極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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小中華思想

2019-11-28 20:07:47 | 日韓

この国のかたち・文庫・1993/9/10 司馬 遼太郎著、ウィキペデイア(一部コピー等があります。)等々参考に記していますが散文になってしまいました。解釈等々に異論があるかも知れませんがあくまで個人の解釈です。

 

何故、韓国は日本に対し、強硬、理不尽等なことを行うでしょうか・・・突き詰めると単なる儒教(孔子を始祖とする思考・信仰の体系)国ではなく、儒教+小中華思想の発想が元になっていると言えそうですし、韓国社会の構成、国体を作っていると思います。これらの思想、発想により国際社会とは乖離(かいり:はなればなりになること。)している部部が多いように思いますが、韓国の人達からすれば大きな違和感は無いかも知れません。

中国からの冊封体制(事大朝貢体制)等が解かれるのは日本の朝鮮併合と言えそうで、気が遠くなるような年月、朝鮮は国が無いに等しい期間とも言え、1945年日本敗戦後に生まれた国とも言えると思います。

中国の冊封体制(事大朝貢体制)であった朝鮮は優越感等を得るため、更に自国民の支配等々を容易にするため中国の儒教、中華思想を取り入れ都合がいいように小中華思想を作り、両藩精度(高麗、李氏朝鮮王朝時代の官僚機構・支配機構を担った支配階級の身分制度)を作り、現在もこの思想は続いており断ち切れることは出来ないでしょう。この延長線上に対日本があると思います。韓国が儒教、小中華思想を捨てない以上永遠に続くと思います。私達は韓国が儒教、小中華思想国家であることを理解することが必要で、この前提で付き合い、交流する必要があると思います。

朝鮮の根底が危うくなった日清戦争での日本の勝利、これは絶対に認めるわけにはいけないことだったようで、朝鮮最大の一大事だったと思います。何故なら、朝鮮・韓国の大元の中華思想の根底が日本により侵されてしまいました。朝鮮は挙句に果て清朝は漢民族で無く、満州族等々であり中華思想とは関係が無い等意味不明の解釈をしていたとも言われています。

古来から、中国の歴史で本当の統治者等々の実力者等は漢民族では無く、中東から流入(日本を目指した。)したヘブライ人・スファラデー・ユダヤ人達で漢民族とは違います。有名な始皇帝、徐福等々はヘブライ人、スファラデー・ユダヤ人です。中国で有名なユダヤ人都市は開封です。近代では鄧小平等々極めて優秀な人達(旧約聖書の12部続の流れです。)で、日本の天皇、皇室に対して極めて好意的でした、何故か・・・もうお分かりでしょう。これらの事実は表に出ることは無いようです。

 

中華思想とは中華の天子が世界の中心で、その文化、思想が神聖なものであるとする自負の考え方です。漢民族が古くから持った自民族中心主義の思想で自らを夏、華夏、中国と褒め称え王朝の庇護下とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い蛮族であるとして卑しむことから華夷思想(かいしそう)ともいいます。

我が国を還り見た場合、江戸時代の儒教研究者等は本質を見抜き、儒教(朱子学)を学問である儒学にとどめ、仏教や神道から儒教への改宗や棄教はしませんでした。このことは極めて重要で日本社会構成のターニングポイントだったと思います。

司馬遼太郎氏は著“この国のかたちの中で”日本人は面としての儒教を入れなかったと記しています。面の儒教とは民衆のなかに溶け込んだ孝を中心とする血族(疑似血族含む)的な宗教意識で、ここから祭祀、葬礼、同姓不婚といった儀礼や禁忌等も生まれる。それら儒教のいっさいのシステムぐるみを入れたとすれば日本は中国社会にそのものになっていたに違いない。結局、日本における儒教は多分に学問、つまりは書物であって、民衆を飼い慣らす能力をもつ普遍的思想として展開することなく終わったと書き述べています。日本人が儒教化しなかった最大の要因は、科挙の試験制度を導入しなかったことも理由にあげています。

 

隣国の反日、日本に対する蔑視した姿勢等、まさに中華思想から流れた小中華思想で、歴史上長年中国の冊封国で其の中で李王朝は劣等感等の克服等のため朝鮮を支配しやすいシステム等を作り上げたとも言えると思います。小中華思想は朝鮮で唱えられた中華思想(華夷思想)の一変種で、中華文明圏の中にあって漢民族とは異なる政治体制と言語を維持した民族と国家の間で広まった思想とも言われています。

自らを中国王朝(大中華)と並び立つ、次の文明国で中華の一役をなすもの(小中華)と見なそうとする文化的優越主義思想で、この文化とは儒教文化で中華文明にあたると思います。韓国の小中華思想の元となった中華思想は儒教に裏付けられた漢民族の文化優越主義、地理的世界観、政治的世界観があります。中華思想の基で中国王朝は周辺諸民族を他者化(自他の区別をつけるもの)し、夷狄(野蛮人)、禽獣(獣に等しい)と蔑む一方、冊封体制(事大朝貢体制)によってその世界観を具現化し、また同時に夷狄の教化に当たってきたようですが、中国王朝の世界観は周辺諸国では否定的です。冊封体制(事大朝貢体制)であった朝鮮では中国王朝に従い、積極的に中華文明つまり儒教及びそれに伴う華夷観を受容、中華に同化することで自国の格上げを図る道を選択してきたようです。

朝鮮は本来の華夷秩序においては夷狄に相当するものですが、自らを中国王朝と共に中華を形成する一部“小中華”と見なしてきました。朝鮮の中国王朝に対するこうした姿勢は政治的には事大、文化的には慕華(中華を慕う思い)となり、政治的文化的に中華に従うものとして整合性の取れたもので、朝鮮は時には漢民族以外の中国王朝(金、元、清等)に事大を強いられることがあり、これを事夷と呼び華夷観と政治的現実の狭間で苦しめられることとなったようです

朝鮮は自らを小中華と見なすことは、周辺諸国を野蛮な夷狄、禽獣として他者化することも意味していました。この自らを華、周辺諸国を夷とする姿勢は文化的優越主義に止まらず政治的地理的世界観にも表れ、現実を無視し、朝鮮は中国王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させていると解釈しようと志向しています。一例として、李氏朝鮮初期の1402年製作の、混一疆理歴代国都之図では、中国が世界の中心に位置、朝鮮は実情よりかなり拡大された形で描かれています。対し日本、琉球、東南アジアはかなり小さく描かれ、方角も誤って描かれています。女真族の居住地であった中国東北地方は曖昧なまま処理されています。この地図が描き出した世界観は、明と李朝が中華でありそれ以外の地域は夷であるとするものです。こうした他者化の論理は、時に国内にも向けられ、中華文明を身につけていない者は同じ朝鮮人でも差別化に繋がったようです。

 

李朝後期の両班達は自身を礼義を識り、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の体現者と捉え、一方庶民を夷狄禽獣の類いと階層的差別意識をもってきました。朝鮮のこうした積極的な中華文明受容の姿勢は、中華に同化することを目指したものですが、朝鮮独自の文化の発展を阻害してきたようです。

李朝前期の世宗が朝鮮独自の文字、ハングルを制定しようとしましたが、官僚、知識人階級から、捨中国自同扵夷狄(中国を捨て夷狄に同化する)行為だと反発を受けハングルは李朝末期になるまで正規の文字になっていません。中華文明を尊び独自性を排除しようとする考えは儒者共通のものです。小中華思想を掲げ中国にならって科挙を取り入れ、儒教を支配理念とした朝鮮に顕著に表れるようです。残念ながら、朝鮮だけで中華思想の枠組みのもとでは、非漢民族であり中国大陸の東端に位置する朝鮮は、東夷としての位置を免れなかったようです。

 

中華思想から見た周辺国・・・

古代中国で、属国でもあり朝鮮の位置づけは日本や琉球王国よりも遥かに下位で国家としての認知も遅れていたようです。

一例として倭には印綬・金印が、琉球王国には銀印が贈られましたが、朝鮮には贈られていません。中世には朝貢属国の筆頭であるとされ冊封国としての認識が続きました。

印綬(いんじゅ:中国に於いて臣下に対して印章を授けることによって官職の証とした制度)に関しては、古代日本は当時の中国から金印を贈られ、琉球(1383年、明が鍍金銀印「琉球国王之印」を琉球国王に贈る“明実録“)や越南(ベトナム)は銀印が贈られたとありますが朝鮮にこれらの印が送られたとの記録はないようです。

当時の漢代に於いて諸侯王は内臣の場合は金璽綟綬(きんじれいじゅ)が授けらますが、外臣で王号を持つ者は金印紫綬となります。日本の志賀島で発見された漢委奴国王印(57年、委奴国王、後漢の都・洛で初代皇帝・光武帝から金印“漢委奴国王印”を授かる“後漢書”倭伝・建武中元2年、倭奴国奉貢朝賀、使人自称大夫、倭国之極南界也、光武賜以印綬)や、まだ見つかっていない倭女王卑弥呼が授けられた“親魏倭王”印は金印紫綬、1404年に第3代皇帝・永楽帝(えいらくてい)は足利義満を“日本国王として冊封して金印を下賜”しています。

韓国に金印が無いことに対し、一部の韓国学者が言うにはまだ発見されてないだけで何処かに埋まっている、日本に贈られた金印は朝鮮から強奪した等・・・唯、朝鮮が受けたのは銅で作られた印で記録もあるようです。これらの事実から朝鮮は琉球、越南(ベトナム)以下の最下位の国であった言えそうです。

日本に対し、上から目線、平気で嘘をつく等々、私達からすれば理解できないですが小中華思想では極自然かも知れません。これらの事実等が国際化の現代でも生き続き対日策に反映しているかも知れません。韓国=儒教・小中華思想ですが、韓国の人達の中にもこれらの思想等で国際化時代で生きていけないと感じ努力されている人達がいることを理解することも必要だと思います。

先ず、私達は現、韓国の根底・肝が間違いなく儒教・小中華思想であることを理解することは極めて大切であると思います。日本が冊封体制(事大朝貢体制)を弥生時代等の一時期等以外、頑として受け付けなかった先人達・・・日本は誇り高き国であることが判ります。如何に韓国と付き合い、交流するか、より良き両国の未来を構築するには・・・答えは比較的見えやすいように思う昨今です。

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