金正恩にとって核・ミサイルは死活的に重要な切り札であり、かつ打ち出の小槌でもある。狙いは体制保証と経済発展だ。トランプがほしいのはレガシーである。内政の行き詰まりを外交で糊塗しようするのは古今東西の三流政治家が採る常套手段だ。金正恩はトランプの足元を見て巧みに焦(ジ)らしつつベネフィットを引き出そうとしている。
プーチンにとって北方領土は死活的に重要な切り札であり、かつ打ち出の小槌でもある。狙いは戦利確定と経済発展だ。安倍晋三がほしいのはレガシーである。内政の行き詰まりを外交で糊塗しようするのは古今東西の三流政治家が採る常套手段だ。プーチンは安倍晋三の足元を見て巧みに焦(ジ)らしつつベネフィットを引き出そうとしている。
気味悪いほどのアナロジーだ。ただ、片や2度目の柳の下を目論見、片や25回目のペンディングを“固く”約束したその回数には格段の開きはあるが。なんともみっともいい話ではない。
なぜ顰みに倣うのか。石原慎太郎と亀井静香が奇しくも声を揃えて呼ばわったように「トランプのポチ」ゆえであろう。この場合、就任期間のタイムラグは考慮の外だ。内実を問題にしている。フェイクで塗り固めた反知性主義者の道行(ミチユキ)は古今東西変わりはない。
火器管制レーダー照射問題についてマスコミは囂しいが、極めて皮相な論議がつづく。どちらに非があるか、軍事オタクを引っ張り出して当方の無謬が繰り返しアナウンスされる。しかし、問題はそこではない。同じ陣営にある隣国となぜこれほどまでに信頼関係がないのか。それこそ問われるべきではないか。自衛隊幹部が「今の韓国軍を『友軍』と呼ぶことはできない」と言ったそうだ。韓国軍も同じ言葉を返すだろう。安全保障を下支えする味方意識すらない。慰安婦、徴用工すべて然りだ。すべて信頼の輪が寸断していることに基因する。なぜか──。カネで解決した気になっているからだ。
昨年11月の小稿「大法院判決」から賢者の言を引きたい。
いくらカネを積んでも、いくら取り決めを巡らしても、敗戦の処理は終わってはいないという現実。30年に及ぶ被征服民のルサンチマンは軽く考えない方がいい。内田 樹氏はこう語る。
〈自分を相手の立場に置いてみる想像力があれば、「謝罪は済んだ。われわれには咎められる筋はない」という態度を示されたら「そういうことなら永遠に許さない」という気分になることくらいわかるはずである。今の歴史認識問題は事実関係のレベルにあるのではない。解釈のレベル、さらに言えば感情のレベルにある。経験則は「無限の謝罪要求」は「もう謝ったからいいじゃないか」という自己都合ではなく、「あなたの言い分には十分な理がある」という「自分の立場をいったん離れた承認」によってしか制御できないことを教えている。〉(「内田 樹の大市民講座」から抄録)
こういう論調には屈辱外交という言葉が必ず返ってくる。屈辱とはなにか。決別したはずの過去への道、戦争への道に引きずり込まれることこそ屈辱ではないのか。外交にはそれ以外に「屈辱」の名は見いだせない。屈辱、みっともない話。つまりは人類的宿痾に屈服させられ恥辱を受けるからだ。 □