2010 06 26(土)
梅雨時に咲く花と云えば“紫陽花”(あじさい)ですね。
美しく咲く紫陽花を求めて渋川市へ・・・。
前橋市から国道17号線を走ると、渋川市街直前の道路端に沢山の真っ白い紫陽花の花!!
渋川インター近くの国道17号線は白い紫陽花の洪水です。
何所までも続く白い・白い紫陽花の花・・・・・・「白い貴婦人」と呼ばれる西洋アジサイの「アナベル」。
紫陽花の花は「渋川市の花」に指定されています。
白だけでなく、少しは鮮やかな色彩の紫陽花も欲しいな~・・・などと思いながら目的地へを走らせました。
訪ねた場所は渋川市街の北に位置する天台宗の準別格大寺“威徳山 真光寺”。
渋川市の紫陽花寺として有名な古刹なのです。
複雑に入り組んだ細い道を迷いながら何とか午前11時30分に真光寺に到着。
寺の入口ではアマチュアカメラマンが真剣にフォーカスを合わせていました。
「威徳山 真光寺」と刻まれた石柱門から続く参道の両側は全て紫陽花!
今年は一週間ほど開花が遅れ、紫陽花の花は6~7分咲きでした。
小振りな山門近くの紫陽花は色鮮やかです。
真光寺に植えられている額紫陽花の花。
紫陽花は植えられている土壌のPHで花の色が異なるとか・・・。
花に囲まれたお地蔵様は極楽浄土の気分で幸せそうです。
一株でも様々な色の花を咲かせた紫陽花も・・・。
麻雀の役みたいな「元三大師」と彫られた石塔は紫陽花に押されてピサの斜塔状態、地震の時には要注意!
片隅にひっそりと佇む野仏も愛らしいですね。
真光寺正面の開かずの門は勅使門でしょうか?
大きな仁王様が近づく者をムキムキマンの肉体で威嚇していました。
真光寺境内は何所でも紫陽花の花が・・・寺には紫陽花がナゼか似合います。
青銅葺き入母屋造りの大屋根に唐破風と端正な佇まいを見せる真光寺本堂大伽藍。
因みに、寺紋は武田菱。 渋川市あたりまで甲斐武田の勢力下だったのでしょう。
本堂入口の上部を飾る透かし彫りは見事な出来栄えです。
本堂横に建つ御堂群、左から観音堂、閻魔堂、鐘楼と万日堂。
観音堂の中には沢山の観音様、百体観音と言われています。
厳めしい顔つきの巨大な閻魔像が堂内に鎮座する閻魔堂。
観音堂と閻魔堂の間に古びた石塔がありました。
表面に「得蓮大徳入定石」と刻まれています。
江戸時代の宝暦10年(1760年)、僧侶の得蓮が万民の極楽往生と真光寺の繁栄を願い、この場所に穴を掘って生きたまま棺桶に入り、地上に出した竹筒だけで生をつなぎ、念仏しながら即身仏になったそうです。
この梵鐘は「真光寺 洪鐘」と呼ばれ、江戸時代初期の万治3年(1660年)の作。
上品な姿と美しい音色が高い評価を得て、太平洋戦争での金属供出を免れた銘鐘で群馬県重要文化財に指定されています。
真光寺の広い墓地には様々な貴重な石碑や墓石があり、一見の価値があります。
「真光寺 一石造り地蔵菩薩像」、基礎から地蔵像・笠部まで全て一つの石で造られた珍しい石像で、寛永18年(1641年)の銘があります。
一石地蔵石仏龕(がん)の高さは150cm。 真光寺一石地蔵龕の詳細。
丸い墓石は「木暮 足翁」の墓。
木暮足翁(木暮賢樹)は渋川の生んだ偉大な医学者・教育者。
寛政元年(1789年)に渋川南町に生まれ、苦学して医者となり、横丁の先生と呼ばれて信頼されました。
また、華岡青洲の薫陶を受け、天然痘の予防接種を行うなど医療に活躍し、後に高野長英に蘭学の教えを受けるなど先進的な医学者でした。(文久2年 1862年 74歳没)
この他にも、貴重な涅槃図や木製狛犬などがある真光寺(渋川市並木町698)は紫陽花以外にも見所いっぱいの名刹、ぜひ立ち寄られる事をお薦め致します。(真光寺の紫陽花は今週末からが一番の見頃となります。)
真光寺末寺の金蔵寺と宝篋印塔。⇒ ここクリック。
今夜はWorld Cup南ア大会 決勝トーナメントの対パラグアイ戦。
夜の11時からです、寝ないで応援しましょうね!!
2010 06 29(火)記。 前橋市 最高気温 30.2℃ 最低気温 22.4℃
山本一太議員へ新聞業界から551万円の献金!!⇒ ここクリック。
おまけコーナー。
W杯の対デンマーク戦で本田圭祐のゴールを称える長谷部誠。
二人の間に謎の手が・・・・心霊写真か?(本田のスーパープレーを導いた守護霊の手かも?)
海外サイト「Picapp.com」の日本選手写真集に掲載。
謎の手について霊能師(笑)の判断を仰ぎ、次回掲載予定。
6月27日行われたW杯イングランド対ドイツ戦での幻のゴール!
下画像は「審判から見たドイツのゴールライン」とイギリス紙が報じた。
子猫と鏡。
Kitten Freaks Himself Out