琉歌百景71【二揚五節その⑤述懐=しゅっくぇ。すっくぇ】
辞書を引いてみると【述懐・じゅっかい】は、過去のことについて、思いを述べること。その内容。愚痴を言うこととあるが、節名のそれは意味を異にしているようだ。
古典音楽家・故宮城嗣周師は「名残り惜しいを意味する沖縄語“シクェーシュン・シクェースン”に漢字を当てたもの」としている。確かに述懐節に適した歌詞として記録されている50首近くの詠歌は、数首除くほとんどが「惜別」を内容としている。「仲風・述懐」と合わせ読みされるように「仲風」を恋人に逢いに行く、つまり「忍び=しぬび」の歌とし「述懐節」を逢瀬の後の「惜別」を表すものと位置付けをされている。中には、過去のことについて、思いを述べた詠歌がないわけではない。しかし、多くは惜別やそれ以前の恋人に逢えない心情など、恋情の様々な形が詠まれている。
さらば立ち別から 与所目無んうちに やがてぃ暁ぬ 鶏ん鳴ちゅら
〈さらば たちわから ゆすみ ねんうちに やがてぃ あかちちぬ とぅいん なちゅら〉
歌意=ふたりだけの夜を語り合ったことだが、さあ、今日は世間が起き出して人目につかないうちに別れよう。もうすぐ暁を告げる一番鶏が鳴く時刻だから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/d2/b2bb239af09815085dc85966b0a88d90.jpg)
琉歌百景72
朝夕さん御側 拝み馴り染みてぃ 里や旅しみてぃ 如何し待ちゅが
〈あさゆさん うすば WUがみ なりすみてぃ さとぅや たびしみてぃ いちゅし まちゅが〉
歌意=朝な夕な片時も離れず、貴方の顔を拝し睦ましく過ごしているのに、こん度貴方は長い船旅にお出でになる。帰省するまで1年か2年か。その間、私はどう過ごせばよいのか。愛が深い分、寂しさ、切なさは増すばかり。
この1首は、舞踊「花風=はなふう」の入羽〈いりふぁ〉に「下出し述懐節=さぎ んじゃし」として歌われている。ただ、舞踊の内容からするとこの男女は、夫婦ではなく遊女と里〈さとぅ。夫も意味するがこの場合は彼〉の惜別の情と解釈したほうがよい。その証に「花風節」には「ジュリ小風。遊女風」との別名がある。
仲風・述懐は、組踊や芝居に多く用いられているため、一般に広く普及。狂歌にも登場する。
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琉歌百景73
正月ぬ御酒 飲み過ぎてぃからに 酔ゐ泣ちぬ合間や 仲風述懐
〈そぉぐぁちぬ うじゃき ぬみすぎてぃからに WUゐなちぬ まどぅや なかふう・しゅっくぇ〉
歌意=めでたい正月の祝宴というのに泣き上戸の御仁は、酒を飲み過ぎて泣き癖を発揮しながらも、泣き合間々々に仲風、述懐を弾き歌って新年を寿いでいる。なんと奇妙でおかしい正月風景であることか。
古典音楽界に「仲風止まゐ・述懐止まゐ」という言葉がある。「なかふう どぅまゐ しゅっくぇー どぅまゐ」。
歌三線の道に入る場合、師匠によっても異なるだろうが、まず「工工四」上巻の最初にある「かぢゃでぃ風節」から手解きを受ける。本調子の同節の歌持ち〈うたむち。前奏〉は、三線音楽の基本音とされているからだろう。それから順を追ってひと節ひと節を修得して二揚ぎ節にも達するのだが「干瀬節」「子持節」「散山節」「仲風節」「述懐節」を一応弾き歌うことが出来るようになると、古典曲すべてを修得した気になりがち。その自惚れが表に出て、歌三線の稽古が怠慢になったり、それ以上の研鑽を放棄する者もいる。このことから、中途半端な修得の仕方やその者を指して「仲風止まゐ・述懐止まゐ」と言い当てている。また、その一方では、音楽の道は遠く長く広く深いことを覚悟し、その先は、あらゆることに適応するのではなかろうか。
私の場合もしかり。放送屋という職業のおかげで先輩方の経験談を聞き得、また多くの名人とうたわれる方々の生演奏に接し、その上お付き合いさせていただいたおかげで、この「琉歌百景」を書かせてもらっている。
盛敏著「琉歌集」などなど。他には「琉歌百控」「沖縄古語大辞典」「沖縄文化史辞典」「沖縄大百科事典」を参考にして、僭越承知で私なりの解釈を試みたしだい。このことは諸先輩方の長年の研究による定説を否定するものでは決してない。
いわば、「仲風止まゐ・述懐止まゐ」の成せるわざ。反省し初心に返り、まだまだ先を勉強しようと固く決意することを得た。
辞書を引いてみると【述懐・じゅっかい】は、過去のことについて、思いを述べること。その内容。愚痴を言うこととあるが、節名のそれは意味を異にしているようだ。
古典音楽家・故宮城嗣周師は「名残り惜しいを意味する沖縄語“シクェーシュン・シクェースン”に漢字を当てたもの」としている。確かに述懐節に適した歌詞として記録されている50首近くの詠歌は、数首除くほとんどが「惜別」を内容としている。「仲風・述懐」と合わせ読みされるように「仲風」を恋人に逢いに行く、つまり「忍び=しぬび」の歌とし「述懐節」を逢瀬の後の「惜別」を表すものと位置付けをされている。中には、過去のことについて、思いを述べた詠歌がないわけではない。しかし、多くは惜別やそれ以前の恋人に逢えない心情など、恋情の様々な形が詠まれている。
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〈さらば たちわから ゆすみ ねんうちに やがてぃ あかちちぬ とぅいん なちゅら〉
歌意=ふたりだけの夜を語り合ったことだが、さあ、今日は世間が起き出して人目につかないうちに別れよう。もうすぐ暁を告げる一番鶏が鳴く時刻だから。
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琉歌百景72
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〈あさゆさん うすば WUがみ なりすみてぃ さとぅや たびしみてぃ いちゅし まちゅが〉
歌意=朝な夕な片時も離れず、貴方の顔を拝し睦ましく過ごしているのに、こん度貴方は長い船旅にお出でになる。帰省するまで1年か2年か。その間、私はどう過ごせばよいのか。愛が深い分、寂しさ、切なさは増すばかり。
この1首は、舞踊「花風=はなふう」の入羽〈いりふぁ〉に「下出し述懐節=さぎ んじゃし」として歌われている。ただ、舞踊の内容からするとこの男女は、夫婦ではなく遊女と里〈さとぅ。夫も意味するがこの場合は彼〉の惜別の情と解釈したほうがよい。その証に「花風節」には「ジュリ小風。遊女風」との別名がある。
仲風・述懐は、組踊や芝居に多く用いられているため、一般に広く普及。狂歌にも登場する。
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琉歌百景73
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〈そぉぐぁちぬ うじゃき ぬみすぎてぃからに WUゐなちぬ まどぅや なかふう・しゅっくぇ〉
歌意=めでたい正月の祝宴というのに泣き上戸の御仁は、酒を飲み過ぎて泣き癖を発揮しながらも、泣き合間々々に仲風、述懐を弾き歌って新年を寿いでいる。なんと奇妙でおかしい正月風景であることか。
古典音楽界に「仲風止まゐ・述懐止まゐ」という言葉がある。「なかふう どぅまゐ しゅっくぇー どぅまゐ」。
歌三線の道に入る場合、師匠によっても異なるだろうが、まず「工工四」上巻の最初にある「かぢゃでぃ風節」から手解きを受ける。本調子の同節の歌持ち〈うたむち。前奏〉は、三線音楽の基本音とされているからだろう。それから順を追ってひと節ひと節を修得して二揚ぎ節にも達するのだが「干瀬節」「子持節」「散山節」「仲風節」「述懐節」を一応弾き歌うことが出来るようになると、古典曲すべてを修得した気になりがち。その自惚れが表に出て、歌三線の稽古が怠慢になったり、それ以上の研鑽を放棄する者もいる。このことから、中途半端な修得の仕方やその者を指して「仲風止まゐ・述懐止まゐ」と言い当てている。また、その一方では、音楽の道は遠く長く広く深いことを覚悟し、その先は、あらゆることに適応するのではなかろうか。
私の場合もしかり。放送屋という職業のおかげで先輩方の経験談を聞き得、また多くの名人とうたわれる方々の生演奏に接し、その上お付き合いさせていただいたおかげで、この「琉歌百景」を書かせてもらっている。
盛敏著「琉歌集」などなど。他には「琉歌百控」「沖縄古語大辞典」「沖縄文化史辞典」「沖縄大百科事典」を参考にして、僭越承知で私なりの解釈を試みたしだい。このことは諸先輩方の長年の研究による定説を否定するものでは決してない。
いわば、「仲風止まゐ・述懐止まゐ」の成せるわざ。反省し初心に返り、まだまだ先を勉強しようと固く決意することを得た。