小学生に課す夏休みの宿題が減少傾向にあるという。
いい傾向だ。
小学生、とりわけ低学年は、夏休みは思いっきり遊んでほしい。
そして忘れられない思い出を作ってほしい。
課せられた宿題ではなく、自分で興味を持ったことに集中して取り組んでほしい。
私が小学生の時は、ドリル(問題集)を早々に片付け、あとはうっちゃってた。
夏休みは、「休み」む権利があるものとして、その権利の行使を最優先した。
なので「自由研究」については、”やらない自由”もあるとうそぶいて、全く手をつけなかった。
当然、1日だけある意味不明の「登校日」とやらも無視。
休み明けには、他の児童たちの立派な自由研究の展示会があったが、そこで綺麗に飾られた昆虫標本を見ても、残酷な遺体展示にしか映らず、無益な殺生をしない自分の方がマシだと思った。
小学生の時から、私は自分が納得しない決まりには従わなかった。
学校ではシャー(プ)ペンの使用が禁止だったが、納得いかないので、小学3年生の時点で鉛筆を使わずシャーペンを使い続けていた。
そのシャーペンはコンパスにもなっているので、コンパスとして使うためとして堂々と筆箱に入れていた(なんでコンパスはよくて、シャーペンはダメなの?)。
6年生になると、校内や登下校時に名札をつけている意味を感じないので、わざと「沢田研二」と書いてつけていた。
今から思うと、時代感覚が早すぎたようだ。
幸い、私の勝手な振る舞いを担任の先生に叱られた記憶はない(通信簿の評価は悪かったが)。
ただし、給食を残すことだけは、厳しく指導され、肉類がダメな私は平日の毎日が地獄だった(だから尚更、夏休みは天国)。