旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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十二支シリーズ⑥ 申・猿

2010-03-11 00:20:00 | ノンジャンル
 3月に入っても寒い日が続いている。
 ふとテレビをみると、長野県かどこかの山間に湧き出る温泉場が映っている。しかし、露天風呂につかっているのは人間にあらず。野生の猿の一家が頭に粉雪を乗せながら、赤い顔をさらに赤くし、目を細めて気持ちよさそうに入っている。天然温泉のない沖縄育ちにとって、羨ましいことこの上もない。何事か成す場合、よくも考えもしないで他人の真似をすることを「猿の人真似」「猿真似」と言うが、温泉の温かさに眠気まで誘われている猿の一家がなんとも羨ましく「わたしは猿になりたい!」「人の猿真似」をしたくなったしだい。

 ※さる【申】十二支の第9。昔の「申の刻」は、現在の午後3時から5時。申の方角は西南西にあたる。あとひと月もすると、冷たい北風はしだいに南へ回り、申の方角から吹くようになって“うるじん・うりずん・うるずみ”の季節を迎えて、寒さは遠退く。

動物の猿とは、人を除く霊長類の総称。南アメリカ産で尻だこの発達した狭鼻猿類。尾のない高等な類人猿の他にツバイやキツネザルなどの原始的な原猿類が含まれる。俗にエテ公とも言い、動きがすばやいことから「ましら」とも言う。沖縄語ではサールー
 猿に因んだ慣用句を拾ってみよう。
    

 ※猿が辣韮を剥くよう
 猿に辣韮〈ラッキョウ〉を与えると、皮を剥き続け、ついには食べる部分すら残さないと言われることから、無駄な努力をして何の益も効果もまったく上がらないさまを形容している。

 ※猿に鳥帽子
 烏帽子は、元服した男子のかぶり物の1種。黒塗りをしたことから、カラスの漢字を当てたようだ。平安時代には貴賤の別なく日常的に着用。もともとは布製だったが後世は紙製でウルシ塗りが普通になった。身分によって形や塗りが異なったそうな。
 
 ※猿の尻笑い
 猿が自分の尻の赤いことに気づかないで、他の尻の赤いのを笑うさま。目くそが鼻くそを笑うという例えもあるが、人間界にも自分の欠点にまったく気づかず、他人のフギ〈欠点・失敗・あらの意〉を笑うものがいる。政権交代後、政治家同士の「猿の尻笑い」的シーンがテレビに映し出される。しかし、これは「笑い」ではすまされまい。

 ※猿も木から落ちる
 木登りは得意中の得意の猿でも、時には登り損ねて落ちることもある。書道の達人弘法大師にも筆の誤りはあったそうだし、泳ぎの達者な河童も川の流れに足をとられて溺れることもあるそうな。沖縄の俗語には「走馬ぬキッチャキはいんま」がある。キッチャキはけつまづくの意。どんなに足の速いとの誉れ高い名馬でも、なにかの拍子にキッチャキすることもあるわけで、名人上手の手からも水が漏れることも、ままあることだ。またぞろ政治家絡みになるが、猿は木から落ちても猿でいられる。でも、選挙の票数で当落が決まる彼らは選挙に落ちると「ただの人以下!」と言った御仁がいる。ジョークとしては面白いが、当人にとっては笑ってもいられまい。

 ※猿は人間に毛が三本足らぬ
 猿がいかに人間に類似していると言っても、猿は所詮猿。人間に及ぶものではない。その差を[毛3本]にしたところがいい。つまりは、人間はイチムシ〈けもの〉に劣ってはならない。人間らしくあれ!と説いている。
 いかに人間同士でも、どうしても気が染まない人がいるものだ。何かにつけていがみ合う。慣用句では「犬猿の仲」としていて、同席すれば良し悪しは問題外の外。とかく生理的に受け付け合わない。しかし、猿の生息しない沖縄では犬と猿ではなく「犬とぅ猫=インとぅマヤー」にしている。

 ところが、王府時代の宮廷芸能のひとつ組踊〈くみWUどぅゐ〉に猿が登場する芸題がある。作者は高宮城親雲上〈たかなーぐしく ぺーちん〉。ぺーちんは、宮廷の高官の職位。生没不詳。作品名「花売ぬ縁=はなういぬ ゐい」。その2段目には、大道芸をする小猿の出がある。称して「猿引きの場」。
 物語は、首里を離れて単身、大宜見間切津波村に下った男森川の子〈むいかわぬ し=子・=は下級官位名〉を妻子が尋ねて行く。森川は、篭に花々を積んで担ぎ歩く花売りの暮らしをしている。10余年ぶりに邂逅した親子は(やはり家族は離ればなれになってはいけない。ひとつ家に暮らすべき)だとして首里に戻る。母子の旅の途中、大道で鳴物に合わせて芸をする小猿を見かけるのだが、大抵7、8歳の子役が演じるため、この組踊の見せ場になっている。もちろん、沖縄には猿はいない。それでも猿が登場するのは、組踊そのものが大和の能・狂言を参考にして創作されたからだ。歌舞伎や大和芸能に猿引きの場が多々あることはご存じの通りである。

 京都・嵐山の猿山に遊んだことがある。
 山頂の小屋の中から野生の猿を観察するわけだが、小屋に人間が入ると外の猿たちがエサをねだって小屋を囲む。金網や強化ガラスで安全は確保されているものの、その情景は人間がオリの中にいて、外から猿が人間を見学しているようだった。妙な気持ちを押さえて猿につき合った。