★連載NO.363
舌禍=演説、講演などの内容が法律にふれたり、他人を怒らせたりして受ける災難。他人の中傷や誹謗によって受ける災難<日本語大辞典>
「日教組が強い県は、学力が低い」
念願の大臣の席に坐った喜びのあまりか、就任2日目に発言。即刻〔辞任〕せざるを得なかったセンセイがいらっしゃる。これなぞ、まさに舌禍。沖縄風に云えば「口にどぅ喰ぁりーる」である。この俗語の場合「口」は「物言い様」。「喰ぁりーる」は「自分の口で自分を喰い捨てる」つまりは、墓穴を掘る様を言い当てている。かつて、後に総理大臣になった大物が「貧乏人は麦を喰えッ」と言い放って国民の怒りを買った事例もある。
「敵は本能寺にあり」と、織田信長の首を取って天下人を夢見た明智光秀。結局は豊臣秀吉に討たれて〔三日天下〕に終わる。以来、ものごとを始めたものの根気がなく、長続きしないことを三日天下と言ってきたが、今回のセンセイはその〔三日〕も保てず「二日天下」・・・・。語呂も悪いし洒落にもならないように思える。戦国時代から今日まで、こうした物言い様で世間を騒がせ、身を滅ぼした例は枚挙にいとまがなく、教訓にしてきたはずなのに〔舌禍〕は後を断たない。
「まあ、人間的でいいのではないか」と〔笑って許して〕の寛大な意見もあるが、国情が逼迫している今日、国民としてはそう寛大さを発揮している時代ではなかろう。
口・言葉に関する諺や歌謡は多い。八重山民謡「でんさ節」にも、次のような文句がある。
♪物言ざば慎み 口ぬ外 出だすな 出だしから 又ん 飲みやならぬ
♪車や三節ぬ楔しどぅ 千里ぬ道ん走い廻る 人や三節ぬ舌しどぅ 大胴や喰い捨てぃ
歌意=物を言う時には、よくよく考慮して口にせよ。一度発した言葉は、またと飲み込むことはできない。
荷車や馬車は、その車輪の中心に〔かなめ〕として、三寸の楔が打ち込まれている。それでしっかり固定されているからこそ、千里の道をも往復できるのだ。ところが人間は、三寸は三寸でも舌先三寸の物言い様で大事な我が身を滅ぼしてしまう。
車の楔は三寸でもいいが、実際に人間の舌が三寸もあったら困りものだ。沖縄では、大人の殊に男の中指の第1関節から第2関節の間を約1寸の尺度としている。「でんさ節」の〔節〕は〔寸〕の意。大和ではどうだろうか。
舌は、さまざまな諺・俗語に登場する。
*舌が肥える=うまい物、高級な食べ物を食べなれているために、味の善し悪しがよく分かるようなるたとえ。
それならいいが、舌が肥えて「贅沢」になり過ぎてはいけないだろう。
*舌が長い=おしゃべりである。多弁。
*舌が伸びる=他をはばからず、威張って大げさなことを言う。大言、広言を吐く。
*舌の剣は命を絶つ=人を傷つけるような言葉は、おうおうにして双方の命取りになる。言葉を慎めということ。
*舌柔らか也=物言いが巧みである。
*舌先三寸に胸三寸=口と心は慎まなければならないのたとえ。
などなど多々。
松尾芭蕉の句“物言えば唇寒し秋の空”は、なまじ余計なことを言うと、禍を招くと解釈するか。本格的な秋に入り朝夕、物言う唇にも寒さを覚えると解釈するか。浅学のいたり・・・・。ご教示願いたい。
昔ばなし「七色元結=なないろ むうてぃー」
那覇と豊見城の間を流れる国場川に橋を架けることになった。その工事は殊のほか難行。そのとき、ひとりのユタ<巫女・霊能者>が「子年生まれで髪を七色の元結で結った女を人柱に立てるとよい」と託宣するのだが、そんな女を探せども居ず、なんと人柱の条件を満たした女とは、託宣をした当のユタ本人だった。ユタは「他人より先に物を言ってはならない」と遺言して人柱になった。大筋、このような話だ。
この真玉橋由来記は、昭和10年<1935>。平良良勝の作・演出により劇化され都度、上演されている。同様の人柱伝説は大和にもあり、「長良川」の芸題の芝居があるという。いずれにせよ命がけの“物言えば唇寒し秋の風”だったわけだが諺・俗語とはよくしたものだ。一方には「物言わぬは腹膨る=思っていることを言わずに我慢していると、気持ちがすっきりしない。物は言うべし」とする反語がちゃんとある。だからこそ諺・俗語は教訓になり得るのだろう。
真玉橋遺構(豊見城市在)
RBCiラジオ午後3時の番組「民謡で今日拝なびら=月~金」は、47年続いているが、そのうちの43年ばかりを担当している小生なぞ、生番組なだけに「唇寒し」を幾度やってきたことか。それでも「腹が膨れる」のを好まず、懲りずに放送している。
物言い・発言はきれいごとではすまされない場合がある。かと言って不用意でも思いつきでも、うまくはいかない。いやはや、とかくこの世は難しい。
RBCスタジオにて
次号は2008年10月30日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
舌禍=演説、講演などの内容が法律にふれたり、他人を怒らせたりして受ける災難。他人の中傷や誹謗によって受ける災難<日本語大辞典>
「日教組が強い県は、学力が低い」
念願の大臣の席に坐った喜びのあまりか、就任2日目に発言。即刻〔辞任〕せざるを得なかったセンセイがいらっしゃる。これなぞ、まさに舌禍。沖縄風に云えば「口にどぅ喰ぁりーる」である。この俗語の場合「口」は「物言い様」。「喰ぁりーる」は「自分の口で自分を喰い捨てる」つまりは、墓穴を掘る様を言い当てている。かつて、後に総理大臣になった大物が「貧乏人は麦を喰えッ」と言い放って国民の怒りを買った事例もある。
「敵は本能寺にあり」と、織田信長の首を取って天下人を夢見た明智光秀。結局は豊臣秀吉に討たれて〔三日天下〕に終わる。以来、ものごとを始めたものの根気がなく、長続きしないことを三日天下と言ってきたが、今回のセンセイはその〔三日〕も保てず「二日天下」・・・・。語呂も悪いし洒落にもならないように思える。戦国時代から今日まで、こうした物言い様で世間を騒がせ、身を滅ぼした例は枚挙にいとまがなく、教訓にしてきたはずなのに〔舌禍〕は後を断たない。
「まあ、人間的でいいのではないか」と〔笑って許して〕の寛大な意見もあるが、国情が逼迫している今日、国民としてはそう寛大さを発揮している時代ではなかろう。
口・言葉に関する諺や歌謡は多い。八重山民謡「でんさ節」にも、次のような文句がある。
♪物言ざば慎み 口ぬ外 出だすな 出だしから 又ん 飲みやならぬ
♪車や三節ぬ楔しどぅ 千里ぬ道ん走い廻る 人や三節ぬ舌しどぅ 大胴や喰い捨てぃ
歌意=物を言う時には、よくよく考慮して口にせよ。一度発した言葉は、またと飲み込むことはできない。
荷車や馬車は、その車輪の中心に〔かなめ〕として、三寸の楔が打ち込まれている。それでしっかり固定されているからこそ、千里の道をも往復できるのだ。ところが人間は、三寸は三寸でも舌先三寸の物言い様で大事な我が身を滅ぼしてしまう。
車の楔は三寸でもいいが、実際に人間の舌が三寸もあったら困りものだ。沖縄では、大人の殊に男の中指の第1関節から第2関節の間を約1寸の尺度としている。「でんさ節」の〔節〕は〔寸〕の意。大和ではどうだろうか。
舌は、さまざまな諺・俗語に登場する。
*舌が肥える=うまい物、高級な食べ物を食べなれているために、味の善し悪しがよく分かるようなるたとえ。
それならいいが、舌が肥えて「贅沢」になり過ぎてはいけないだろう。
*舌が長い=おしゃべりである。多弁。
*舌が伸びる=他をはばからず、威張って大げさなことを言う。大言、広言を吐く。
*舌の剣は命を絶つ=人を傷つけるような言葉は、おうおうにして双方の命取りになる。言葉を慎めということ。
*舌柔らか也=物言いが巧みである。
*舌先三寸に胸三寸=口と心は慎まなければならないのたとえ。
などなど多々。
松尾芭蕉の句“物言えば唇寒し秋の空”は、なまじ余計なことを言うと、禍を招くと解釈するか。本格的な秋に入り朝夕、物言う唇にも寒さを覚えると解釈するか。浅学のいたり・・・・。ご教示願いたい。
昔ばなし「七色元結=なないろ むうてぃー」
那覇と豊見城の間を流れる国場川に橋を架けることになった。その工事は殊のほか難行。そのとき、ひとりのユタ<巫女・霊能者>が「子年生まれで髪を七色の元結で結った女を人柱に立てるとよい」と託宣するのだが、そんな女を探せども居ず、なんと人柱の条件を満たした女とは、託宣をした当のユタ本人だった。ユタは「他人より先に物を言ってはならない」と遺言して人柱になった。大筋、このような話だ。
この真玉橋由来記は、昭和10年<1935>。平良良勝の作・演出により劇化され都度、上演されている。同様の人柱伝説は大和にもあり、「長良川」の芸題の芝居があるという。いずれにせよ命がけの“物言えば唇寒し秋の風”だったわけだが諺・俗語とはよくしたものだ。一方には「物言わぬは腹膨る=思っていることを言わずに我慢していると、気持ちがすっきりしない。物は言うべし」とする反語がちゃんとある。だからこそ諺・俗語は教訓になり得るのだろう。
真玉橋遺構(豊見城市在)
RBCiラジオ午後3時の番組「民謡で今日拝なびら=月~金」は、47年続いているが、そのうちの43年ばかりを担当している小生なぞ、生番組なだけに「唇寒し」を幾度やってきたことか。それでも「腹が膨れる」のを好まず、懲りずに放送している。
物言い・発言はきれいごとではすまされない場合がある。かと言って不用意でも思いつきでも、うまくはいかない。いやはや、とかくこの世は難しい。
RBCスタジオにて
次号は2008年10月30日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com