2010 08 09(月)
五所川原立佞武多の見物から一夜明け、8月9日月曜日のバスの旅は宿泊のルートイン青森中央インター店から東北地方を代表する山岳地の八甲田に向けて朝8時30分に出発!
約30分程で八甲田山中腹のドライブイン「銅像茶屋」に到着です。
少し雲が掛かり始めてきましたが、まだ薄日も出て八甲田の山々は見えていました。
銅像茶屋でバスを降り、建物の右手を歩いて行きます。
直ぐに、明治時代後期に起きた八甲田雪中行軍遭難事件の立看板など・・・。
銅像茶屋の裏手あたりが遭難場所の一つの馬立場だったのです。
銅像茶屋からハイヒールでもOKのだらだら坂を250m(3分)ほど上ると大きな立像が眼に入ってきます。
雪中行軍隊の遭難を麓の村に知らせようと、ただ1人下山をしてきた後藤伍長の銅像です。
雪中行軍隊遭難の救助要請に田茂木野村に向かった後藤伍長はこの銅像より数km青森市方面に下った大瀧平で、立ったまま雪に半身埋まり仮死状態で捜索隊と村人に発見されたそうです。
雪中行軍隊遭難の報を知らせた後藤房之助伍長(映画は江藤伍長)は凍傷悪化で四肢切断とか・・・。
冬の八甲田雪中行軍ゆかりの地探訪 その8-1(最終回)
新田次郎原作(八甲田山死の彷徨)の映画「八甲田山」(監督・森谷司郎 1977年公開)のポスターも懐かしい。
明治35年1月23~27日 青森歩兵第五連隊第二大隊の八甲田雪中行軍(青森~八甲田中腹~三本木[十和田市]のルートを一泊二日で踏破予定)で210名中199名が死亡した実話をモデルとした映画。
三国連太郎が神田大尉の行軍指揮権を混乱させる大隊長「山田少佐」の名悪役ぶりを熱演、映画では最後に遭難の責任をとり拳銃自決します。
北大路欣也は冷静沈着な神田大尉の役、(神成文吉大尉)。セリフの「天は我々を見放した」は当時の流行語にもなりましたね。
小林桂樹は津村第五連隊長役、神田大尉指揮下での雪中行軍を許可する苦悩の演技が見事でした。
初々しい秋吉久美子は滝口さわ役、八甲田の寒村でたくましく生きる嫁で徳島隊道案内の演技が光ります。
その他に、丹波哲郎、加山雄三、高倉健、緒形拳、藤岡琢也、加賀まりこ、栗原小巻・・・など邦画俳優総出演の超大作でした。
映画「八甲田」 一部抜粋。 高倉健 - 北大路欣也・秋吉久美子 - 1977年
気象と装備を軽視した典型的無謀遭難、雪山をナメたらいかんぜよ~。
以上の「八甲田」映画画像は八甲田ロープウェー山麓駅に展示されています。
後藤伍長銅像を拝んだ後、バスは八甲田ロープウェーの山麓駅へ・・・。
10時発のロープウェーに乗って山頂へ・・・。
元気いっぱいの可愛いロープウェーガイドさんが八甲田を詳しく説明。
次第に雲に覆われ、眼下に見えるはずの陸奥湾が霞んで見る事が出来ません。
長さ2460mの八甲田ロープウェーは快適に山頂を目指します。
高低差450mを毎秒5mの速度で上昇、程なく山頂公園駅へ・・・。
八甲田ロープウェー山頂公園駅に10時12分に到着、標高1320m。
山頂公園駅から付近の散策路を回り山の景色を楽しみました。
案内看板も完備、でも、雪や霧に巻かれたら看板も見えないと思います。
八甲田の山並み(赤倉岳・井戸岳・大岳)に雲海が・・・雨を恐れて散策も早々に駅へ戻ります。
帰りのゴンドラから振り返った山頂公園駅付近は雲に隠れていました。多分雨が降り出したのでしょう。
午前11時に山麓駅に到着。山麓駅待合室の片隅にある名水「八甲田湧水」で喉を潤し旅の疲れを癒しました。
15分後にバスが出発する頃から猛烈な土砂降りになり、運良く濡れる事も無くバスは帰路に・・・。
最終帰着地のJR前橋駅に到着したのは夜10時、立佞武多も八甲田も楽しめた一泊二日の気楽なバス旅行は無事に終了しました。
2010 09 03(金)記。 前橋市 最高気温35.9℃ いつまで続くかこの暑さ!
おまけコーナー。
ショッピングカートに乗ったビキニ美女が・・・。
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