば、ループは1回で終わったはずだ。25万年前のクロマニヨン人から、そのようにして交易のダイナミズムは生まれたといえる。
 内田 樹氏は、不等価交換こそ沈黙交易の本質であるとする。そして、ネットショッピングや通販の隆盛は沈黙交易への回帰でありその新ヴァージョンであるという。
 〈店で買うより割高の、それも不要不急の品物を、買わずにはいられないというこの衝動はどこから来ると思いますか? 通販が本質的なところで沈黙交易的だからだと私は思います。無言でお金を送金すると、無言で品物が届けられる。相手がそういうふうに見えないものであればあるほど、私たちは「交換を継続したい」という、どうにも抑えがたい衝動を感じてしまう。理由は不明。でも、クロマニヨン人以来、ずっと人間はそうなんです。それに第一、どうして社名が「アマゾン」なんです? 変でしょう? もっとも先端的なネットビジネスの会社名が、どうして世界でもっとも深い密林地帯を流れる川の名前なんです? なんで「ハドソン・ドットコム」とか「セーヌ・ドットコム」じゃないんです? アマゾン・ドットコムの創業者はおそらく自分たちのビジネスが本質的なところでかつて密林の奥でインディオたちが行っていた沈黙交易と同質のものであることを直感していたんだと思いますね。〉(「先生はえらい」から抄録)
 送り主不明のamazon商品。密林から黙って届けられた。その友愛に等価の返礼は見つけ難い。不等価交換でどうかご勘弁を。 □