極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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千島、北方4島の真実

2014-03-11 09:21:36 | 戦後

 安部総理、プーチン大統領との日露会談が行われた場合、北方4島問題が議題となるようです。
日本は1945年9月2日ポツダム宣言を受諾し、降伏文書に署名し正式に敗戦、終戦となりました。このポツダム宣言には、日本領土に関する記載が有り、明確に日本領土は「本州、九州、四国、北海道の4島及び連合国側が認める島々のみ」と記載され、その他全て連合国最高司令官の命令、指示に従い、行動します等々、領土問題等を理解するには必要不可欠で是非一読を薦めます。

 知られていない北方4島の真実
世界の国々から見れば、日本の4島返還という、頓珍漢なことを言う日本、日本人、北方4島の戦中後の歴史の真実等は、チャーチル第2次大戦回願録等々で誰でも明確に確認することが出来ます。

1945年2月8日、グロムイコにルーズベルト大統領のメモがスターリンから渡されました。内容は、戦後米国政府が正式に、南樺太と千島列島をソ連領として認める内容になっていました。
当時太平洋で戦う米兵が、日本軍から大きな反撃を受け、大きな犠牲を出していました。今後日本に近ずくほど犠牲が増えることが予想され、日本上陸の際には相当の犠牲を覚悟する必要に迫られていました。

 日本の降伏を如何しても早め、米兵の犠牲者を少なくするためにも、ルーズベルト大統領は、ソ連軍の参戦、主に満州侵攻等々(満州には当時精鋭日本陸軍が無傷で温存され、日本に移動してきたら日本上陸作戦時は、極めて大変な脅威になるため、日本移動前に満州内でソ連軍に壊滅させてもらう等々)の支援を仰ぐ必要がありました。

ヤルタ会談の4カ月前の44年10月14日に、駐ソ連大使のハリマンを通じてスターリンに日本に対する参戦を持ち掛けています。ハリマンは、いつごろなら日本攻撃を実施でき、その見返りに何を必要とするか?と問いただしたところ、スターリンは早くもその翌日、ドイツ降伏後2~3ヶ月で攻撃可能と明確に答えています。

 更に、「戦闘に必要な3ヶ月分の武器と弾薬等」をソ連の満州国境周辺に米国が用意することに加え「一定の政治的条件」が満たされることが見返りだったようです。
 一定の政治的条件とは、南樺太、千島列島の獲得、大連港、旅順港の租借及び南満州鉄道の管理権です。

 ハリマンはルーズベルト大統領の指示で12月14日に再度スターリンに会い、ソ連参戦への条件の細部を詰めています。
スターリンが要求した武器等提供については、マイルポスト合意として成立し米国は1945年、中立国だったソ連の船を使って日本海を抜け、ソ連のウラジオストクに八十万トン相当の武器弾薬等を間違いなく陸揚げ供与しています。
こうして日ソ不可侵条約を無視した、ソ連満州国侵攻作戦は米国側の、強い要請、援助等によって準備、成立しました、我々日本人が知ってる、理不尽な一方的なソ連の参戦ではなく、米国がソ連参戦を強く要請した結果です。
一口で言えば、ソ連に日ソ不可侵条約を無視し、参戦してもらい、満州の精鋭日本陸軍を壊滅してもらう、ご褒美に千島列島を差し上げると言う事は間違いない歴史の事実のようです。

 戦後日本は1951年サンフランシスコ講和条約等を受諾しました、条約には千島列島の放棄が明確に記載されています。受諾日の前日、当時の吉田総理は「択捉、国後」は千島列島(南千島列島)に含まれる!と演説、明言しています、この時点で日本は明確に国後、択捉は放棄したことになります。

当時シベリアには多くの日本兵が抑留されており、一日も早く日本に帰国させるためには、国交、平和条約等が早急に必要と判断した一側面もあると言われており、国後、択捉はソ連側が如何しても妥協しないため、早期平和条約等締結のため日本側が放棄したと言われてるようです、この判断を誤判断と一概に言えない気もします、心情的にシベリア日本兵抑留解決を考えたら、、、以後北方4島に米国(英国も一部関与、日ソ領土問題は解決しないよう公電を打っています、公電文は残っているそうです。)が深く関与し続け、現在も平和条約等を結ばせない理不尽さを継続しているように思います。
現ロシアのプーチン大統領は戦中、戦後の日ソ領土問題を、KGB出身でもあり熟知してると言われ、戦後の日本の置かれてる立場(在日米軍、北方問題、靖国問題等々)を最も理解してるといわれています。

吉田総理は「歯舞、色丹」の2島のみが日本領土と、演説、公言、現在も世界の国々、現ロシア側も当然そのように明確に認識していると言われています。4島返還は無理な話で、現ロシアが国後、択捉を返還することは考えられません。
鈴木宗雄氏等は4島問題細部等を熟知しており、鈴木宗雄氏の北方日ロ政策を見てみると極めて、本当に日本の国益を考えた的を得た政策であったと思います、いつの間にかこんな優秀な人が、逮捕されたり隅に追いやられる理不尽さ、残念ですね。

当時の、吉田総理、田中委員長、国会等も間違いなく国後、択捉は千島に含まれると認識していたようで、ちゃんと公記録、文献等があります。今も政府、国会議員等の一部は認識してるのは間違いないでしょう。如何しても国民には「4島返還」しか言えない苦しい胸のうちがあるのは間違いないでしょう。1956年日ソ国交回復しましたが、平和条約は締結されていません、、、 複雑にしたのは冷戦、米国等の日ソ対立諸策略、、、日ソ平和条約を結ぶと沖縄返還は無いと米国ダレス長官は明言しています(文献等)、この対立の仕組みは今だに継続し、いつの間にか吉田総理等の答弁からは歪曲され、北方4島は日本領土と言わされ続け国民は信じて、頓珍漢な全国民4島返還となっているように思います。

日本の領土問題では極めて重要な「ポツダム宣言」、宣言細部内容を日本国民に知らせることはタブー?みたいにされてるように思うときがあります。国後、択捉が本当に不法占拠なら当然国連、国際司法裁判所?等でも問題になると思いますが、なりません。
いつの日か、日本も圧力に屈せず、「独立国として勇気を持って」、ロシアとの平和条約等を結び、極東の繁栄、平和に貢献してほしいです。敗戦後60年以上経ちました、日ロ平和条約締結、真実にもとずく北方問題解決は日本が生きる新たな道でもあると思います。

参考資料
「第二次大戦回顧録」毎日新聞社 ウィンストン・チャーチル著
「ルーズベルト秘録」 扶桑社文庫  産経新聞社「ルーズベルト秘録」取材班キャップ前田徹著
国会等答弁書、吉田総理会見記録等々
欧米、国内WEB、プログ等(一部誤理解部分があるかも知れません。)

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