博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『鴻門宴』

2012年03月03日 | 映画
『鴻門宴』

劉邦を黎明(レオン・ライ)、項羽を『宮』でオラオラ系DQNの八阿哥を好演した馮紹峰、虞姫を劉亦菲が演じた豪華キャストによる楚漢戦争映画。山場となるのはタイトルにもなっている鴻門の会ですが、そこでなぜか張良と范増が囲碁で勝負をすることに……

張良役は『孫文の義士団』の孫文役やドラマの新版『水滸伝』の宋江役でお馴染み張涵予です。


范増役はこれまたいろんな作品でお馴染みの黄秋生(アンソニー・ウォン)。目が見えないという設定になってます。


本作の主役は項羽と劉邦ではなく、この2人であると言えましょう。

で、これまで囲碁の対局では負け無しだった張良ですが、劉邦陣営の運命を賭けた勝負で范増に敗れ、一党もろとも命を奪われる所を、劉邦を助命せよという懐王の勅書を持った韓信が到来してギリギリのタイミングで命拾い。劉邦はここで「オレたちの鴻門宴はこれからだ」(意訳)という捨て台詞を吐いて封地の漢中へと赴任していきます。

一方、劉邦と別れて項羽の配下となった張良ですが、劉邦のために范増の追い落としを謀り、見事に成功。項羽に隠居を迫られ、しかも余命幾何もない范増ですが、今際のきわで見舞いにやってきた張良に「お前は若い頃のオレ自身だ、オレたちは表裏一体なのだ」とか何とか言い残して息絶えるシーンには、なんとなくBL的なサムシングが感じられるのですが、こんな展開にして一体誰得なのかとツッコミたくなります(^^;)
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絵本楊家将 第14章 智救楊六郎(後編)

2012年03月03日 | 絵本楊家将
第14章 智救楊六郎(後編)

六郎が汝州に着くと、太守の張済が尋ねました。「将軍は佳山寨を守られていたそうですが、どうしてこんなことになってしまったのですか?」六郎はそこで起こったことの一切合切を張済に対して説明します。張済はひとしきりため息をついて言いました。「将軍、しばらくは我慢なさって街の西で官酒の製造の責任者をお務めください。半年か一年もすれば、朝廷はきっとまた将軍を起用されましょう。」

楊六郎が汝州に配流された後も、王欽はまだあきらめず、ひたすら六郎を死地に追い込もうとします。朝廷は酒税を非常に重視していましたので、王欽は六郎に無実の罪を着せようと真宗の面前に駆けつけ、六郎が汝州に着いて一月も経たないというのに、酒の密売によって金を稼ぎ、反逆をたくらんでいると弾劾しました。真宗はそれを聞くと怒りで顔色を変えて言いました。「朕は楊家に功績があることを考慮して死罪を免じてやったというのに、今またこんなことをしでかすとは、何というやつだ!」すぐさま命令を下し、呼延賛に汝州に行かせて楊六郎の首を持ち帰るように言いつけます。

八賢王がまたもや情状酌量を頼みにやって来ましたが、真宗はまったく聞き入れずに言いました。「そなたは毎回やつを庇い立てするが、まさかやつの部将が謝副使を殺していないとでも申すつもりか?」八賢王は返す言葉も無く引き下がり、寇準のもとに出向いて善後策を話し合います。寇準が言いますには、「派遣されたのが呼延賛殿というのは不幸中の幸いです!呼延殿に汝州太守とともに六郎と容貌がよく似た囚人を捜させ、その者の首を代わりに差し出させるのです。その後六郎を逃亡させて匿っておき、いずれ国家に危機が訪れましたら彼を推挙すればよろしいでしょう。」八賢王は妙案だ妙案だと褒め称え、呼延賛のもとに赴きました。呼延賛は言いました。「殿下、ご安心ください。必ずそのように致します。」

呼延賛は汝州に到着すると、太守の張済に皇帝の命令書を見せました。張済が驚いて言いますには、「楊将軍が反逆を企んでいるなど、まったくの出鱈目です。陛下はどうして忠臣を殺そうとなさるのですか?」呼延賛はその様子を見て八賢王の計略を彼に話して聞かせます。張済は言いました。「私も同感です。国に楊将軍がおらずして、どうして辺境が平穏を保てましょう。」二人はすべてをうまく取り計らい、六郎に平民に扮装して逃亡するようにさせる一方で、死刑囚の中から六郎と顔つきが似た人を捜し出して首を刎ね、呼延賛はそれを汴梁へと持ち帰りました。

その日の早朝、呼延賛が六郎の首を差し出すと、真宗は自ら首実検をします。文武の大臣たちはそれを見ると一様に頭を下げてため息をつき、誰一人としてそれが偽物ではないかと疑問を抱きません。八賢王は見破られるのを恐れ、真宗に対して言いました。「楊延昭は既に罪に服しました。陛下におかれましては何卒首を楊府にお返しになり、埋葬を許されますよう。」

真宗はそれを聞き入れ、六郎の首を楊府に送り返すよう命じました。首が届けられると楊府では屋敷中の者が悲嘆に暮れます。後に六郎が楊府に戻ると、楊家の人々はようやく事情を知り、悲喜こもごもとなりました。そして彼を穴蔵に匿い、静かに時期を待つことにしたのでした。

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