私が「障害を持った者は殺してもいい」という恐ろしい論理に出くわしたのは、幼い時に見たテレビ番組だった。
それは”野生の王国”のようなアフリカの野生動物のドキュメンタリーで、
何らかの事情で捉え損ねて傷つけて苦しんでいるヒョウ(だったか、とにかくネコ科の肉食獣)を、躊躇無く撃ち殺したのだ。
テレビの説明では、このように傷ついた野生動物は苦しんでいるので、殺した方がその動物のためになるのだと。
いわば”安楽死”の論理だ。
幼な心にまったく納得できなかった。
死んだ方がいいかどうかをアカの他人が決める身勝手さに。
でもこの論理は、それなりに大手を振っていたようで、その後も接していった。
論理は人の行動の正当性を保証する。
論理に取り憑かれると、人はとんでもないことでも”正しい”と信じて躊躇無く実行する。
その論理からみて正しくない者は、絶対悪であるから殺してもいいという結論を導く。
この実行者(無差別殺人者)は昔から、そして今でも青年男性に多い。
男性でも、より成熟すると、論理の呪縛から脱することができるようだ。