大伴部博麻(おおともべの・はかま)と聞いても答える人は少ないと思います。
九州、福岡県南部に位置する八女市上陽町、虎尾山の一帯は明治時代に整備され、現在は北川内公園で標高50mくらいの頂には小さな善神王宮社(ぜんじんおうぐうしゃ)があります。善神王宮社の右横には小さな墳(直径3m位、真ん中に祠があります。)があり、大伴部博麻の墓と言われています。
善神王宮社の右側には案内板、左側には2本の古い石柱(2m位)があります。墓の前に立つと不思議な思いになります。今の自分は大伴部博麻がいなかったら・・・当時の巨大な強国唐、侵略されていたら、今の形での日本は存在しないでしょう。日本人の心に流れる愛国の想いは途絶えることなく、今も生き続けていると思います。
案内板には・・・概訳
大伴部博麻(おおともべのはかま)、生没年不詳、第37代斉明天皇7年(661年)、朝鮮半島の百済は唐、新羅連合軍の侵攻を受け、苦戦中の百済から要請を受けた朝廷は百済救済軍のため出兵・・・
百済救援日本軍は刀剣弓箭を主とする装備で、那の津(福岡県博多)から、661年5月約10000人、662年3月、上毛野稚子ら3軍の将は2万7000の兵を率いて出兵、後続に約10000人が出兵していると言われています。
日本からの援軍の大将は、片足の老兵、阿倍比羅夫(あべのひらふ)です。 阿倍比羅夫は、筑紫太宰師(太宰府の長、正四位相当)の要職についていました。天皇から高い評価を得ており、最も信頼に足る日本の名将であったようです。阿倍比羅夫は過去、飽田(あきだ)(秋田)、渟代(ぬしろ)(能代)を平定、渡島(おしま)、北海道南部まで遠征しています。阿倍家は武人として、皇室に仕えている由緒ある氏族であったと言われています。
大宝律令により、筑後国、陽郡(福岡県南部、八女市)から20~60才までの農民の男子9000人を徴兵しています。その中の一人が大伴部博麻です。
天智2年(633年)、百済復興軍は日本の援軍を得て、百済に侵入の新羅軍を駆逐しますが、新羅は再度、唐に援軍を要請、唐は水軍約7000人を派遣し白村江に集結、日本百済連合軍は10日遅れで白村江に到着後唐、新羅軍と戦いますが、火計(火を用いる攻撃)、干潮の差を利用した唐、新羅軍の闘い方に苦戦し、日本船1000隻の内400隻余りを炎上させられ大敗、残船をもって日本軍は各地で転戦中の軍人、日本亡命希望者を乗せ、かろうじて日本に帰国しています。これが有名な白村江の戦いと言われています。
大伴部博麻は筑後国上陽郡(現在の八女地方)の軍丁(徴用兵士)として、この戦いに出兵しましたが、日本軍は敗北、唐軍の捕虜となり唐の長安に連行されます。当時の唐は強大な国であり周辺国を侵略していました。捕虜として過ごすうち、唐の日本進攻計画の謀略を知り、朝廷に急を告げるために、自らを奴隷として売るよう捕虜仲間に要望、その代価で衣服、食料、旅費等に当て、仲間4人の元日本兵士を日本まで送り届けました。
天智10年(671年)4人は大変な苦難の末、小船で対馬に到着、4人の報告は直ちに筑紫国大宰府政庁に伝えられ、天智天皇に伝えられました。この情報は主に九州の防衛強化に生かされ、那津官家(福岡)、大宰府政庁(福岡)、水城(福岡)、大野城(福岡)、基肄城(佐賀)、鞠智城(熊本菊池)、金田城(長崎対馬)、大宰府沿岸の警備強化、都を近江に移して国土防衛等を図っています。
奴隷として売られた大伴部博麻は、名も無き無名の軍丁(徴用兵士)で奴隷の身でしたが日本の安泰を案じ、奴隷の身でしたが幾多の苦難の連続に耐え、約30年後(日本側は671年以降、消息を調べていましたが確実な生存の情報をつかむのに長い時間を要したようです。)、天皇をはじめ多くの人達の救出の願いが叶い、無事帰国させました。(唐人等に協力を依頼しているようです。)お願いし日本書記には、持統4年(690年)10月、30年の歳月をえて日本帰国と記されています。
善神王宮社の2本の石柱には、「尊朝愛国、売身輪忠」(そんちょうあいこく・ばいしんゆちゅう)と記されています。日本書記、第41代持統天皇4年(690年)第33巻に記された勅語です。意味は・・・朕は、朝廷を尊び、国を愛し、己を売ってまで忠を顕したことを喜ばしく思う。
愛国と言う言葉が、初めて日本で使用されたのはこの時が始めてと言われています。
己の身を奴隷として売ってまでして情報を日本伝えた、大伴部博麻の国を想う忠誠に、時の女帝・持統天皇が大伴部博麻に勅語、階位、報償を贈ったことが記されています・・・従7位下の位、絹織物1反、真綿1屯、布三1反、稲千束、水田4町、父族、母族、妻族の課税を免除しています。
徹底した戦後GHQ策による自虐史観、可笑しな教育、崩壊しつつある日本社会の主因となったグローバル化を目指してきた政府、同盟国にさえNOと言えない日本政府、唯、自らの利権・特権を優先し、国益、国民の幸せを無視し、国是、日本社会が受け入れないような同盟国策を鵜呑み、受け入れ、憲法を蔑ろにし、自ら周辺国を敵にするような同盟国の理不尽な策に同調してきたと思います。
昨今の日本社会を崩壊させている移民問題、無茶苦茶な税等々・・・国を司る人達は、国民が自然体で国を想う心、国を守る心を発露するように自ら姿勢を正し、真剣に考えるべきでした。
昨今の日本社会は、日々の最低限の生活さえ満足に出来ない状況になっており、多くの国民は国を想う余裕さえ無い状態だと思います。国を想う、国を守る気持ちが生まれるような国の政策、特に経済諸策等々、目に見える結果を出さない限り、国を想う心、国を守る気持ちは生まれないでしょう。
「尊朝愛国、売身輪忠」(そんちょうあいこく・ばいしんゆちゅう)の碑は、私達、日本人が忘れている大切なものを、無名の軍丁(徴用兵士)・大伴部博麻は私達に訴えかけているように思います。