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博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『太王四神記』第3話

2007年12月18日 | 韓国歴史ドラマ
息子のホゲを王位に就けるために故国壌王に密かに毒を盛るヨン夫人。談徳はヨン夫人の面前でその陰謀を暴き出すものの、夫人は自殺。談徳と仲の良かったホゲは母を追い詰めた彼に怨みを抱くようになる。

というわけで王位継承をめぐる陰謀が描かれ、やっとこさ歴史劇らしい雰囲気になってきました。要するに火天会一味の出番が少なければそれなりにもっともらしく見えるんですよね…… それにしてもヨン夫人がなぜここまで執拗に故国壌王・談徳父子を嫌っていたのかが謎なんですが、それは次回明らかにされる模様。また、同じく次回に子役からペ様にバトンタッチするようです。
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『大敦煌』第3話

2007年12月16日 | 中国歴史ドラマ
相変わらずホータンの王女梅朶へのストーキングを続ける旺栄。梅朶に「あんたなんか大嫌い!」と罵られると「それでこそ俺の運命の女だ!」とか何とか訳の分からないことを言い始め、「私が好きなのは都からやって来た方天佑なんだからね!」と言われると当の方天佑に「来年の今日が貴様の命日だ!」と武侠物でお馴染みの脅し文句を吐き、決闘を申し込もうとする始末……

で、参謀役の張権から「敦煌を攻め落とそうとすれば敦煌節度使曹順徳が義妹にあたる梅朶を嫁に差し出すかもよ」と知恵を付けられ、マジで軍隊を率いて敦煌にやって来た旺栄。何かもう来週から見なくていいかという気分になってきたんですけど……
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『臥薪嘗胆』その2

2007年12月14日 | 中国歴史ドラマ
『臥薪嘗胆』第7~13話まで見ました。

越王允常は隠退してまだ幼い末子の稽会を即位させようとするが、越国の将来を憂えた稽会の母方の伯父・扶同が刺客を派遣して稽会を暗殺。そのショックで允常も病没。父と弟の死によってようやく即位を果たした句践は楚の臣の文種や同じく楚人の范盠を登用する。

呉王闔閭は伍子胥が止めるのも聞かず、王位継承の混乱の隙を突いて越に親征。越軍の方は范盠を軍師にして呉軍を迎え撃つ。最初は強大な呉軍に怖じ気づいていた越軍だが、范盠が敵軍の目の前で兵士を一列に並べて自殺させ、度肝を抜くといった奇策を用い、最終的に呉軍を追い詰めて大敗させ、闔閭も矢傷がもとで陣没。

ここで越が兵士を励ますのに「敵の首一つで一級爵位を昇進させ、首二つで二級昇進させる」というようなセリフが何回か出て来るのですが、こういう軍功爵の制度が見られるようになるのはもう少し後の戦国時代になってからでは……

呉国では軍人として功績を挙げている闔閭の次男の王子累を次の王として推す声が強かったが、相国(こんな官職も当時まだ存在しませんが……)の伍子胥は粗暴な王子累を嫌い、闔閭の末子の夫差を王位に据えようと思案。大宰嚭の画策もあり、夫差が新王として即位。

ということでやっとこさ主役二人が王位に就きました。ところでこのドラマでは所々で古めかしい雰囲気を出そうと頑張っているんですが、ちゃんと考証をしないもんですから逆に珍妙な感じになってしまっています。例えば下の画像のように甲骨文を刻んだ甲骨を壁に飾り付けてみたり、



あるいは下の画像のように金文を壁にあしらったりしているのが目に付きますが、



卜占に用いた甲骨は飾り付けには使いませんよね。金文の方も適当に文字を寄せ集めているだけで、意味のある文章になっていません。この辺りもう少しストイックなセットにしても良かったんじゃないかなあと。まあ、こんなことをいちいちツッコむのも野暮なだけだとお叱りを受けそうですが……
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『最後の遣唐使』

2007年12月13日 | 日本史書籍
佐伯有清『最後の遣唐使』(講談社学術文庫、2007年11月)

遣唐使シリーズ第二弾です。本書は1978年に発行されたのを文庫化したもので、実際に実施された中で最後の遣唐使となった838年の承和の遣唐使について検討しています。

前回紹介した『遣唐使』の主要参考文献のひとつということで、内容的には重複している部分も多いのですが、個人的に面白かったのは以下の二点です。

1.小野氏について

承和の遣唐使については副使の小野篁が乗船・渡航拒否をして隠岐に配流となったことがよく知られていますが、本書ではこの小野氏が小野妹子以来対外交渉の部門で活躍してきた一族であり、篁の父小野岑守が後述の張宝高と交流があったようであること、篁自身も新羅商人の間でその名が知られていたことを指摘しています。

篁の乗船・渡航拒否については、遣唐大使の藤原常嗣(この人も対外交渉に従事してきた一族の出身であるとのことですが)の横暴に対する不満からのみ起こされた行動ではなく、そもそも遣唐使自体危険を冒してまで実施する意味の無いものになっていたことを熟知していた篁が政府への不満を表明したものであること、その篁の考えに同調する者が使節や留学生の中に少なからずいたようであることを指摘しています。

小野篁といえば今まで歌人としての側面や、冥府の官吏となって閻魔大王を補佐したというような伝説しかイメージが無かったのですが、対外交渉や交易に従事していたというイメージは新鮮でした。

2.張宝高について

張宝高(張保皐)は前に紹介した韓国歴史ドラマ『海神』の主人公として取り上げられていますが、この人物について詳しい解説がありました。

元々名も無き民であった彼は唐に渡って軍人として武名を轟かせ、新羅に帰国後は国王に面会できるほどの大物となる。海賊に攫われた新羅人が唐でとして売られているのを憂慮した彼は海路の要衝である清海近辺の海賊を制圧し、以後新羅人が奴隷として連れ去られることがなくなったという。その後も彼は手広く交易を行い、新羅王家の王位継承を左右できるほどに勢力を拡大。

ところが彼の娘が身分を理由に時の王の妃になれなかったり、の売買再開を支持する勢力に恨まれたりと色々あり、最後は反乱を起こしたことにされてしまって壮士の閻長(ドラマでも登場)に暗殺される。

こうしてみると、なかなか男前な人生を送っています……
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『太王四神記』第2話 襲来!朝鮮忍者の巻

2007年12月11日 | 韓国歴史ドラマ
西暦4世紀末。虎族の子孫が結成した火天会は朝鮮各国に部隊を派遣し、四神の力を封印した神器の奪取を試みる。そのうち青龍の神器が封印された百済に派遣されたのは……赤い忍び装束を纏った忍者だった!!

最初はたまたま忍者によく似た衣装を身につけているだけかなと思ってましたが、手裏剣を投げたりしてましたので間違いなく忍者です。この辺りのセンスはまるで90年代の香港映画みたいですね。この朝鮮忍者が「カイテンギリダ!」とか片言の日本語で技名を喋ったりしたら完璧だったのに。惜しい!

後半では主人公の談徳の子役が登場。王族でありながら民間で暮らしていた談徳とその父親が王位継承者として都に迎えられるものの、先王の妹がそれに反発。高句麗王家にも色々と諍いがあるようです。
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『大敦煌』第2話ほか

2007年12月09日 | 中国歴史ドラマ
昨日は阪神中哲談話会の忘年会に行ってました。少し体調を崩していたのですが、海鮮鍋を食べたら寒気が収まりました。二階堂教主も出席されてましたが、やはり台湾ドラマの『劉伯温伝奇』がどうしたとか、新しい済公のドラマがどうだとか、そんな話題に……

で、『大敦煌』第2話であります。

陳好演ずるホータンの王女・梅朶は、しつこくつきまとって結婚を求める西夏の将軍・野利旺栄を縛り上げて斬り捨てようとします。結局王女の気が変わって彼は釈放されるのですが、やってる事が『天龍八部』の阿紫を演じている時とあんまり変わらないよ……

あと、先週第1話の感想をアップした後にぐんままさんからこのドラマに巍子(『笑傲江湖』の岳不群役の役者さん)が出演しているという指摘がありましたが、OP・ED映像にきっちり映ってましたね。
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『笑傲江湖』第7巻巻末

2007年12月07日 | 小説
徳間文庫版の『笑傲江湖』最終第7巻が発売になりました。

以前の記事でコメントしたように、今回の解説は田中芳樹氏が書くんではないかと危惧していましたが、その不安は半分的中して半分はずれました。今回は解説ではなくて田中芳樹氏と岡崎由美氏による対談が収録されていました。徳間書店『本とも』10月号に掲載されたものを再録したとのことです。

この対談自体金庸ファンにとっては(田中芳樹ファンにとっても?)気になる企画だったので、こういう形でフォローしてくれたのは非常にありがたいです。
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『臥薪嘗胆』その1

2007年12月07日 | 中国歴史ドラマ
以前の記事でツッコんでおいてナンですが、句践役の陳道明と夫差役の胡軍の共演が見たくなったのと、そういや専門分野なのに本格的な先秦劇を見たことが無かったなあと思い至り(ちなみに以前鑑賞した『封神榜』は本格的な先秦劇に含まれません(^^;))、鑑賞してみることに。

今回は『臥薪嘗胆』第1~6話まで鑑賞。



のっけから呉・越軍の騎馬兵が登場し、本格的な先秦劇を見たいという希望が無惨に打ち砕かれました(-_-;) そういやスタッフロールに文学考証担当というのは出て来ましたけど、時代考証担当なんて無かったよなあ……

物語は呉王闔閭と越王允常の治世、呉の太子波に嫁いだ越の王女・季菀が嫁ぎ先から故国に逃亡したところから始まります。季菀が逃亡したのはあろうことか舅の呉王闔閭が彼女に手を出したからでありますが、妹を匿い、引き渡しを求める呉と戦おうとする太子の句践に対し、父王の允常は呉国との協調のため、あっさりと季菀の引き渡しに同意。絶望した季菀は自殺してしまいます。

それでもなお呉は軍を引き揚げず、允常は対呉強硬派の句践を廃太子とし、末子の幼い稽会を太子の座に付けますが、呉はその稽会を家臣扱いし、越国で允常に対する不満が高まります。一方、呉国でも太子波が失意のうちに逝去し、王子累と夫差が太子の後釜をめぐって対立しはじめ……

とにかく雰囲気だけは荘厳なドラマですが、残念ながら時代考証は『封神榜』と大差ないと思います(^^;) あと、やたらと年季の入った爺が出て来るのがこのドラマの特徴と言えば特徴でしょうか。



こちらは呉王闔閭。この人がうっかり息子の嫁に手を出したのが全ての始まりです……



で、こちらが伍子胥です。伍子胥と言えば復讐に燃えるエネルギッシュな人物というイメージがあったんですが、このドラマでは見た目、物腰、言動ともに見事に枯れてます…… こんな感じで主役二人よりも爺連中の動向が気になる始末です(^^;)
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『遣唐使』

2007年12月06日 | 日本史書籍
東野治之『遣唐使』(岩波新書、2007年11月)

先月から今月にかけて遣唐使など日本古代の海外交流に関する本を続けざまに読んでいます。まずはその第1弾ですが、遣唐使に関する今までのイメージを覆すような面白い指摘が多い本なので、以下に話題別に内容をまとめてみます。

1.「阿毎多利思比孤」について

『隋書』倭国伝には倭王の姓と字を「阿毎」(アメ)、「多利思比孤」(タリシヒコ=タラシヒコ?)とするが、遣隋使の小野妹子の祖先名「天帯彦国押人命」(アメタラシヒコクニオシヒトノミコト)と混同したものではないか。

……これは辻善之助という人の説だということですが、今まで「阿毎多利思比孤」を倭王の称号とする説しか見たことがなかったので、メモ。

2.遣唐使の「廃止」をめぐって

一般に894年に菅原道真の建議により遣唐使が廃止されたとされるているが、これは誤解。遣唐使は当初十数年間隔で派遣されていたが、遭難による犠牲者の増加、使節派遣による多大な経済的負担、唐王朝の衰退、新羅商人・唐商人などによる私貿易の活発化などの理由により遣唐使の意義が薄れると次第に派遣の間隔が空くようになり、894年当時も最後に派遣された838年の承和の遣唐使から既に半世紀以上が経過しており、遣唐使は自然消滅に近い状態にあった。

当時派遣が検討されたのは日本側からの働きかけによるものではなく、温州刺史の朱褒が使節派遣を日本に要請してきたからという消極的な理由によるものであり、唐国内で使節の安全が保証されないことなどを理由にその時の派遣が「停止」された。以後、遣唐使派遣が検討されることはなく、なしくずし的に「廃止」されたような状態となったというのが真相。

よく言われるような、藤原氏が菅原道真を遣唐使の使節に任命して体よく道真を追放・亡き者にしようとしたので、菅原道真が自分の身を守るために遣唐使の廃止を建議したという説は憶説にすぎない。また、遣唐使の「廃止」と国風文化の発達は関係がない。むしろ国風化の動きは早くから興っていた。

遣唐使の停止以後も民間ルートによる貿易は活発に行われたので、従来言われていたように日本が以後、鎖国状態に陥ったわけではないが、かと言って近年日本史の学者が声高に主張しているように以後の時代の日本が海外に積極的に開かれていたわけでもなく、海外との接触を過大に評価できないのも事実。中国との正式な国交が断たれたというのは意外に影響が大きかったのではないか。

……このあたりが個人的に最も読み応えのあった部分ですね。894年の遣唐使の停止は菅原道真らが意外に国外の状況をつかんでいたことによってなされたものであるようです。また、近年主張されつつある「開かれていた日本」論に異を唱えているのもある意味衝撃的でした。

3.遣唐使と貴族

奈良時代の頃に唐に留学することは、中小氏族の子弟にとって一気に出世を果たす手段であった。その代表格が無位から最終的に右大臣にまで成り上がった吉備真備である。最近中国で墓誌が発見された井真成も生きて日本に帰国できていれば相当の出世をしていたかもしれない。

また藤原氏は海外との交流に積極的で、進取の気風が一族の勢力拡大の基盤だったのではないか。藤原鎌足の長男の定恵は僧侶として唐に留学し、帰国途上で惜しくも殺害されてしまったが、彼の摂取した知識の一部が鎌足や弟の不比等らに継承された可能性がある。

……井真成については墓誌の解釈など、結構紙幅が割かれています。定恵について詳しく言及していたのはなかなか興味深いところ。その他、著名な人物では粟田真人や鑑真について言及しています。

4.日本にもたらされた漢籍

日本はよく言われるようにシルクロードの終着点ではない。終着点はあくまでも長安・洛陽である。むしろ中国から日本への交易品としては漢籍や仏典が大きな意味を持っており、日中間の交易路については王勇氏の主張する通り「ブックロード」と呼ぶのがふさわしい。しかし漢籍の中でも道教の経典については意図的に受容されなかった。

5.遣唐使船

遣唐使船は従来考えられていたのよりも高度な技術により建造されていたことが明らかになってきた。遭難が多かったのは朝貢・朝賀使節としての外交的な制約により、航海に適切な出発・帰国時期を選べなかったため。
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『太王四神記』第1話

2007年12月04日 | 韓国歴史ドラマ
ヨン様主演の『太王四神記』第1話を鑑賞。

本編は4世紀末、朝鮮半島が高句麗・百済・新羅などに分かれていた頃の話ですが、今回は物語の中で語られる檀君誕生にまつわる神話がメイン。ヨン様は天の神の息子で檀君の父となる桓雄(ファヌン)を演じています。地上世界の混乱を収めるべく太伯山頂上の神壇樹のもとに降臨した桓雄が熊族の娘と結婚し、檀君が産まれたものの、桓雄を慕っていた虎族の巫女がそれに嫉妬し……という話でした。

朝鮮の神話では熊と虎が自分を人間にしてくれるよう桓雄に祈り、途中で祈りをあきらめた虎は人間になることができなかったが、最後まで祈り続けた熊、すなわち熊女は人間の女となることができ、更には桓雄を夫として檀君が産まれたということになっており、一応神話に基づいた設定になっている模様。

しかし神話の時代はともかく、4世紀末の世界までもがえらいファンタジックなのはどうしたもんでしょうか。ビジュアル的に『朱蒙』より後の時代にはとても見えません……(ちなみに『朱蒙』は紀元前2世紀か1世紀頃、漢の武帝の時代という設定になっていたはず。)

あと、ヨン様ファンのおば様方が果たしてこんな歴史物というか神話物を見るのかと心配する向きがあるかもしれませんが、そんな心配はまったくもって無用です。ヨン様がこのドラマに主演すると決まって以来女性週刊誌で何度となく特集記事が組まれ、しかも私がたまたま見た記事では「四神とは何か?」「ヨン様が演じる広開土王って?」「朝鮮の三国時代とは?」というような本格的な解説まで付いていたので、ファンの予習は万端のはずです。

で、ドラマの方ですが、第1回の印象では『朱蒙』より面白そうなので、こちらもしばらく見続けることにしますか。
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