伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

シルバーウィークに寄せて

2015年09月22日 | エッセー

 シルバーウィークである。敬老の日を中にした連休だから高齢の意でそう呼ぶものと勘違いしていた。実は5月のゴールデンウィークに対してのネーミングだという。それでは格落ちだろう。長の骨休みに金も銀もない。せめて春のゴールデンウィーク、“秋のゴールデンウィーク”とでもいえばいいのになどと、繰り言が出てくる。
 今時点で65歳以上は3400万人、総人口の27%に達した。内、ざっと4分の1は団塊の世代だ。なんだか肩身の狭い気がしないでもない。
 間違いなく増えるのは脳卒中、癌、心筋梗塞、認知症などのいわゆる老人病である。それらへの対処はもちろん大事だが、もっと気をつけねばならないのは『昔はよかった病』ではないか。
 「昔は治安がよかった」 
 「昔はクレーマーなんていなかった」
 「昔、コーラもウーロン茶もなかった」
 「昔は熱中症で倒れる人なんていなかった」
 「昔は敬老精神に溢れていた」
 「昔は絆社会だった」
 「昔は皆勤勉だった」
 などである。ことごとく間違い。
    酒のまぬ身のウウロン茶、カフエ、コカコラ、チヨコレエト
 この戯れ歌、作ったのはなんと芥川龍之介。大正14年、立派な「昔」である。といったエピソードも交え、目から鱗の検証が連発する。
 本年7月刊、新潮新書。
    「昔はよかった」病
 作者はパオロ・マッツァリーノ、イタリア生まれの日本文化史研究家を名乗る。だが、どうもイザヤ・ベンダサンの同族とみて外れはないだろう。
 この本、実におもしろい。この病は大人世代を覆うのだが、罹患率は圧倒的にシルバー世代が高いはずだ。なにせ5000年前のエジプト遺跡から出土した粘土板には、「最近の若者はけしからん。俺が若い頃は……」という象形文字が刻まれている。裏返せば、『昔はよかった病』の典型的な病症だ。振り返れば人類は少なく見積もって、なんと5000年もの長きに亘ってこの病識をもたないまま過ごしてきたともいえる。宿痾に近い。
 さてその病因について愚案を巡らすうち、佐藤 優氏の達識にハタと膝を打った。。
 チンパンジーは分裂病以外のさまざまな精神病を患う。さらに手話やキーボードによる言語学習能力があることが判明し、ヒトにとって「言語」という最後の砦も危うくなっている。氏は「彼らは萌芽的な形でなら、人間のもっているものは何でももっている」と語る。これは大変だ。だがしかし、“救い”はあった。
◇ひょっとすると、これだけは人間特有と言っていいかもしれないものが一つある。自分を騙すという能力である。
 「客観性、実証性を軽視もしくは無視して、自分が欲する形で世界を解釈する」という態度は、「自分を騙すという能力」でもある。  
 自分の都合の良いことはよく覚えているのに、都合の悪いことはすぐに忘れてしまう性質、あるいは自分のことが本来とは随分違う姿に見えてしまう性質……。つまり物事を無意識のうちに誤解し、錯覚する能力だ。こうした「自己欺瞞」の能力こそが人間の危機を救ったものと思われるのである。賢いはずの人間が時々とんでもなく大アホであることの理由は、一つにはこういうところにあるような気がする。◇(祥伝社新書「知性とは何か」から抄録)
 6月の拙稿「そんなに急いでどこへ行く?」で触れたが、動物も擬態やカムフラージュによる嘘をつく。しかし自分を騙しはしない。「人間の危機を救った」とは、知性の高度な発達による精神的クラッシュを防ぐことだ。「自分の都合の良いこと」をすぐに忘れ、「都合の悪いこと」をすべて忘れなければどうなるか。自分を苛み続けるにちがいない。「自分のことが本来」通りの姿に見えれば、自己嫌悪に陥る。これでは遺伝戦略上、不都合だ。だから「自分を騙すという能力」が備わったのではないか、そういう話だ。
 となると、『昔はよかった病』も自己防衛のための宿痾といえなくもない。しかし、それは反知性主義と裏腹でもある。今年のシルバーウィーク直前には、その反知性主義のゾンビが永田町で荒れ狂った。これだけは『昔はよかった病』の発症を断じて抑え込まねばならない。でなければ、本物の『昔はよかった』になってしまう。 □