伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

ゴリラに学ぶ

2017年08月12日 | エッセー

「人間は原則として、みんなで集まって食事をするでしょう。テーブルを囲むこともあれば、鍋をつつくこともあり、あるいは銘々皿にとって食べることもある。ただし、いずれの場合でも共通しているのが、みんなの顔が見える状態で食べることです」
 こういう話はゾクゾクする。確かにサルはてんでにどこかを向いて喰っている。みんなでエサを囲んでお食事なんて図はない。
 語っているのは山極寿一(ヤマギワジュイチ)氏。現 京都大学総長。霊長類学・人類学者であり、ゴリラ研究の第一人者である。お相手は元 大阪大学総長で哲学者の鷲田清一氏。書名はレヴィ・ストロースの『野生の思考』におまけをつけて、
   『都市と野生の思考』 (インターナショナル新書 今月刊)
 である。“野生の思考”を山極氏が、“都市の思考”を鷲田氏が担う。紹介にはこうある。
──哲学者とゴリラの破天荒対談。これぞ知の饗宴! 旧知のふたりが、リーダーシップのあり方、老い、家族、衣食住の起源と進化、教養の本質など、多岐にわたるテーマを熱く論じる。
 京都を舞台に、都市の思考と野生の思考をぶつけ合った対話は、人間の来し方行く末を見据える文明論となった。──
 鷲田氏によれば、山極氏はフィールド調査で「来る日も来る日もゴリラの糞を計量し、水洗いしてから、新聞紙の上に拡げ、竹べらでかき分け内容物を分析するという『糞分析』を四年間、さらにゴリラの一集団を二年間ひたすら追跡し、その間に調査した巣は三四七五」(上掲書より、以下同様)という猛者である。鷲田氏は「私利私欲は一切抜きにして、傍から見れば何の役に立つのかさっぱりわからないような研究に、どうして正月も盆もないほど必死に取り組めるんだろう、そう思わせてこそ本物です」とオマージュを贈る。対話の帰趨は、やがて教育のあり方に。鷲田氏は、
「結局、教育を投資と考えるから間違うのです。国が大学に対して行うのは投資、個人が授業料を払うのも自分に対する投資という具合にね。教育から投資という概念を外さないといけません」
 と、核心を突く。
 目次は、
   第1章 大学はジャングル
   第2章 老いと成熟を京都に学ぶ
   第3章 家と家族の進化を考える
   第4章 アートと言葉の起源を探る
   第5章 自由の根源とテリトリー
   第6章 ファッションに秘められた意味
   第7章 食の変化から社会の変化を読む
   第8章 教養の本質とは何か
   第9章 AI時代の身体性
 と並び、いずれもゾクゾクのつるべ打ちだ。別けても、人類は他の霊長類とは真反対に「食を公開にして、性を秘匿した」との論攷。一体、なぜか? それは読んでのお楽しみである。
 もう一つ。男は中年になると腹が出て頭が薄くなる。浅田次郎流にいうと「ハゲ・デブ・メガネの三重苦」である。それは、なぜか? 子どもに親近感を持たせるためだという。キューピーのようなものだ。いかめしいと寄りついてくれない。つまりは文化を孫に隔世代で伝承するためだそうだ。そういわれると対象者は未だいないもののにわかに自信が、生きる希望がふつふつと湧いてくる。山極先生、ありがとう。
 ついでにもう一つ。ファッションはオスを起源とする。オスライオンのたてがみ、オスゴリラの背中にある白い毛はオスを象徴する「変更不可能な装飾品」である。山極氏はそれを「人は変更可能なもので補った。それがボディペインティングだったり、羽飾りだったり、毛皮を着ること」だったとする。受けて、鷲田氏は
「ヨーロッパのファッションはもともと、男性が自分の地位や社会的な力を誇示するためのものだったのです。それが一九世紀の初めあたりに、女の人がファッションシーンの中心になって大転換が起こった」
 と語る。はたしてそのわけは? お後は、どうぞ本書にて……。
 衝撃の発見、甚深なる洞察、分厚い知性からの警鐘と展望。ともあれ、今年の新書ベスト3にはまちがいなく入る名著である。前後するが、冒頭で交わされるゴリラに学ぶリーダー論は震えるほど教訓に満ちている。 
 サルだって反省する。永田町には反省のふりだけするサルもいる。この際だ。ゴリラに学ぼう、人の道を。 □