琉歌百景80
あねる木ややてぃん 心有てぃ三味や 寄る辺ねん我身ぬ 命ぬ泉
〈あねる木や やてぃん くくるあてぃ サミや ゆるびねん わみぬ ぬちぬ いじゅん〉
語意*あねる=大したモノではない。たかだかのモノ・コト。日常語では「あんねーる」と言い、使い物にならないとか、安易なことをさす場合によく使う。
歌意=三線は、たかだか木で造ったモノではあるが、三筋の糸を掛けて弾くと、まるでそれ自体に心・命が宿っているかのように思える。さらに歌詞を乗せて歌うと孤独を囲う寄る辺ない自分に生きる力をあたえてくれる。歌三線は、命の泉というべき存在。
琉歌百景81
生ちちょりば親に 我歌思み聞かち 慰みん伽ん すたらやしが
〈いちちょりば うやに わうた うみちかち なぐさみん とぅじん すたらやしが〉
語意*思み聞かち=思みは「聞かす」にかかる美語。
詠みびとは、初老になったのだろう。ふと周囲に気をやると両親ともすでに逝っている。
歌意=両親が健在だったならば、自分が歌いこなせる節々を弾き聞かせたかった。そうすれば、労苦に耐えてきた両親にひと時の安らぎ、ひと時の慰めを共にすることができたものを・・・・。孝行をしたい時には親はなし。
古典音楽安冨祖流の系譜に伊志嶺朝功〈いしみね ちょうこう。1856~1928〉の名を見ることができる。首里儀保の名家伊志嶺殿内〈とぅんち〉の三男として生まれている。伊志嶺朝功師は、安冨祖流の後継者安室朝持〈あむろ ちょうじ。1841~1916〉を姉婿としたこともあって、幼くして安室師に師事。長じて当流のいや、琉球古典音楽史にその名を刻む多くの名人たちを育成している。
その伊志嶺朝功師が、常に心得としていた「琉球音楽の研究要領」を後年、弟子筋がまとめて木版にしたものがある。いわく。
琉球音楽の研究要領
1 姿勢。胸を張り腹を出し尻を後方に引き、目はその高さの前方を静視して軽く正座する。
2 楽器。取扱方は實地に習得する。
3 研究心得
① 歌持【前奏】は、其の節の情を絃音にて表わすものなり。
② 舞踊は腰で歌は腹で扱ふ。
③ 歌の意味をよく理解し、其の情を肝に念じて歌ふ事が肝要である。
④ 練習の時眼は師の指運を見、耳は節を聴き、手と喉は師に真似て習得する。
⑤ 發音は常に正確に發する。
⑥ 曲節を覚える迄は、節の聲より梢々細く、梢々自信付いた時には師の聲も圧する程に声量を出して歌ひ、確信付いた時は進んで独唱して師の批判を受ける。
⑦ 打出の「カナ」は軽く付け、力の取り處及聲の切り替る處に注意深く研究する。
⑧ 歌の道中は小舟で大洋を行くが如く、大波小波をうまく乗り越えて進行するが如し。
⑨ 二時間宛の一日越しの勉強より、1時間宛の毎日勉強は三倍の進歩を見る。急がず根張りを要する。
⑩ 歌は性情を養ふのが目的で酒色に染めば必然邪曲となるに付、心身の鍛練修養を怠らぬ事。
⑪ 他人の歌の良否を聞分ける様に、自分の歌の正否を悟れたら昇進の途上にして有望である。
⑫ 發聲法を研究し聲の鍛錬をなすと共に、曲節の完成を計ること。肉魚と云えど調理悪ければ美味しく食べられぬと同じ。
⑬ 絃の走みの原則を悟り、楽曲に應用すれば曲節の悟りも早い。
⑭ 曲節は、一絃毎に完全に取扱って行く事が肝要で、一絃が完結してから他の絃に移す様にすれば自然に、正しい曲節が出来上がる。
(安冨祖流故石嶺先生言)
野村流松村統絃会3代目師範故宮城嗣周師は常々、弟子にはこう伝えた。
「およそ芸能なるものは、己の人格・品格を磨くため、言い換えれば【いい人】になるために成すものだ。芸能界に身を置いたばかりに他人と争ったり、侮蔑するような【わるい人】になってはいけない。他人を侮蔑し奢った時点で芸能に関わる資格を失う」。
琉歌百景82
歌ぬ節々ぬ 流行る世の中や 遊び楽しみぬ 果てぃやねらん
〈うたぬ ふしぶしぬ はやる ゆぬなかや あしびたぬしみぬ はてぃやねらん〉
歌意=古謡はもちろんのこと祭祀歌、労働歌、祭り歌、情歌、遊び歌。そして時代を映して創作される新歌謡までさまざまな歌が生まれ、人びとの唇に乗る世の中。なんと平和なことか。巷間に歌が流行り歌い継がれ、人びとの遊び楽しみ〈平穏な暮らし〉のある時代は幸せだ。いつまでも続いてほしい。
ドイツの諺「歌っている所に腰をおろせ。悪人は歌わない」「歌を好む人びとのいる所に暮らせ。悪人はうたわない」。
あねる木ややてぃん 心有てぃ三味や 寄る辺ねん我身ぬ 命ぬ泉
〈あねる木や やてぃん くくるあてぃ サミや ゆるびねん わみぬ ぬちぬ いじゅん〉
語意*あねる=大したモノではない。たかだかのモノ・コト。日常語では「あんねーる」と言い、使い物にならないとか、安易なことをさす場合によく使う。
歌意=三線は、たかだか木で造ったモノではあるが、三筋の糸を掛けて弾くと、まるでそれ自体に心・命が宿っているかのように思える。さらに歌詞を乗せて歌うと孤独を囲う寄る辺ない自分に生きる力をあたえてくれる。歌三線は、命の泉というべき存在。
琉歌百景81
生ちちょりば親に 我歌思み聞かち 慰みん伽ん すたらやしが
〈いちちょりば うやに わうた うみちかち なぐさみん とぅじん すたらやしが〉
語意*思み聞かち=思みは「聞かす」にかかる美語。
詠みびとは、初老になったのだろう。ふと周囲に気をやると両親ともすでに逝っている。
歌意=両親が健在だったならば、自分が歌いこなせる節々を弾き聞かせたかった。そうすれば、労苦に耐えてきた両親にひと時の安らぎ、ひと時の慰めを共にすることができたものを・・・・。孝行をしたい時には親はなし。
古典音楽安冨祖流の系譜に伊志嶺朝功〈いしみね ちょうこう。1856~1928〉の名を見ることができる。首里儀保の名家伊志嶺殿内〈とぅんち〉の三男として生まれている。伊志嶺朝功師は、安冨祖流の後継者安室朝持〈あむろ ちょうじ。1841~1916〉を姉婿としたこともあって、幼くして安室師に師事。長じて当流のいや、琉球古典音楽史にその名を刻む多くの名人たちを育成している。
その伊志嶺朝功師が、常に心得としていた「琉球音楽の研究要領」を後年、弟子筋がまとめて木版にしたものがある。いわく。
琉球音楽の研究要領
1 姿勢。胸を張り腹を出し尻を後方に引き、目はその高さの前方を静視して軽く正座する。
2 楽器。取扱方は實地に習得する。
3 研究心得
① 歌持【前奏】は、其の節の情を絃音にて表わすものなり。
② 舞踊は腰で歌は腹で扱ふ。
③ 歌の意味をよく理解し、其の情を肝に念じて歌ふ事が肝要である。
④ 練習の時眼は師の指運を見、耳は節を聴き、手と喉は師に真似て習得する。
⑤ 發音は常に正確に發する。
⑥ 曲節を覚える迄は、節の聲より梢々細く、梢々自信付いた時には師の聲も圧する程に声量を出して歌ひ、確信付いた時は進んで独唱して師の批判を受ける。
⑦ 打出の「カナ」は軽く付け、力の取り處及聲の切り替る處に注意深く研究する。
⑧ 歌の道中は小舟で大洋を行くが如く、大波小波をうまく乗り越えて進行するが如し。
⑨ 二時間宛の一日越しの勉強より、1時間宛の毎日勉強は三倍の進歩を見る。急がず根張りを要する。
⑩ 歌は性情を養ふのが目的で酒色に染めば必然邪曲となるに付、心身の鍛練修養を怠らぬ事。
⑪ 他人の歌の良否を聞分ける様に、自分の歌の正否を悟れたら昇進の途上にして有望である。
⑫ 發聲法を研究し聲の鍛錬をなすと共に、曲節の完成を計ること。肉魚と云えど調理悪ければ美味しく食べられぬと同じ。
⑬ 絃の走みの原則を悟り、楽曲に應用すれば曲節の悟りも早い。
⑭ 曲節は、一絃毎に完全に取扱って行く事が肝要で、一絃が完結してから他の絃に移す様にすれば自然に、正しい曲節が出来上がる。
(安冨祖流故石嶺先生言)
野村流松村統絃会3代目師範故宮城嗣周師は常々、弟子にはこう伝えた。
「およそ芸能なるものは、己の人格・品格を磨くため、言い換えれば【いい人】になるために成すものだ。芸能界に身を置いたばかりに他人と争ったり、侮蔑するような【わるい人】になってはいけない。他人を侮蔑し奢った時点で芸能に関わる資格を失う」。
琉歌百景82
歌ぬ節々ぬ 流行る世の中や 遊び楽しみぬ 果てぃやねらん
〈うたぬ ふしぶしぬ はやる ゆぬなかや あしびたぬしみぬ はてぃやねらん〉
歌意=古謡はもちろんのこと祭祀歌、労働歌、祭り歌、情歌、遊び歌。そして時代を映して創作される新歌謡までさまざまな歌が生まれ、人びとの唇に乗る世の中。なんと平和なことか。巷間に歌が流行り歌い継がれ、人びとの遊び楽しみ〈平穏な暮らし〉のある時代は幸せだ。いつまでも続いてほしい。
ドイツの諺「歌っている所に腰をおろせ。悪人は歌わない」「歌を好む人びとのいる所に暮らせ。悪人はうたわない」。