ツトムさん家の写真日記。

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第599回 日本橋と三越。

2011-06-17 21:36:39 | 旅行

2011 05 19(木)

花のお江戸は日本橋の見物。
日本橋界隈は上野・神田から銀座・新橋を結ぶ中央通のど真ん中、江戸時代は五街道の起点として、また商業・物流の中心地として栄えました。

日本橋の袂には今でも証券界の雄・野村證券や日本一の卸問屋・㈱国分、寝具の西川など超有名企業が軒を連ねています。

昭和39年の東京オリムピックに合わせて開通した首都高速道が日本橋川の上空に架かり、歴史ある銘橋の雰囲気を壊していますが、近寄って見ると堂々とした佇まいに迫力さえ感じます。


日本橋一丁目の㈱国分商店前の木立下に日本橋についての由来記や江戸時代の日本橋の姿など銅板で描かれ大変に参考になります。
  
日本橋の橋名板「日本橋」「にほんばし」の文字は徳川15代将軍・徳川慶喜の揮毫よるものです。

最初に架けられた日本橋は徳川幕府が開かれた慶長8年(1603年)、
現在見られる日本橋は東京市により花崗岩造り二連アーチ橋道路橋(全長49m、幅27m)として明治44年(1911年)4月に完成。

大正12年9月の関東大震災にも昭和20年3月の東京大空襲にも耐え、日本国道路原標を橋の中央に設置した日本橋は平成11年5月に国の重要文化財に指定。
(道路橋の国指定重要文化財は日本橋と新潟市の万代橋の2橋。)

橋欄干の装飾照明灯の彫刻も見応えがあります。
青銅製の獅子は日本橋の守護神で前足の下には東京市の紋章。


橋の中央には大迫力の青銅彫刻!!
伝説の翼のある怪獣“麒麟像”、この麒麟(キリン)は東京の繁栄を象徴して建てられました。

ルネッサンス様式のアーチ石橋に和漢の銅像装飾が違和感も無くマッチした素晴らしい銘橋です。

日本橋の道路中央に埋め込まれているのが「日本国道路元標」の金属プレート(50cm角)、この地点が日本の全道路の起点なのです。
道路元標の文字は元総理大臣・佐藤栄作の筆によるとか・・・。
 

日本橋室町一丁目側の日本橋たもとには“元標の広場”が造られています。

本物は見物に危険な道路の中央なので、この広場に「日本国道路元標」のレプリカが置かれていました。
  
道路元標から各主要都市までの里程標もありました。南は鹿児島市まで1469km。北は札幌市まで1156km。

元標の広場に立てられていた「東京市道路元標」は元来は橋中央の「日本国道路元標」の場所に都電の架線柱を兼ねて設置されていたのですが、昭和47年(1972年)の都電廃止・撤去時に現在の地点に移されました。
「東京市道路元標」は平成11年(1999年)5月に米寿を祝う日本橋と共に国の重要文化財に指定されています。
 
日本橋から眺めた日本橋川、首都高速で蓋をされ哀れを誘う光景です。
日本橋の詳細は⇒ここクリック。

元標の広場」の道路を挟んだ向かい側には「乙姫広場」がありました。
日本橋のこの場所から下流の江戸橋にかけて江戸の台所をまかなう魚河岸があったのです。
大正12年の関東大震災で魚河岸が築地に移転するまでは日本橋川の水運を利用して全国からの物資が荷揚げされ繁華を極めていたそうです。
 
広場の名になった乙姫像はなぜか熟女みたい・・・。

大正期の賑わう日本橋界隈の情景写真。


ついでに、老舗デパートの三越を見物に・・・。
その昔はデートや待ち合わせで賑わった三越入口のライオン像(1914年設置)も最近の消費不況で買い物客も少なくチョッピリ寂しそうです。
 

三越本館一階中央の巨大なオブジェと久し振りに対面しました。
凄い!がふさわしい芸術作品ですね、彫刻家・佐藤玄々(朝山)が10年の歳月をかけて作製した“天女像”(まごころ像)、昭和35年(1960年)に三越創立50周年記念としてホール中央に設置された。(高さ11m 重量7トン)
「今日は帝劇、明日は三越」と謳われ、高度成長期初期の百貨店華やかなりし頃の象徴的な彩色木彫像です。
 
良く見ると中央に鳳凰と天女を配した構図「瑞雲から花芯に降り立つ天女」、極彩色に彩られた細密で絢爛豪華な作品、圧倒的迫力で見る人を極楽浄土へ誘います。
(和の感性からするとグロテスクに見え・・・天女は小林幸子に見えたり・・・。)

流石に、花のお江戸・東京ですね、歴史も風物も良し見所いっぱいのエンターテインメント都市は興味深くて面白い・・・。

2011 06 17(金)記。     前橋市時々    最高気温23.2℃


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