2011 01 08(土)
高尾山の薬王院有喜寺本堂から左にある急傾斜の石階段を上り「飯縄大権現」を奉る“飯縄権現堂”へ・・・。(飯縄=いづな)
石階段途中の曲がり踊場に“飛び飯縄権現堂”という小さな祠社があります。
中に納められているのは狐に跨った烏天狗の飯縄権現。
この飯縄権現は江戸時代末期の薬王院火災のとき、火伏せ神なのに消火もしないで日野市にある飯縄神社に火の玉となって飛んで逃げたと伝承されている役に立たない飯縄様なのですが、近年はお堂に置いてある小石でデキモノなど擦ると効能があると信仰されています。
飛び飯縄権現堂から更に急な石段を登ります。
権現堂の朱鳥居手前の斜面には数多くの銅像が立並び、参拝客を暖かく出迎えていました。
急斜面には何故か童子の像が多く見られました。
飯縄大権現を奉る飯縄権現堂は朱塗りの入母屋権現造りの建物、江戸時代の享保14年(1729年)の建立で由緒ある社殿建築物で有形文化財の指定されています。
入口に鳥居が建っているので飯縄権現堂は神社なのです。
前編で紹介した有喜寺本堂は真言宗の寺院、寺と神社が同一地にある神仏習合の典型的姿を現しています。
権現堂入口前には人目を引く立派な天狗像が2体。
威圧感溢れる姿で参拝者の人相風体をてチェックしているようです。
正面上の“飯縄大権現”扁額の縁取りは彫刻でカラフルに彩られ・・・。
下の銅張り賽銭箱には江戸時代の火消し組の纏(まとい)が施されていました。
飯縄権現堂社殿は極彩色の透かし彫りで埋め尽くされ、朱塗りの柱・梁と相まって中国の建築物と見間違うようです。
晴れ渡った青空の下、新春の日差しを浴びる華やかな飯縄権現堂。
飯縄権現堂に安置された“飯縄大権現”の憤怒の像。
永和年間に沙門俊源僧正が飯縄神を安置し高尾山の中興の祖となりました。
飯縄権現堂の後方には本殿が併設され、権現造り形式の典型を見るようです。
本殿も素晴らしい極彩色の彫刻で埋め尽くされています。
飯縄権現堂の左側に奉られていたのは左の真新しい“飯縄天狗社”と朱色で縁起が良い名の“福徳稲荷社”。
天狗社に奉納されていたのは重量感あふれる鉄下駄、しかも一本歯ですこれを履くのはパワフルな大天狗さまでしょう・・・。
小さな下駄もありました。腰痛平癒・健脚祈願の奉納下駄です。
福徳稲荷社は小さなお狐様と清酒が奉納、ここの稲荷さまは油揚げより酒好きなのでしょうか?
飯縄大権現の天狗様は狐の背中に乗って飛び回ったと云う伝説もありますから、この地に稲荷神社が設けられたのでしょう。
飯縄権現堂本殿の裏手から続く急な石段を上ると「都重宝 高尾山不動堂」と刻まれた石標柱が・・・もう少しで不動堂です。
落ち着いた佇まいの“高尾山薬王院有喜寺不動堂”。
内部には不動明王、開山の祖・行基菩薩、中興の祖・俊源大徳などが奉られている江戸時代初期の堂宇。
お堂の右の石畳道は高尾山頂へ続きます。
不動堂の真後ろに鎮座する奥ゆかしい堂宇は”富士浅間社”。
戦国時代に北條と武田の戦いで富士山詣でが困難となり、代わりに高尾山から富士山を遥拝していたので山頂に一番近いこの場所に富士浅間神社(建立は天文年間 1532~55年)を奉ったのだそうです。
不動堂とその奥の院のような浅間神社の横道を高尾山頂へ行き来する人達、ここから約5~6分ほどで山頂に到着です。
高尾山薬王院の絵馬。
透かし彫りの苦は「苦抜き」で、逆さ厄は「厄おこし」「厄抜き」とかの絵馬。
高尾山薬王院と云えばやっぱり天狗様、青の烏天狗と赤い長鼻天狗で「商売繁盛」「家内安全」、値段は1000円也。
高尾山と天狗様。
http://www.takaosan.or.jp/about/
今回で高尾山初詣編は全部終了。
2011 01 31(月)記。 前橋市 最高気温5.9℃ 最低-5.5℃ 極寒の1月でした。
おまけコーナー。
始末が悪い厄介物の火山灰を逆手に取った珍商品・降灰体感缶詰 “ハイ!どうぞ。”
桜島の噴煙火山灰で悩まされている鹿児島県垂水市では火山灰100g入り缶詰(100円)を商品化、「道の駅たるみず」で販売し垂水市財源の一助にしているとか・・・。
売れ行き好評につきネット通販などもするそうです。(垂水市観光課TEL 0994 32 1111)
【雪道スリップ】正面衝突の瞬間【音量注意】