伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

セプテンバー・クレイジー!!

2008年09月02日 | エッセー
 9月1日、夕飯を食いながらNHKのテレビニュースを見ていた。始業式の日である。当然、注目は大分県だ。

〓〓大分県の教員採用をめぐる汚職事件で逮捕された元校長の長男で、採用取り消しの対象となった男性教師が勤めていた大分市の小学校で2学期の始業式が行われ、校長が教師が辞めることを児童に説明しました。
 大分県の教員採用をめぐる汚職事件で、大分県教育委員会は、ことし採用した小学校や中学校の教師ら21人を対象に不正が確認されたとして採用の取り消しを決めています。
 このうち、贈賄の罪で起訴された佐伯市の小学校の元校長、浅利幾美被告の長男が勤めていた大分市の小学校で、2学期の始業式が行われ、式に先立って校長が「先生は都合で仕事を辞めることになりました」と児童に説明しました。
 長男は、5年生の担任をしていましたが、夏休み中にみずから退職し、児童たちに母親が自分の合格のためにわいろを贈ったことなど事件について詳しく話したということです。
 始業式のあと、長男が担任をしていたクラスの児童が体育館に残り、校長が新しい担任の教師を紹介し「きょうから新しい歴史が始まります。歴史をつくるのは皆さん自身です」と話して、前向きな気持ちで2学期を迎えようと呼びかけました。〓〓(正確を期すため、NHKオンラインニュースから引用)

 たまらず吹き出した。まさに噴飯物だ。そして、無性に腹が立ってきた。この発言は許せない。堅白同異も極まれりではないか。
 「きょうから新しい歴史が始まります。歴史をつくるのは皆さん自身です」とはなにごとか! 「お前、気は確かか!」と叫びたくなった。マスコミの取材に大向うを意識したのか。それはともかく、この校長は頭がおかしくなったにちがいない。エイプリル・フールならぬ「セプテンバー・クレイジー」だ。
 「歴史」とはなにか。歴史に汚点を残したのはお前たちだろう。大人たちではないか! しかもその中の選良たる教師たちだ。校長よ、その大人たちの代表として、まずお前が児童たちに詫びよ。大人社会の醜さを率直に反省し、児童たちに無用の気遣いをさせたその非を謝するべきではないか。
 「新しい歴史」とはなにか。汚点や膿はすべて清算できたのか。聞くところによれば、高校の採用はもっとひどい実態らしいが、いまだにメスは入っていない。汚れた歴史に蓋をして、なにが「新しい」歴史だ! 
 歴史を「つくる」とはなにか。なぜ「皆さん自身」なのだ? 出直すべきは、お前たちの方ではないか! なにを血迷っている。無辜の子どもたちに、なにを押し付けようというのか。責任転嫁にもほどがある。

 中国戦国時代の思想家に公孫竜がいる。いわゆるソフィストである。白馬は馬に非ず、と言った。白とは色、馬とは動物。二つを繋いだ白馬は馬の概念とは違う、と。同じ伝で、堅いのは触覚、白いのは視覚。二つは別々の感覚であるから、「堅くて同時に白い石」は成り立たぬと言った。「堅白同異」の来由である。のちに詭弁を暴かれ、追放され憤死した。
 件の校長、公孫竜を地で行くか。ならば、末路は見えている。
 学校は何のためにあるのか。教師は誰のためにいるのか。すべては子供たちのためだ。決してその逆ではあり得ない。原点はこれ以外にない。ここを御座なりにした時、すべてに齟齬をきたす。

 不機嫌な顔でテレビを観ていると、荊妻が福田首相辞任の速報に素頓狂な声を挙げた。セプテンバー・クレイジーの次はセプテンバー・サプライズか。賑やかなことだ。 □


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