やっと7合目までたどり着いた。
「街道をゆく」
こちらは読むだけなのだが、なんとも遅々とした歩みである。ただ今度ばかりは、漫然と進むわけにはいかない。個人的にではあるが、最大の山場に差しかかる。刮目しつつ、一歩ずつを踏み締めねばならぬ。
「愛蘭土紀行」
アイルランドへ、著者は対岸のリヴァプールを経由して渡る。87年のことだ。まさかビートルズに触れないわけにはいくまい。歴史家の慧眼に、彼らがどう映るか。 ―― 世紀の出会いだ。と、いえば大袈裟だろうが、わたしには頃合いの措辞である。
出会いは、「ビートルズの故郷」「死んだ鍋」、2回に亙って記されている。
≪人の声を聴くことは好きだが、音楽をふくめた音響がにが手なのである。
だだ、リヴァプールにゆく前にビートルズのことをすこしは知りたいと思い、幾冊かの本を読んだ。前述の理由によって、そのサウンドをきくことは御免蒙った。≫(上掲書より、以下同様)
耳のせいにしているが、おそらくそうではあるまい。世代ははるかに違う。御免蒙るサウンドであったろうことは予測の範囲内だ。肝要なのはサウンドはなく、サラウンドな視野だ。(ちょっと失礼)
イギリスとアイルランドとの確執 ―― というより、800年に及ぶイギリスのアイルランド支配。差別と貧困。反抗、独立。 ―― は何度も書き込まれる。ここの理解が浅いと、アイルランドはもとよりビートルズの輪郭が闡明にならないからだ。おかげで浅学菲才なわたしなぞ、大いに蒙を啓かれた。とりわけ彼らが放つ諧謔や反骨といった精神の因って来たる土壌が詳らかになった。タイトルにも使われた「死んだ鍋」である。
≪ビートルズの発言が、アイルランド人のいう死んだ鍋をおもわせる。
アイルランド人が吐きだすウィットあるいはユーモアは、死んだ鍋のように当人の顔は笑っていない。相手はしばらく考えてから痛烈な皮肉もしくは揶揄であることに気づく。相手としては決して大笑いできず、といって怒りもできずに、一瞬棒立ちになる。
(アメリカ公演での会見で)記者が、コドモのようなこの連中に愚弄されているのである。たとえば、記者が、「ベートーヴェンをどう思う?」ときく。ばかな質問である。
四人のなかのリンゴ・スターが答える。かれも、アイルランド系である。「いいね」と大きくうなずき「とにかくかれの詩がね」。
これが死んだ鍋である。才能という以上に、文化としか言いようがなく、ついでながらリンゴはこのとし二十五歳だった。
MBE勲章を授勲されるという新聞記事が出たとき、第二次大戦でそれをもらった旧軍人たちが、抗議のためつぎつぎと勲章を返上した。
そのことについてきかれたとき、ジョン・レノンは「人を殺してもらったんじゃない。人を楽しませてもらったんだ」といった。これも、死んだ鍋である。
「勲章はどこにある」
と、東京で記者がきいた。
「ここにあるよ」
と、コップをあげた。コップ敷きをみせて笑った。≫
ファンならずとも知る有名な逸話だ。さらに、次のように続く。
≪死んだ鍋というのは、問題が拠って立つ絨緞を、問題ぐるみひっぺがすようなところがある。問題だけでなく、ひっぺがすのは自分自身でもよく、相手そのひとでもいい。さきにふれた例をくりかえすと、
「……とくにかれの詩はね」
と答えたリンゴ・スターの“死んだ鍋”は、質問者である記者が権威として敷いているべートーヴェンという絨緞を、記者ぐるみひっぺがすことで成立するのである。≫
前述の「イギリスとアイルランドとの確執 ―― というより、800年に及ぶイギリスのアイルランド支配。差別と貧困。反抗、独立。」から、「死んだ鍋」は鋳出(イダ)されたものといえる。規模と期間に違いはあるものの四捨五入すれば、日本と韓半島に準えられもしよう。一衣帯水の位置、見分け難い容貌(特に欧米の目には)、植民と怨恨、移民、移住、差別と反骨。似てなくもない。
リヴァプールはアイルランドともっとも因縁が深い港町だ。かつて移民のとば口になった。となれば、悲哀が漂う。著者は演歌粧(メカ)して「涙の港」という。巧い言い方だ。その子孫が人口の4割を占める。ビートルズも3人がその系譜に属する。リンゴ・スターは不明とされるが、同書ではアイルランド系とされている。となれば、メンバーみながそうなる。中でもジョン・レノンが一番激しく民族的系譜に拘った。後述するが、ジョン・レノンという一個の魂に、最も濃密に継承されているのがアイルランド民族の血の滴りではないか。
「涙の港」につられていうと、「エリナ・リグビー」は「YESTERDAY」に比肩される古典的趣を纏った名曲である。聴くほどに、遣り場のない寂寥感に圧倒される作品だ。
≪リヴァプールの横町の軒下に、銅像がうずくまっている。
少女の像で、そばに銅の小鳥がいる。
像は青錆びるいとまもないほど、巡礼者たちから撫でられて、ところどころ真鍮色に光っている。ビートルズの曲目のなかに出てくる少女だそうである。
私の少年時代の記憶のなかに、大和の当麻寺の賓頭盧(ビンズル)さまがあって、撫で仏だった。寺の濡れ縁のすみに安置されていて、ひとびとに全身をなでられていた。頭痛もちならその頭を、眼病でなやむ者ならその両眼を、というぐあいで、目鼻だちの凹凸がなくなっていた。この少女像も、タマゴのようになってしまっている。
リヴァプールはどこか、古典化しつつある。≫
星霜を経るという謂ではなく、位相を変えることをもってビートルズは古典化した。「涙の港」の名付けも、この曲の調べも、つくねんと座る『撫で仏』も、「泰然として錆びはじめている」(同書)街のあり様も、「古典化」という修辞が何より似合う。港湾では立ち行かず、当時ビートルズを資源とする観光立市をめざしていた。なににせよ、歴史家の眼は鋭い。銅像の摩耗に4人の若者が世界に注いだ至福の霖雨を偲び、「撫で仏」も適わぬ音律の妙薬を重ね合わせる。
さて、ジョン・レノンについてだ。
≪私はきたやま・おさむ氏の『ビートルズ』を読みつつ、ふと遊びの連想ながら、ジョナサン・スウィフトという、自分や他人の生そのものを皮肉としてしか見なかった作家を重ねたくなった。ジョン・レノンの出生よりも二百七十余年も前にうまれたこのアイルランド人の作家もまた“残酷で人を突き放すジョーク”のもちぬしだった。となれば、よくいわれているようなアイルランド気質と関係があるのではないかという“妄想”がわいてしまう。≫
精神科医であるきたやま・おさむ氏は著者が引用した『ビートルズ』のなかで、ジョンの少年時代に見いだし得る“唯一の魅力”は「残酷で人を突き放すジョーク」にあったと書いている。
その「アイルランド気質」について、
≪アイルランド人は気骨もしくは奇骨の民族である。死神のように低温の自虐的なユーモアをもち、起きあがった病み犬のようないたましい威厳を感じさせる独特の修辞をそなえている。これらは、アイルランド人一般のものでもあるらしい。一般といったが、語弊を避けるために、典型といっておく。アイルランドにもさまざまな人がいるはずだからである。≫
と述べる。アイルランド人の典型としてのジョンとスウィフト。その対比には唸る。付け加えれば、両者の足跡の巨大さにくらべ、どちらも不遇な最後であった。ただ、天才に属する人は往々にしてそうだともいえる。
「ガリヴァー旅行記」は子どもにも読まれるポピュラリティーの中に、この上なく痛烈なアイロニーが綴り込まれている。それはちょうどビートルズの前代未聞のポピュラリティーが「アイルランド気質」に裏打ちされていたのと同様といえる。まことに血は水より濃いというべきか。
≪アングロ・サクソンは文学においてシェイクスピアという超弩級の巨人を生んだが、絵画においてはフランス・スペインといったラテン系のようには天才は生まなかった。また音楽においても同様だったらしい(ビートルズについては、四人のうち三人が、アイリッシュ系英国人である)。≫
肝心なのは括弧書きの部分だ。アングロ・サクソン、別けても英国の音楽における劣位を破り、一気に頂点に押し上げたのがビートルズである。しかしそれはより正確にいえば、「アイリッシュ系英国人」によるものだった。なお正鵠を得るなら、「アイリッシュ系」であった。さらに絞り込めば、「アイリッシュ」の血ではなかったか。先述の通り、ここが今回の「紀行」により蒙を啓かれた核心である。
歴史と音楽、異なる世界が巡り合う。それだけで胸が躍る。「世紀の出会い」は、期待にたがわず多くの収穫を与えてくれた。だがそれにもまして、この歴史家と4人の音楽家と、ともに同時代を生きたこと、それ自体が千載一遇の佑命であった。極小とはいえ、これもまたひとつの「世紀の出会い」ではなかったか。 □