旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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琉歌百景・箏曲歌物三節

2009-06-18 08:30:00 | ノンジャンル
 コト[琴・箏]は、東洋の撥弦楽器の総称で平安時代には「箏=そうのコト」「琴=きんのコト」「琵琶=びわのコト」などと言い、形や大きさも様々であった。また、弦を支えるコマを動かして調弦するものを「箏」、コマはそうそう動かさず、弦を固定した箇所の音締めで調弦するものを「琴」としたようだが、現在では箏・琴とも[こと]と称している。
 四季を問わず、夜のしじまや月影には、琴の調べがよく似合う。



 琉歌百景74

 symbol7庭の松ぬ葉に 騒ぐ夜嵐ぬ 音ん静みゆる 琴ぬ調べ
 〈にわぬ まちぬふぁに さわぐ ゆあらしぬ うとぅん しじみゆる くとぅぬ しらべ〉

 「庭の松の葉に騒ぐ夜嵐」というからには庶民の住まいではなく、首里士族の広い庭園のある立派なお屋敷だったに違いない。三線の音ならいざ知らず、専門家を除く家庭からは、いまでも琴の音なぞ聞こえない。それほど琴は、一般的ではないということか。
 歌意=外は夜の強い風。庭の琉球松の枝が騒いでいる。しかし、琴の音はそれを鎮めるように流れ聞こえる。諸々の浮世のしがらみの中で揺れて定まらない私の心をも癒してくれる。

 琉歌百景75

symbol7誰が宿がやゆら 月影に染まてぃ 風頼ゆてぃ聞ちゅる 琴ぬ音色
 〈たがやどぅが やゆら ちちかじん すまてぃ かじたゆてぃ ちちゅる くとぅぬ にいる〉

 歌意=どなたのお屋敷だろう。美しい月影をさらに清かに染めて、琴の音が聞こえる。風を頼りに耳にしているが、その音色は聞く者の心をとらえてやまない。

 琉球箏曲は、尚貞王代の1702年、稲福盛淳〈いなふく せいじゅん。生没不明〉が王命を受けて薩摩に渡り、服部清左衛門政真父子に師事して八橋流を学び、これを琉球音楽と融合させて広めた。つまり、稲福盛淳は琉球箏曲の祖と言える。伝来の曲は[段のもの]と言われる声楽のない演奏のみの7曲。これらは「管撹・すががち」と称している。
 すなわち①滝落管撹〈たちうとぅし〉。②地管撹〈ぢ〉。③江戸管撹。④拍子管撹。⑤佐武也管撹〈さんや〉。⑥六段管撹。⑦七段管撹の7曲。そして[歌物]という歌詞付きの3曲の都合10曲である。歌物3曲は、薩摩で修得したにもかかわらず現在、大和には節名、歌詞、旋律など原曲とするものが見当たらずにいるという。そうなると、歌物3節は、沖縄にのみ現存することになる。しからば[琉歌」と位置付けて記す。

 琉歌百景76〈歌物その①船頭節〉

 symbol7殿の屋形に鶉がふける なんとふけるか立ちより聞けば 御世は永かれ世もよかる

 屋形は〈館〉の文字も見える。鶉〈うずら〉は沖縄語でウジラ。ふけるは、フキーンと言い、鶯などの美声に用い、鳥類の鳴く、歌うとともに詠歌や日常語に生きている。替え歌に“吉野山路尋ねて行けば 顔に桜が散りかかる・・・・・”があるようだが、ほとんどが歌われていない。

 琉歌百景77〈歌物その②対馬節〉

 symbol7われは対馬の鍛冶屋の娘 鎖作りて君つなぐ
 
 替え歌“君は浮舟儚い錨 縁の綱かや切りかねる”

 琉歌百景78〈歌物その③源氏節〉

 symbol7源氏狭衣伊勢物語 数の書冊の恋の文

 替え歌“会えた見たさや飛び立つばかり かごの鳥かやままならぬ”

 箏が三線音楽の伴奏楽器として公式に登用された年代は明確ではない。しかし、伊江親方朝睦〈いゐ うぇーかた ちょうぼく〉が三司官〈大臣〉在職中の1784年から1816年まで記した「日日記=ひにっき」の1808年の2月、さらに2年後の2月、6月の日記には、在番奉行や国賓のもてなしに「三絃、琴などいたさせ」云々の記述があるそうだ。そのことから推察すると、そのころすでに[箏]は定着していたと思われる。
 王府時代、男性奏者によって発達してきた[箏]は、大正時代中期には仲里陽史子〈1892~1946〉、又吉静子らの女性継承者を輩出。しだいに女性の手に移ることになる。昭和15年〈1940〉に「琉球箏曲興陽会」、昭和32年〈1957〉「琉球箏曲保存会」が設立されて今日に至っている。両会の会員の99パーセントは女性と目され、毎年9月10日を「ことの日」として野外演奏会を開催している。

 琉歌百景79

 symbol7琴や三線の心預じきやい 浮世なだやしく渡てぃ行かな
 〈くとぅや さんしんに くくる あじきやい うちゆ なだやしく わたてぃ いかな〉

 語意*なだやしく=おだやかに。
 歌意=たかだか100年の人生。何をくよくよしようぞ。琴や三線に心を預けて、穏やかに浮世を渡って行こうではないか。
 やはり、歌・三線・琴・鳴物などの音楽は、沖縄人の精神文化と深く関わっている。