ツトムさん家の写真日記。

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第282回 足利市 鑁阿寺 鎧年越し。 下巻。

2008-02-11 02:02:02 | 旅行

2008 02 03(日)

足利鎧年越祭りの武者行列は県道から左に折れ、鑁阿寺へ向かう石畳の大門通りへ・・・。
途中でライトアップされた足利尊氏公銅像前で足を止めて拝礼します。
 
雪の中、小俣町祭り囃子保存会の叩く和太鼓の響きのなか、篝火(かがりび)が焚かれた鑁阿寺への道筋を更に進みます。

鑁阿寺に近くなって来ると武者姿の面々は少し緊張気味です。
 
武者行列の皆さん良い面構えをしています、なんだか楠木正成真田幸村ばりの渋い武者顔。
鎧年越し祭りにはピッタリの時代劇の侍顔ですね。

足利鑁阿寺正面の屋根付き太鼓橋を渡って夜の8時頃に境内へ入山。
 
この頃になってようやくも小降りになってきました。

鑁阿寺大御堂(本堂)前で一列に整列し、順次入堂となります。
 
雪で濡れながらの川越藩火縄銃鉄砲隊保存会の皆さんお疲れ様でした。銃器のお手入れ大切にしてください。

武者行列は続々と鑁阿寺大御堂(本堂)へ・・・。
 
武者たちが本堂に勢ぞろいし、これから鑁阿寺の追儺式(ついなしき)の開始です。

節分会・追儺式とは難しく云いますが、鑁阿寺で行われる鬼払いの儀式「節分の豆まき」のことです。
鑁阿寺大御堂に全員揃うと、主将を務める足利市長が足利氏代々の供養と足利の繁栄を願う「願文」を奉読。
 
豪華な鎧・兜を身に纏った武者の方々が主将の「福は内、鬼は外」の発声を合図に一斉にを参列者に向かって撒きます。
堂下では沢山の参列者が我先にと“福豆”を奪い合っていました。

この“節分鎧年越し”は鎌倉時代中期(750年余前)に足利尊氏公の五代前の足利泰氏公が一族の結束と武威を誇示する為、坂東武者五百騎を鑁阿寺南大門へ勢ぞろいさせたのが始まりと云われています。

追儺式が無事終了した後、大御堂裏の広場に集合です。
 
可愛い少年公達(きんだち)も豆まきのお役目お疲れ様!

本堂裏では大きな焚き火が焚かれ、参加の鎧武者たちが集って気勢を挙げていました。
  
焚き火の周りでは刀剣を振り上げて「エイ、エイ、オ~」と勝鬨の陣が盛んに行われていました。

鎧年越し武者行列に参加の外人部隊の皆様も雪の寒い中お疲れ様でした。
 
長刀(なぎなた)腰元の米人女性(英語指導者 キャサリン・ジョンソン嬢)も最後まで頑張って、笑顔で愛嬌を振りまいて親善に勤めていました。

今年の鑁阿寺・鎧年越しは雪舞う中の武者行列でしたが、来年はきっと天候にも恵まれて武者姿の華やかな歴史絵巻が見られると思います、皆様も見物に足利へ行かれては如何でしょうか・・・。

2008 02 11(月)記。    前橋市    最高気温9℃。


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