博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『喧嘩両成敗の誕生』

2012年07月18日 | 日本史書籍
清水克行『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ、2006年)

切腹や囲者のルーツについて言及していたりと、氏家幹人『かたき討ち』の前段にあたる内容ですが、室町人のヒャッハー!ぶりを見てると、彼らは日本人の祖先と言うより『北斗の拳』の世界の人々の祖先と言った方がしっくりくるなあとしみじみ……

本書では室町人が『北斗の拳』の世界の住人から「我々」の祖先となっていく過程を論じているのですが、こういうのを見てると、内藤湖南の今日の日本を知るには応仁の乱以後の歴史を研究すれば充分で、それ以前の歴史は外国の歴史のようなものだという言葉が思い出されます。現在とのつながりを意識させられるのが歴史の効用だとすれば、現在との断絶を意識させられるのも、これまた歴史の効用であるわけです。(ついでに言うと、私自身はつながりより断絶の方に惹かれがちなんですが……)

本書で印象に残った話。文安元年(1444年)5月のこと。京の都で山名氏の女中を乗せたお輿が行列を組んで進んで行くのを見て、子供たちが流行り歌をうたって囃し立てていたところ、行列のお伴の男が何を思ったか突然刀を振り回して8歳の子供を突き刺し、「文句があるヤツはかかってこい!」と怒鳴り散らします。

刺された子供は両親のいない孤児であったこともあり、誰も彼を助けようとしませんでしたが、その子は血まみれになりながらも通り過ぎていく行列を睨みつけ、「菖蒲で作ったおもちゃの刀でも身につけておれば、このような不覚は取らなかったものを……」と言い残して息絶えたとのこと。

この時代、子供ですら自分の身は自分で守るという「自力救済」の覚悟を持っていたという話なんですが、こういうのを見ると当時の日本がどんどん『北斗の拳』の世界に見えてくるわけですよ(´・ω・`)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『かたき討ち』

2012年07月18日 | 日本史書籍
氏家幹人『かたき討ち』(中公新書、2007年)

江戸時代の敵討にまつわるあれやこれやをまとめた本ですが、敵討は泰平の世の到来によって戦士としてのアイデンティティを奪われつつあった江戸時代の武士にとっての、言わば「自分さがし」であるという記述に笑ってしまいました(^^;) 戦国時代の武士は却って親兄弟を殺された遺恨にこだわるだけの余裕が無かったそうな……

そして当時の合法的な敵討の手順とは。本書によると、まず討手が主君に敵討の許可を願い出る。敵が他領にいる場合は、主君が幕府に届け出をだす。→江戸町奉行がこれを帳簿に記録し、討手に許可証を発行。→で、討手が敵を発見!→現地の役人に届け出。→現地の役所が敵を捕縛し、幕府に届け出。→江戸町奉行が帳簿を確認し、敵討を許可。→現地の役所がしかるべき手配をして、敵討を実行させる。……手続きが超絶に面倒くせえEEEEEEEEE!!これはひどいw どう見てもお役所仕事www

まあ、幕府などの当局からしたら、敵討と言えども殺人は殺人なのだから、これを法的に認める限りはここまで厳密に手続きを踏ませないといけないという言い分になるんでしょうけど。昨今の大津のいじめ事件のようなことがおこると、敵討の制度の導入・復活を!という人が現れますが、例え導入されたところで制度として導入される限りは、たぶんこういう残念なことになるんだと思います(´・ω・`)

本書よりもうひとつネタ。江戸前期には屋敷に駆け込んできた敵持(敵討の対象として追われている人)を大名や旗本が囲者として匿うという風習があったとのことです。しかし江戸後期にはこの風習が廃れていきます。当時の武士の作法書『天野武大夫調進書』によると、敵持が屋敷に駆け込もうとした場合、様々な嫌がらせ……もとい手立てを尽くして、なるべく穏便に駆け込みを諦めさせるのがマナーであるとされています。

まずその家の家臣が敵持に応対し、「主人は来客中なのであなたには会えない。悪いがよそに行ってくれ」と説得。それでも諦めない場合は、相手に切腹を勧めます。相手が切腹しない場合は「そのような臆病者は匿えない。さっさとよそへ行け」とイチャモンをつけて追い出します。

では家臣自身の家に敵持が駆け込んできた場合はどうするのか。まず追手の名前を聞き出し、「追手は実は自分の知り合いだ」とか「家には病人がいるからあなたの面倒を見る余裕が無い」とか「今から主君の命で外出するところなので」と、適当な嘘をついて体よく追い出します。

……何か色々とワロタw もはや困っている人を適当にあしらって責任回避をはかるのが日本の伝統ではないかと疑われるレベルです(^^;) しかし本書は現在の日本とは異質の文化について語っているはずなのに、読めば読むほどデジャブを感じるのはなぜなのでしょうか……
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする