伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

はやぶさ『くん』

2010年11月15日 | エッセー

〓〓地球に帰還する「はやぶさ」は、まさに満身創痍の状態でした。カプセルを分離してしまったら、もはや「はやぶさ」本体の役目はおしまいです。大気圏にまっすぐ突入して死んでいくだけです。
 チームを率いる川口淳一郎プロジェクトマネージャーが決断しました。
「最後に、はやぶさくんに地球を見せてやりたい」と。(中略)
 川口プロジェクトマネージャーが「はやぶさ」に「くん」をつけて呼ぶのは、このときが初めてのことでした。彼はとてもクールな男で、それまで、そういう面を見せたことがありませんでした。ですから、まわりの人たちもびっくりしていました。〓〓(NHK出版「小惑星探査機 はやぶさ物語」より)

 著者の的川 泰宣氏(JAXA名誉教授・技術参与)は、このプロジェクトの奇跡的成功は川口氏なしにはありえなかったという。 ※JAXA:宇宙航空研究開発機構
 イトカワに着陸し、サンプルを採取するため弾丸を撃ちつける。最大の見せ場だ。その発射の連絡が届いた時でさえ、歓声が沸き上がる中ただ一人にこりともせず「火薬が炸裂したかどうかはまだわからない」と冷静だった。案の定不発に終わり、カプセルには塵埃のたぐいしか期待できなくなった。(分析には12月までかかるらしい) それほどの「クールな男」から出た言葉が「はやぶさ『くん』」であった。戻ってきた「はやぶさ」は、彼にとってはすでにマシンを超えた存在であったにちがいない。血を分けた子供か、身を分かった分身か。

 擬人化について考えている。
 各種の報道によっても、また上掲書を読んでも、人類初の快挙であり ―― ほかの惑星に行って戻ってくる(しかもサンプルを採取して)―― かつ絶望的状況からの帰還であっただけにドラマティックな要素に満ちていた。
 不具合が起こり、故障があり、背水の陣が敷かれ、決行され、夢が実り、危機が見舞い、漂流が始まり、音信が途絶え、諦めと戦い、発見が叶い、遠慮が活き、再起があり、60億キロを飛び、そしてついに任務を果たし終え、故郷・地球の大気のなかで跡形もなく燃え尽きた。
 常人の畢生よりも劇的だ。「はやぶさ『物語』」といわずしてなんとしよう。人に擬するのは当然であろう。「はやぶさ『くん』」も納得だ。たださすがに学術の人、「はやぶさ『たん』」ではなかった。そうなれば、当節の「萌え擬人化」になってしまう。たしかに相模原の管制室にスタッフが籠もってオペレーションに取り組む様はオタクといえなくもないが、こちらは文字通り気宇壮大にして歴史的偉業への挑戦であった。心意気がまるでちがう。
 「萌え擬人化」はコンビニや鉄道、果ては法律にまで及んでいる。まことに珍妙としか言い条のない現象である。古代ギリシャに始まった擬人法が永い時の果てに辺境で煮詰まって、異形な進化を遂げたと見るべきか。少なくとも退嬰化の極みでないことを祈りたい。

 文芸は措くとして、日常ではペットが擬人化される。抱いた犬や猫に、ご婦人方が使う「この子」はつとに耳にする。筆者など直接この措辞に接した時は、「お前が生んだのかい。それにしちゃー、カワイイでないか!」と、必死に言葉を飲み込みつつ心中毒づいている。まったく年甲斐もない(もちろん向こうが、だ)。
 人にあらざるものを人に見立てるのが擬人化である。だから、ロボットは擬人化とはいえない。マシンが人間に近づき、替わることだ。ベクトルが逆である。ひょっとしたら件の奥様方は飼ってるつもりが、犬に擬しつつあるのかもしれない。そうだとしたら、とてつもない恐怖だ。

 ともあれ、精魂を込め命を削って造り上げたものは愛おしいに決まっている。それに輿望を担えば尚更だ。失敗と失望と失意をまるごとひっくり返して掴んだ成功。川口氏ならずとも『くん』と呼びたくなる。
 わが生涯にも、『くん』と付けたくなるようなモニュメントを残しておきたい。ひとつでいいから。 □