2011 09 23(金・秋分の日)
秋分の日、群馬県民なら誰でも知っている上毛カルタに「て」の項目で出てくる「天下の義人・茂左衛門」でお馴染みの”茂左衛門祭り”が開催されるというので、みなかみ町の月夜野へ・・・。
利根川に架かる月夜野橋を渡ると正面の段丘上に義人・茂左衛門を祭る“千日堂”が見えてきました。
義人・茂左衛門地蔵尊と書かれた幟旗に従って境内へ上ります。
茂左衛門地蔵尊・千日堂の境内では沢山の参詣客と露店で大にぎわい・・・。
意外と若年層が多かったで、この近郷では現在でも茂左衛門が親しまれている事がわかります。
春の春分の日と秋の秋分の日の年2回、ここ千日堂で茂左衛門祭りが行われ、沢山の参詣客が訪れ義人“茂左衛門”の威徳を偲び供養を致します。
茂左衛門は月夜野の中農で姓名を“杉木茂左衛門”と云い、時の沼田藩主・真田伊賀守信利(信直)の苛斂誅求な悪政を将軍家に直訴して沼田藩改易(取り潰し)・真田伊賀守は山形藩にお預けとなりましたが、茂左衛門はその家族と共に越訴の咎により利根河原で磔刑(たっけい はりつけ)・獄門晒し首に処せられました。(詳細は次回の「茂左衛門絵物語」に掲載)
御堂の名は茂左衛門供養のため千日間読経が続けられた場所に建てられたので「千日堂」と名付けられたそうです。
千日堂内の正面に磔(はりつけ)の処せられた杉木茂左衛門と妻子の地蔵像が安置されています。
善男善女が引きも切らずに参詣し、大きな賽銭箱に金子を次々に投げ入れていました。
本堂の茂左衛門地蔵の下に展示されていたのが領主・真田伊賀守信利が年貢取立てに使った悪名高い“伊賀枡”(いがます)。
伊賀枡は幕府公認の新京枡(一升=約1.8ℓ)よりかなり大きく作られていますから、沼田藩の農民は約15%~20%余計に年貢を納めなければなりません。
いわれ無き姑息な重税を課せられた農民は塗炭の苦しみを味わう事となりました。
千日堂の境内では三国太鼓など演芸が繰り広げられ、楽める“茂左衛門祭り”で茂左衛門を供養する縁日です。
茂左衛門祭り 2011年秋 1. CIMG9507.AVI
千日堂から見下ろした国道17号線と利根川に架かる月夜野橋。
左下の小さな木立に“茂左衛門磔刑址”の石碑が建てられています。
現在は平地で駐車場になっていますが、当時は利根川の月夜野竹之下河原と呼ばれた場所で妻子と共に磔刑(はりつけけい・たっけい)に処せられました。
地元では義民・杉木茂左衛門のことを“磔茂左衛門”(はりつけもざえもん)とも言います。
茂左衛門磔刑地址を後にして、茂左衛門のお墓を訪ねに参ります。(徒歩で5~6分)
天然記念物に指定され、樹高10m 幹周4mで樹齢300余年といわれる桜の大樹「町組の江戸彼岸桜」が生い茂る墓所の中にある「川端家墓地」の一角に義人・茂左衛門とその家族の墓が初秋の陽を浴びていました。
義人・杉木茂左衛門の戒名は「高徳院義岳仁道居士」。
千日堂近くの弓道場では茂左衛門供養の弓道大会が行われ、若い男女が懸命に弓を引き絞って矢的を狙います。
茂左衛門祭り 2011年秋 2. CIMG9605.AVI
昔も今も重税に苦しめられるのは一般庶民ですね・・・。
公務員人件費20%削減の公約は何処へやら、大震災復興を名目にした増税には反対しましょう!!
次回は「義人・杉木茂左衛門絵物語」。
2011 10 03(月)記。 前橋市 最高気温21.4℃
おまけコーナー。
超高給のNHK職員出身の安住財務大臣「とても給料では生活できなかった」こんな浪費男が財務大臣だって! ⇒ ここクリック。
煙を伝わって火が点く!
Amazing Fire Trick!
掃除機で火災消火!
Vacuum Cleaner vs. Fire