伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

2008年8月の出来事から

2008年09月07日 | エッセー
<政治>
●福田改造内閣
 「居抜き内閣」として発足した福田政権で初の内閣改造。閣僚17人中13人が交代、自民党幹事長に麻生太郎氏を起用(1日)
●小沢氏3選固まる
 野田佳彦氏が民主党代表選への出馬断念。小沢代表の無投票3選が確実に(22日)
●総合経済対策
 物価高や景気減速を受け、事業規模11兆5千億円の対策を政府・与党が決定。公明党が求めた所得税と個人住民税の定額減税も08年度内の実施を明記した(29日)
●新党「改革クラブ」結成
 渡辺秀央氏ら民主党離党組の参院議員を中心に4人で旗揚げ(29日)
―― いずれも9月1日の『政変』でニュースバリューが著しく低減した。

<国際>
●中国でもギョーザ中毒
 日本で被害を出した天洋食品製のギョーザを食べた中国人が同じ農薬成分による中毒を起こしていたことが発覚(6日)。中国当局は内部犯行の可能性が高いとみて、集中捜査を始めた。
―― 展開も含め、大方の予想通りではないか。

●グルジア紛争
 分離独立を目指す南オセチア自治州にグルジア軍が進攻すると、分離派と関係の深いロシアも軍事介入(8日)。ロシアは同自治州とアブハジア自治共和国の独立を承認、欧米と対立を深めた(26日)
―― グルジアの前大統領はシェワルナゼ氏だ。ゴルビーとタッグを組み、旧ソ連で新思考外交を推進した名外相である。氏はインタビューに答え、「米国がミサイル防衛(MD)にこだわる限り、ロシアは今回のような強硬措置を取り続けるだろう」と語った。明瞭で骨太な分析である。
 MDは対ロシアではなく対イランだと強弁しても、この国の民族的本能をなだめることはできない。それにしてもMDは『保安官』ブッシュの余計な置き土産だ。
 さらに同氏は「現在の米ロ関係は『新冷戦時代』であり、ロシアのグルジア派兵は、その一例に過ぎない」と述べている。こんな先祖返りは御免被りたい。

●アフガニスタンで邦人拉致
 東部ジャララバード近郊でNGOペシャワ一ル会の伊藤和也さん(31)を武装グループが拉致(26日)。翌日遺体が見つかった。
―― わが身を厭わず現地に貢献している人に対してなんと惨いことを。 …… それは同感だ。しかし社会的攪乱を狙うテロリストにとって、そういう人こそ最大の邪魔者なのだという現実がある。人間を手段化する忌まわしい逆転の思想を抱えた勢力があることもまた現実だ。

●米民主党大統領候補にオバマ氏
 米民主党全国大会で初のアフリカ系大統領候補に指名。副大統領候補にバイデン上院議員を選出(27日)
―― 9月1日付拙稿で触れた。

<社会>
●北京五輪開催
 第29回競技会には史上最多の204力国・地域から選手、役員約1万6千人が参加。日本が9個の金メダルを獲得。中国が51個を手にして初のトップに(8~24日)
―― 先月8日と24日、開会と閉会の日に、2度話題にした。2年後には「上海万博」が控える。東京オリンピックから大阪万博までが6年。テンポは速いが、軌を一にした歩みだ。こんどは長丁場である。治安を含め「進歩」が問われる。
 なお、北島康介の「なんも言えねぇー」は4年前の「チョーうれしい!」を凌ぐ。ことしの「流行語」大賞、最右翼だ。ただ上には上で、「あなたとは違うんです!」という強力なライバルがついこの前現れた。どちらが勝つか、「なんも言えねぇー」

●大分県教委、採用取り消し決める
 教員採用汚職事件を受け、08年度に採用された教員のうち21人が得点のかさ上げで不正に合格したとし、9月上旬めどに(29日)
―― 前稿で触れた。

<哀悼>
●赤塚不二夫さん(漫画家)72歳(2日)
―― 8月7日、朝日は次のように伝えた。
〓〓赤塚不二夫さん葬儀  
 マンガ家の赤塚不二夫さんの葬儀が、7日午前10時半から東京都中野区の宝仙寺で営まれた。交流のあったマンガ家や芸能人、ファンら約1200人が、「ギャグの神様」との別れを惜しんだ。
 祭壇には穏やかな表情の遺影とともに「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」などのキャラクターの絵が飾られた。ひつぎには、原稿用紙や鉛筆、愛猫「菊千代」との写真などが納められた。
 赤塚さんに才能を見いだされたタレントのタモリさんが弔辞を読んだ。「あなたは生活のすべてがギャグでした。あるがままを肯定し、受け入れ、人間を重苦しい陰の世界から解放しました。すなわち『これでいいのだ』と。私もあなたの数多くの作品の一つです」と声を震わせた。〓〓
 九州で「発掘」したタモリを世に送り出すため、東京のわが事務所に住まわせる。自由に使わせ、冷蔵庫にはいつもビールが整然と並んでいる。減ればいつの間にか補充されている。当の家主は仕事場のソファーで寝る。そんな生活が1年以上も続いたそうだ。つとに有名な逸話である。ただ礼を言ったことは一度もない。これは知る人ぞ知る話だ。弔辞の中でそのことに触れた。言えば他人行儀になる、だから避けた。「だが、いまは言います。『ありがとうございました』と」
 「私もあなたの数多くの作品の一つです」これも、いい言葉だ。さすがはタモリだ。
 「さすが」はもうひとつあって、手に持った弔辞は白紙だったとのこと。アドリブを身上とし、話芸に新しい地平を開いた芸人の矜恃か。数時間後の「笑っていいとも」 …… なにごともなくいつもと変わらぬタモリがいた。

● 河野澄子さん(松本サリン事件被害者)60歳(5日)
―― 河野義行さんは妻の看病と冤罪との戦いという二重の苦悩と向き合った。「わが家にとっての松本サリン事件の終わる日というのは、妻が治った日、あるいは死んだ日。ですから松本サリン事件は、これで終わった日になる」とのコメントは印象的だ。法的な決着ではひと一人の人生は償えない。
 法治国家で発生したみっともない冤罪である。捜査力とマスコミのふたつの貧困がある。「千人の真犯人を逃すとも一人の冤罪者を生むなかれ」との大原則に、再度襟を正すべきであろう。
 夫の無実をだれよりもはっきりと知っていたのは、妻の澄子さんであったにちがいない。ただそれを表現する能力を奪われたのが悲しい。
※朝日「8月の出来事」には取り上げられていない

(朝日新聞に掲載される「<先>月の出来事」のうち、いくつかを取り上げました。見出しとまとめはそのまま引用しました。 ―― 以下は欠片 筆)

◇◇◇「出来事」とは直接関係ないが、今月の朝日新聞の中から注目すべき記事を抄録してみた。(一部割愛)
〓〓「わかりやすく」の危うさ  鷲田清一さんに聞く  (8月4日付)
 「わかりやすさ」が人気だ。政治の世界でも教育の場でも。でも、何でも「わかりやすく」でいいのだろうか。危うさは?
<苅部>複雑なはずの問題について、正否を単純に断じる議論を「わかりやすい」と歓迎する風潮が、政治の領域をはじめ、世の中にあります。
<鷲田>我々の社会は一種のサービス社会です。サービスに対して要求度が高くなり、ユーザーとしてクレームをつけるようになりました。
 「わかる」とか「わかりやすさ」には2種類あると思います。一つは、ふだん漠然と思っていることや、もやもやと考えていたことを、他人が別の言葉でポンと言ってくれ、認めてくれる。だからベストセラーになるんです。安心できるんですね。もう一つは、わかっていたつもりのことが全部ちゃらになる。一から組み替えないといけない、と突きつけられる。
<苅部>前者は、小泉元首相にみられたワン・フレーズ・ポリティクスにも通じますね。
<鷲田>彼が使う言葉は、国民の多くが日常の中で感じていたものです。その強度を上げて、ややこしいものは全部抜きにして、ドンと出す。ニュアンスや複雑さへの配慮をあえてせず、それが社会で受けるところに、何か人々の深いいらだちや暴力性の澱を感じます。じゃあ、後者のわかりやすさがいいかというと、こっちも危ない。全部語り直すというのは、幼稚というか性急というか。世界を全部変えてしまおう、みたいな……。
 思考の熱狂をあおっちゃいけないんです。どんな時代でも、誰もが反対しにくい思想があると思うんですが、今ほどそれが並列でいっぱいある時代は珍しいのでは。エコっていうと反エコは言えないし、クールビズも私は抵抗したけどだめ。
 結論が出なくてもいい、出ないまま、それでも決定しなければならないのが私たちの社会生活だとすると、それをしばらく延期するところがあってもいい。気が晴れない、もやもやしている、そういう時に人は「わかりたい」って思うんだけど、「わかった!」っていうカタルシスを求めてしまうと、問題設定も答えも歪んでしまう。
<苅部>異なる価値や利益を追求する者どうしが、どうやって共存するか。それが政治の役割だとするなら、当然、討論や調整に時間がかかることになる。その手間を省き、とにかく「民意」に沿ったように見える決定を、手あたり次第に行うのは政治の自殺でしょう。世論調査の結果に合わせて政策を打ち出し、人気を得る方法もたしかに民主的ではある。でも、そこで前提とされる「民意」が、本当に人々が思っている内容なのか。全体の利益と重なるのか。その検討が飛ばされてしまう。
<鷲田>すべてが説明できるとは限らないという苦痛をヒリヒリと感じ、息を詰めていないといけないということもあるんです。わからないことへの感受性をどう持ち続けるか。答えを急いで出さず、問いを最後まで引き受ける。じっくり考えたり、寝かせたり。すぐにわかろうとしないで、機が熟すのをじっと待つ。それも大切じゃないでしょうか。
※わしだ・きよかず 49年京都市生まれ。大阪大教授などを経て07年から阪大総長。専門は哲学、倫理学。近年は現実社会の諸問題をその発生の現場から思考する「臨床哲学」を試みている。著書に「ちぐはぐな身体」「普通をだれも教えてくれない」「『聴く』ことの力」「『待つ』ということ」「思考のエシックス」など。
※かるべ・ただし 65年生まれ。東大教授。日本政治思想史。〓〓
―― これは非常に重要な警鐘ではなかろうか。特に、ワン・フレーズ・ポリティクスの危険性、ポピュリズムの欺瞞性、思考の熱狂への危惧。中吊り広告のキャッチコピーはティピィカルだ。それらの象徴でもある。
 電車だけに止まらず世のすべてが中吊り化しつつあるとしたら、まことに猥雑で殺伐とした風景ではないか。

〓〓天声人語  (8月13日付)
▼日本人の07年の平均寿命が過去最長を更新した。女性は23年続けて世界一の85.99歳、男性も3位の79.19歳。▼三大死因のがん、心臓、脳の病で亡くなる人が減っているそうだ。医療や年金制度のほころびで「長生き地獄」とまで言われるが、長寿そのものは古今東西を問わぬ喜びであろう▼女優の桃井かおりさん(57)が、過日の毎日新聞で「こじゃれた長生き」について語っていた。「わたし、死んだら死体の役で使ってほしいの。そこまで俳優やりたいのね……120歳ぐらいまで生きたら性別もなくなって、おじいさんもできるかもしれないし」〓〓
―― 桃井かおりの発言は実に凄みがある。このように肚の据わった役者はちかごろ絶えて久しい。「長生き地獄」を乗り切る秘伝は、このような心構えにあるのかもしれない。
 それにしても、小学校一回り分の男女差はどうしたことか。きわめて生物学的事由によるものか。日本で女性の平均寿命が延び始めたのは水道の普及に符節を合わせるそうだ。おとこの寿命を延伸させるのは何の普及によるのだろう。メタボ退治や禁煙でないことを切に願う。

〓〓かっこつけ方「団塊」に学べ  (8月21日付)
残間 里江子プロデューサー  
 幼いころから多くの仲間とひしめき合って生きてきた団塊世代にとって、自然に身についたコミューン(共同体)的な感覚が冷たい風(不況、先行きの不透明感:筆者)にも吹き飛ばされないという自信を支えている。
 奇妙な自信のもう一つの支えは、貧乏の体験だ。高度経済成長を担った団塊世代には、経済の谷底にずっとうごめいてきたという記憶はない。だが、物心つくころは、戦後の貧しい光景があちこちに広がっていた。飢餓も含めて、貧乏や困窮の味は、疑似体験にせよ誰もが知っている。団塊の人たちにとって、これから吹きつけるだろう冷たい風も、人生のスタート時の大変さに比べれば物の数に入らないと思えてしまうのだ。
 団塊世代の価値観の軸は、カッコいいか悪いか。分かれ目は知的(に見える)かどうかだ。自分の感性や考え方に共鳴してくれるはずの友人が、カッコいいと評価するか、どうか。この(単純な)価値観が、冷たい風に抗するのに意外と力を発揮するのではないか。こんな経済情勢下で「富裕層の皆様に」などというささやきかけに乗るのは、まことにカッコ悪い。みんなが生活に苦労しているのに、自分だけがいい目にあっていると感じるのは、本当にカッコ悪い。そう思うのはまさに、暮らしを身の丈サイズに合わせる団塊の知恵だと思う。
 明日は檜になろうとずっと思い続けてきた団塊世代は、同時に「ダメでもともと」の潔さももっている。団塊にとって、ともに座右の銘である「あすなろ」と「ダメもと」は、格差に苦しむ若い世代にとっても希望の言葉となるのではないか。
※50年生まれ。アナウンサーや雑誌編集者を経て独立。生活・地域振興やマーケティングなどに詳しい。〓〓
―― NHK第1放送、土曜日午前中の「どよう楽市」のパーソナリティーをしている。「生意気なヤツだな」という印象をもっていたが、書いていることはもっと生意気だ。当たっているだけに …… 。

〓〓エコブームについて 【国民に道徳を押しつけるな】  (8月31日付)
養老孟司さん 東京大学名誉教授
 エコがブームになっている最近の状況を見て、気になってしょうがないことがある。それは、官僚や政治家が国民に対し、「もっと省エネを」「環境のために我慢を」などと説教をしたり道徳を強調したりしている点だ。「欲しがりません、勝つまでは」と国民に言わせた、戦時中の精神運動を思い起こしてしまう。
 地球温暖化対策として政府は今、「二酸化炭素を1人1日1キロ減らそう」と国民に呼びかけ、省エネ型家電への買い替えやクールビズなどのキャンペーンにお金をかけている。
 僕も温暖化に関係する政府の会議のメンバーを務めていたとき、環境省から「委員自らが削減に協力を」と、リストを渡された。目を通すと、「ハイブリッド車に乗り換え、屋根に太陽光発電装置を取り付けるのが効果的」という結論になっていた。どうして、そこまで企業に「奉仕」しなければならないのだろうか。
 そもそも、買い替えを進めることは「環境に優しい」のだろうか。買い替え前のモノはゴミになるし、再利用や再資源化されたとしても輸送や処理過程で相当のエネルギーが使われる。車の場合、乗る回数を減らす方が環境にいいはずだ。環境への負荷がトータルでどう変わるのかわからないまま買い替えを促進することは、大量消費・大量廃棄にもつながりかねず、これほど効果不明の「怪しい」対策はない。
 温暖化の責任を消費者にかぶせる風潮も問題だ。1970年代のオイルショックのとき、国民は省エネに取り組み、つつましく生きた。今振り返れば、省エネ型の社会に変わるチャンスだった。しかしその後、石油が安くなると車や冷蔵庫がどんどん大型化し、宅配便やコンビニといった業界が急成長した。国全体が経済成長と便利な暮らしを目指した結果、エネルギー消費が増えてしまった。それなのに、今になって官僚たちが「国民の努力が足りない」と言い出してキャンペーンに必死になるのは、責任逃れにほかならない。
 また、精神運動によって支えられたエコブームは、問題の本質をゆがめてしまう。世界の政治リーダーたちが本当に世界中の二酸化炭素を減らしたいなら、石油に対して、消費の抑制よりも生産調整に取り組むべきだ。消費の抑制は、自分が節約した分をだれかが「いいように」使ってしまえば、効果がないからだ。
 石油の生産量を毎年1%減らして50年後の半減を目指すといった、「もとを断つ」総量規制の方が単純で確実だ。しかしリーダーたちは消費抑制という不確実な手法に逃げ込んでいる。その方が自分たちにとって楽だからで、本気になっていない証拠だ。その結果として国民が道徳を押しつけられている。これが今のエコブームの姿である。
 もちろん省エネは必要である。しかし、国民が精神運動に突き進んで自己規制するような社会は、ストレスがかかって何とも息苦しい。官僚や政治家が今やるべきことは、国民への説教という楽な道を選ぶことではなく、国際交渉の場で堂々と生産調整を主張するといった、本気の対策に乗り出すことだ。〓〓
―― 責任転嫁、精神運動、総量規制。まさに「一刀両断」である。この、身も蓋もなさが氏の魅力だ。
 前掲の「思考の熱狂をあおっちゃいけない」との鷲田総長の重い警句を踏まえる時、養老氏の存在はまことに貴重だ。沸点を回避する冷却水となり、潮流に抗して定点を守る錨ともなる。 □


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