★連載NO.380
掛き歌【かきうた】。主に男女の会話を詠歌もしくは、節歌<ふしうた=三線に乗せた形体>で成す。
琉歌百景⑬
女=“くんなげぬ離り 里やいちゃやたが”
男=“我んね奥山ぬ 炭ぬ焦がり”
<くんなげぬ はなり さとぅや いちゃやたが>
<わんね うくやまぬ たんぬ くがり>
語意:くんなげー=ここしばらく。年月の時間。
かつて馴染んだ仲の男と女が、久しぶりに出会い女は言った。
歌意=ここしばらく、離れていた日々。あなたは、どう過ごしていたの。
男は答える。
歌意=1日たりとキミのことを忘れたことはなかったよ。オレの胸中は奥山で焼く木炭のように、キミへの思いで焦がれていたのだ。
その言葉をすんなりとは受け入れかねたのか、女はさらに言う。
琉歌百景⑭
“奥山の炭や 焼ちどぅ焦がらする 哀りくぬ我身や 思い焦がり”
<うくやまぬ たんや やちどぅ くがらする あわり くぬわみや たんぬくがり>
歌意=炭が焦げるようになぞとうまいことを言うけれど、焼く炭は火をつければ放っておいても木炭になる。けれども、1度火をつけられて
放って置かれたわたしは、哀れ・切なさで思い焦がれていたのよッ。薄情者!
この後、ふたりはどうなったのか。いかなる行動に移ったのか。それは読者の感性に委ねるが、次の歌詞を連歌としてみると、どうやら焼けぼっくりに火がついたようだ。
琉歌百景⑮
“思むてぃ呉てぃ果報志 他所知らち呉るな たんでぃ胸内に 止みてぃ給ぼり”
<うむてぃくぃてぃ かふうし ゆすしらち くぃるな たんでぃ んにうちに とぅみてぃ たぼり>
語意:果報志。ありがとうにあたる感謝語。*たんでぃ=どうぞの嘆願語。
炭焼きまで持ち出して“思い焦がれ”を表明した男女ではあるが所詮、ひとつ家には暮らせないふたり。ふたたび別れる際に男は歌掛きをしている。
歌意=これほどまでの“愛”をありがとう。だが、ふたりが深い中であることは、キミひとりの胸に納めて決して他人には、いや、親兄弟にも覚られてはならないよ。知られないようにしておくれ。
女はそれを納得したかどうか。“忍ぶれど色に出にけり我が恋は ものや思うと人の問ふまで”=百人一首・平兼盛=の詠歌をこの男は知らなかったとみえる。色恋は隠せば隠すほど、問わず語りで世間の知るところとなるというのに。
琉歌百景⑯
“照る月ん清か 一人寝んだりみ 起きぃ来は遊ば かなし無蔵よ”
<てぃるちちん さやか ふぃちゅい にんだりみ うきてぃくは あしば かなしんぞよ>
琉歌百景⑰
“出じてぃ来よ やりば 出じらりや すしが 出じてぃ後 科や 里がはちゅみ”
<んじてぃくよ やりば んじらりや すしが んじてぃあとぅ とぅがや さとぅが はちゅみ>
語意:無蔵・んぞ。心を寄せる女性に対する呼称。*里・さとぅ。無蔵の対語。*はちゅみ・はちゅん。弁償する・<責任を>負う。
夏。恋を語るには絶好の夜。男は愛女を待っているが来ない。どうやら親に足止めされて早寝したらしい。そこで、彼女の寝屋の戸越しに歌掛きをする。
歌意=月はいつになく清らかに照っているのに彼女よ。一人寝ができるのか。こっそり出ておいで。語り遊ぼう!愛しい人よ。
彼女も悶々と「目ふらちゃー寝んじ=みーふらちゃー にんじ。目をあけて横になっているさま」をしていたらしく返事をする。
歌意=出て来いと言うならば、親の目を盗んで出られないこともない。でも、そのことがバレて、親にひどく叱られる羽目になったら、その責任はあなたが取ってくれますか。
“揺れる乙女ごころ”がそこにはある。想像するに彼女は、親にとがめられたらその時はその時と覚悟を決めて、寝屋を抜け出したに違いない。青春の血は、そうであらねばならない。
娘が夜遊びすると親は、嫁のもらい手がないぞッと戒め、厳格な男親なぞは「出歩く足がいけないのだ。夜、外出するヤツは脛<すね>を折ってやるッ!」と、凄まじい言葉を掛けた。その制裁に遭った女童も少なくない。過酷のようだが、男親の娘に対する気持ち、分からないでもない。
昭和初期まで、男女の夜遊びは風紀を乱し、生産力を低下させるとして、各地に夜間外出禁止令の内法があった。若者組という青年団組織があって、殊に女性の夜間在宅を確かめる夜回りがなされた。違反者は勿論、罰金。これを「女童改み=みやらび あらたみ」と称した。しかし、それは建前で実際にはごく形式的なものだったと、かつてそれを経験した古老たちは述懐している。
次号は2009年2月26日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
掛き歌【かきうた】。主に男女の会話を詠歌もしくは、節歌<ふしうた=三線に乗せた形体>で成す。
琉歌百景⑬
女=“くんなげぬ離り 里やいちゃやたが”
男=“我んね奥山ぬ 炭ぬ焦がり”
<くんなげぬ はなり さとぅや いちゃやたが>
<わんね うくやまぬ たんぬ くがり>
語意:くんなげー=ここしばらく。年月の時間。
かつて馴染んだ仲の男と女が、久しぶりに出会い女は言った。
歌意=ここしばらく、離れていた日々。あなたは、どう過ごしていたの。
男は答える。
歌意=1日たりとキミのことを忘れたことはなかったよ。オレの胸中は奥山で焼く木炭のように、キミへの思いで焦がれていたのだ。
その言葉をすんなりとは受け入れかねたのか、女はさらに言う。
琉歌百景⑭
“奥山の炭や 焼ちどぅ焦がらする 哀りくぬ我身や 思い焦がり”
<うくやまぬ たんや やちどぅ くがらする あわり くぬわみや たんぬくがり>
歌意=炭が焦げるようになぞとうまいことを言うけれど、焼く炭は火をつければ放っておいても木炭になる。けれども、1度火をつけられて
放って置かれたわたしは、哀れ・切なさで思い焦がれていたのよッ。薄情者!
この後、ふたりはどうなったのか。いかなる行動に移ったのか。それは読者の感性に委ねるが、次の歌詞を連歌としてみると、どうやら焼けぼっくりに火がついたようだ。
琉歌百景⑮
“思むてぃ呉てぃ果報志 他所知らち呉るな たんでぃ胸内に 止みてぃ給ぼり”
<うむてぃくぃてぃ かふうし ゆすしらち くぃるな たんでぃ んにうちに とぅみてぃ たぼり>
語意:果報志。ありがとうにあたる感謝語。*たんでぃ=どうぞの嘆願語。
炭焼きまで持ち出して“思い焦がれ”を表明した男女ではあるが所詮、ひとつ家には暮らせないふたり。ふたたび別れる際に男は歌掛きをしている。
歌意=これほどまでの“愛”をありがとう。だが、ふたりが深い中であることは、キミひとりの胸に納めて決して他人には、いや、親兄弟にも覚られてはならないよ。知られないようにしておくれ。
女はそれを納得したかどうか。“忍ぶれど色に出にけり我が恋は ものや思うと人の問ふまで”=百人一首・平兼盛=の詠歌をこの男は知らなかったとみえる。色恋は隠せば隠すほど、問わず語りで世間の知るところとなるというのに。
琉歌百景⑯
“照る月ん清か 一人寝んだりみ 起きぃ来は遊ば かなし無蔵よ”
<てぃるちちん さやか ふぃちゅい にんだりみ うきてぃくは あしば かなしんぞよ>
琉歌百景⑰
“出じてぃ来よ やりば 出じらりや すしが 出じてぃ後 科や 里がはちゅみ”
<んじてぃくよ やりば んじらりや すしが んじてぃあとぅ とぅがや さとぅが はちゅみ>
語意:無蔵・んぞ。心を寄せる女性に対する呼称。*里・さとぅ。無蔵の対語。*はちゅみ・はちゅん。弁償する・<責任を>負う。
夏。恋を語るには絶好の夜。男は愛女を待っているが来ない。どうやら親に足止めされて早寝したらしい。そこで、彼女の寝屋の戸越しに歌掛きをする。
歌意=月はいつになく清らかに照っているのに彼女よ。一人寝ができるのか。こっそり出ておいで。語り遊ぼう!愛しい人よ。
彼女も悶々と「目ふらちゃー寝んじ=みーふらちゃー にんじ。目をあけて横になっているさま」をしていたらしく返事をする。
歌意=出て来いと言うならば、親の目を盗んで出られないこともない。でも、そのことがバレて、親にひどく叱られる羽目になったら、その責任はあなたが取ってくれますか。
“揺れる乙女ごころ”がそこにはある。想像するに彼女は、親にとがめられたらその時はその時と覚悟を決めて、寝屋を抜け出したに違いない。青春の血は、そうであらねばならない。
娘が夜遊びすると親は、嫁のもらい手がないぞッと戒め、厳格な男親なぞは「出歩く足がいけないのだ。夜、外出するヤツは脛<すね>を折ってやるッ!」と、凄まじい言葉を掛けた。その制裁に遭った女童も少なくない。過酷のようだが、男親の娘に対する気持ち、分からないでもない。
昭和初期まで、男女の夜遊びは風紀を乱し、生産力を低下させるとして、各地に夜間外出禁止令の内法があった。若者組という青年団組織があって、殊に女性の夜間在宅を確かめる夜回りがなされた。違反者は勿論、罰金。これを「女童改み=みやらび あらたみ」と称した。しかし、それは建前で実際にはごく形式的なものだったと、かつてそれを経験した古老たちは述懐している。
次号は2009年2月26日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com