博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『百代の過客』

2012年04月07日 | 日本史書籍
ドナルド・キーン『百代の過客 日記に見る日本人』(講談社学術文庫、2011年10月)

以前に読んだ同じ著者の『日本人の戦争』が本書の続編にあたるということで、こちらも読んでみることに。日本では古くから日記が文学として読まれてきたと評する著者が、平安時代の円仁の『入唐求法巡礼行記』から始まって幕末の川路利謨の『下田日記』まで、『土佐日記』・『奥の細道』のような有名古典からそうで無いものまで数十編の日記を取り上げています。

特に(たぶん色々とネタにしやすいからでしょうが、)旅日記の占める割合が多く、現代の我々が海外旅行に行って取り敢えずガイドブックに載ってる観光地を写真に収めてくるのと同じような感じで、昔の旅は取り敢えず先人が詩歌に残した名跡を観光し、同じように歌や記録を残すのが流儀であったとか、色々面白い指摘をしています。個人的にはもう少し旅日記以外の通常の日記について取り上げて欲しかったような気もしますが……

以下、例によって面白かったポイントを書物別に列挙していきます。

『竹むきが記』
南北朝時代の朝廷に仕えた女性日野名子の日記。彼女とその家族も当時の貴族の例に漏れず、鎌倉幕府滅亡や南北朝の争いといった動乱に巻き込まれ、波乱の人生を送ることになるわけですが、夫の西園寺公宗が鎌倉幕府の復興画策に関わったことで囚われの身となり、彼女の目の前で名和長年に斬首されたというだけで泣ける…… (ただしこの話は『太平記』に見えるものの、この書では触れられていないということですが。)日本映画界は彼女を題材にいわゆる「スイーツ(笑)」層向けの泣ける映画を作るべきですよ!

『富士紀行』
この書は室町幕府第6代将軍足利義教が富士山見物に赴いた時に随行した公家飛鳥井雅世が残した旅日記ですが、以下はこの時に彼が義教に捧げた和歌二編。

「誰もみなひかりにあたる日本の神と君をとさぞてらすらん」
「君が代はながれもとをしさめが井のみづはくむともつきじとぞ思ふ」


義教に対して「君が代」という言葉を使ってあたりでドン引きです(^^;) キーン先生も「天皇にでも向けて書いたものかと思われようが」と評してますが、義教はどんだけ当時の人に恐れられてたのかと…… 義教の治世に対する「万人恐怖」の評は伊達ではないということでしょうか。義教の暴君と言うか専制君主っぷりはもっと一般に知られてもいいかもしれません。

『高麗日記』
これは秀吉の朝鮮出兵に従軍した鍋島直茂配下の部将田尻鑑種の従軍日記ですが、日記を付けた動機は戦争が退屈だったからとのこと。これについて太平洋戦争時の従軍経験があるキーン氏はこう述べます。「だがこれは私自身の体験とも一致していて、短期間の戦闘のあとには、普通必ず長い退屈な時間が続くものなのである。多分戦争というものは、昔からずっとこうしたものであったにちがいない。」……そういうもんなの?(´・ω・`)

『井関隆子日記』
こちらは天保年間に旗本の未亡人となった老女がつけた日記。本居宣長ら国学者の著書に感化されてナショナリストになり、天保の改革を熱烈に支持し、大塩平八郎やシーボルトに日本地図を渡したことで獄死した高橋景保をdisり、そして非業の死を遂げた渡辺崋山を「蘭学なんかに手を出すからそんなに目に遭うんだよ!ざまぁwww m9(^Д^)」とプギャるなど、色々とひどいw 井関隆子さんが今の世に生きていたら、大阪維新の会の熱烈な支持者になってたりしたんだろうなあとしみじみ……
コメント (2)
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