伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

贈りものは「大説」

2008年09月27日 | エッセー
 ネットサーフィンをしていると、時として魑魅魍魎の類に遭遇することがある。繁華街で無頼漢に出会(デクワ)すようなものだ。およそ憐れみを誘うほどに夜郎自大な手合いだ。
 こないだも歴史小説の意図するものについて、「司馬遼太郎のごとき知識では分からないだろう …… 」という書き込みがあった。いったい司馬遼太郎を超える博覧強記の士が存在するのであろうか。氏の編んだ対談、鼎談は尋常を超える数だ。当然、相方もその数ほどに多種多様な分野の人物群となる。生半(ナマナカ)な学識で務まるはなしではない。いったいどこが、「ごとき知識」なのであろうか。日本語が読めないのか。それとも病的な、というより自己肥大なる精神の病に冒されているのか。盲、蛇に怖じずか。「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」では、明らかに史記の文意を辱める。燕雀に礼を失するからだ。高山(コウザン)の頂は麓からは瞥見すらできない。高みを信じて登るか、自らの視界で事足れりとするか。自らを相対化する度量なくしては、半歩も進みはしない。

 たとえば「竜馬がゆく」について、あれは『司馬遼太郎の竜馬』であって実像とはちがうという見方がある。 …… 長い引用になるが、まずは以下を御一読願いたい。


「司馬遼太郎の贈りもの」 谷沢永一著 
【智の文学】
 私の見るところ日本近代文学の主導調は人間の情をこまやかに見つめて描きとる方向です。そして、人間の智に相渉ることを嫌った。すくなくとも、智を第一義とはしなかった。それに対して司馬文学は、人間の智を描こうとした。情と智、目ざすところが違った。
 智を描きたいという作家的執念が、題材を歴史にとる、という、それ以外には考えられない筋道に向かわせたのではないかと思います。
 歴史をふりかえれば、幸いなことに、大型人間が数知れず見出せる。智を描くためには、智を体現していたと見倣しても不自然でない豪傑を、つまり『新史太閤記』にいうところの「人間の傑作」を、つぎつぎと探しださなければならない。
 歴史が後世の私たちに遺してくれた畏敬すべき智の実例、そこから智の結晶を取りだす労苦によって、はじめて智を描く方法が成り立ったのだと思います。
 すくなくとも日常生活の茶飯事にかかずらわっていては、智の文学は生まれなかったでしょうね。
 歴史小説家としての技量というか腕前というか、それはもうスゴイの一語に尽きると思います。史上最高です。とびぬけて第一位です。いや、第一位と言ってもまだ足りない。
 智恵を盛る器としては、『論語』のような語録や、プラトンによる対話形式や、司馬遷やへロドトスなど、古代に特有の大河のような史的叙述や、またモンテーニュに発するエッセイなどがあります。
 しかし元来、小説はすくなくとも智を主軸とする表現形式ではないんじゃないでしょうか。その宿命を超えるかのように、司馬さんだけは智の文学をつくりあげた。だから私は例外だと思います。
 抜群のストーリーテラーは智恵を余所見に疾走するし、智恵を主眼とする立場からはストーリーが生まれにくい。司馬さんだけは両者を融合させた。容易には為し難い驚異ですから模倣はできない。 (PHP文庫 96年刊)


 かの吉本隆明を論破した強者・谷沢永一氏のいう「智の文学」とは何であろうか。知識ではない。智慧だ。智慧とは道理を踏まえ物事を的確に処理する精神活動をいう。知識を縦横に駆使する力、ともいえる。知識人から賢人への志向と置き換えてもいい。
 もちろん知識は不要ではない。司馬家の汗牛充棟はつとに有名であり、高さ11メートに及ぶ巨大な書架が、いま「司馬遼太郎記念館」を荘厳する。またその該博は余人の追随を許さない。前記の通りだ。
 また、情は排すべきではない。「街道をゆく」に、氏は綴った。

 
 同国人の居住する地域で地上戦をやるなど、思うだけでも精神が変になりそうだが沖縄ではそれが現実におこなわれ、その戦場に十五万の県民と九万の兵隊が死んだ。
 この戦場における事実群の収録ともいうべき『鉄の暴風』(沖縄タイムズ刊)という本を読んだとき、一晩ねむれなかった記憶がある。(第6巻「沖縄・先島への道」【那覇で】 朝日新聞社刊)  


 終夜ねむれない哀しみを味わうほどの感性なくして、感動の万巻を紡ぐことなどできはしない。情熱に裏打ちされない知性になど、なんの値打ちがあろう。自明の理だ。
 知と情を手挟んでこその、智なのだ。
 「歴史とは、人間がいっぱいつまっている倉庫だが、かびくさくはない。人間で、賑やかすぎるほどの世界である」(集英社文庫『歴史と小説』から)
 氏のこのことばは、実に味わい深い。知と情と智。それらの相関をみごとに言い表している。
 だから「智の文学」とは、少し手垢のついた言い方だが、「人間学」ともいえる。素材は当然、「智を体現していたと見倣しても不自然でない豪傑」、つまりは「人間の傑作」以外にあるまい。逸品は件(クダン)の「倉庫」に秘蔵されている。あとは、氏の桁外れな膂力がガラクタをかき分けてそれを掴み出すのを俟つだけだ。なぜなら、その作業は凡人には到底なし得ない神業に属すからだ。
 したがって、 ―― 『司馬遼太郎の竜馬』であって実像とはちがうという見方 ―― は当たってなくもない。伝記でさえも、自伝ならなおさら「実像とはちがう」であろう。まして生身の人間なら、「実像」なぞ判るわけがない。棺を覆いて事定まる、どころではない。河清とともに川床のあり様(サマ)が透視できるには、やはり百星霜は俟たねばなるまい。その上で、地を這う虫の目による素材の吟味がはじまる。これは「知」の格闘だ。氏の史料への徹した渉猟は高名であり、もはや伝説である。
 ことはそれに停まらない。俯瞰する鳥の目だ。地理的な鳥瞰だけではない。豊穣な歴史の造詣が織りなす時系列の視座だ。まさに時空の両軸に亘る凝視だ。例示の必要はなかろう。司馬作品のすべてが知に溢れ、情が漲り、智が結実する世界だ。

 近現代のアポリアは智を忘れ、知を偏愛したことにある。知にバイアスが掛かると世の進歩がそれに一元化され、随所に齟齬を来たし全体が跛行を余儀なくされる。これも例示の必要はなかろう。押し付けがましい「品格」論議の書割はまさしくそれだ。

 70年、山本周五郎の「樅ノ木は残った」が、NHKの大河ドラマに採用されたこともあり話題となった。「伊達騒動」への新しい解釈を加えたものだ。甲論乙駁した。わたしは当時所属していた学生のサークル誌に、「歴史は動かない」と題する拙文を寄せた。山周の新解釈に賛同する内容であった。まことに舌足らずで恥ずかしい限りだが、この稿でいうところの「智」を提供し得ない歴史小説の無意味を述べたつもりだった。
 史料に忠実であることは当然としても、それには限りがある。「歴史は動かない」 ―― 人知の及ばない深層に歴史があるとしても、さまざまな採掘から種々の鉱脈が発見できるはずだ。過去は動かせないが、歴史のダイナミズムを捉えることはできる。その時、過去は未来を照射する光源となる。「知新」こそ「温故」の目的ではないか。そこに、作者の想像力と創造力が掛かる …… 今にして振り返れば、そんなメッセージを込めたのであろう。

 坪内逍遥が NOVEL を邦訳する際、漢籍を援用した。「小」は日常、民間に通ずる字義がある。かつ著述の形態に縛りはない。それが「小説」である。このことは以前に触れた。
 司馬文学は「日常生活の茶飯事にかかずらわ」ず、「智の文学」として実生(ミショウ)した。それは小説の「宿命」を超える「驚異」の偉業であった。「智恵を盛る器」の完成である。ならば小説ではなく、「大説」の名こそふさわしい。 □


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