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ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第272回 2008年 御年賀。

2008-01-01 00:00:00 | 写真・旅行・日記・コラム

新年明けましておめでとう御座います。

昨年に引き続き「ツトムさん家の写真日記」のご愛読の程、福ネコからも宜しくお願いしますニャ~。


今年の元旦は滅法寒いので、干支ネズミは温かい谷間から失礼致します。

新年早々から面白画像が多くて先行きが思いやられそう・・・。
 
今年元旦の初日の出は如何でしたか?、こんな日の出は初夢か・・・。

2008 01 01(火)記。    前橋市 のち    最高気温8℃。


第255回 本庄まつり 中。 昼の部。

2007-11-13 18:18:18 | 写真・旅行・日記・コラム

11月3日(土・文化の日)   いよいよ本庄まつりの本番。

前回の金鑚神社を参拝したあと、本庄まつりが行われる本庄商店街へ・・・。

本庄まつりの先導は赤天狗様。下駄は一本ではなく二本歯でした。
 
豪華金ぴかな御神輿は台車に載っての巡行です。
最近は若者が減って担ぎ手不足。 日本中祭りは何処でも人手不足ですね。
近未来は外人主体のお祭りになりそうです・・・。

御神輿のお供に山車行列が続きます。 赤い連獅子は南本町の山車。
 
お囃子太鼓を叩いていたのは美人さんですね。鄙に稀なるとはこのこと・・・。
 
本町の出しは石橋(しゃっきょう・白獅子)の出し物です。(石橋詳細はここ。)
彫刻も緞帳も驚きの絢爛豪華さ!!

お祭り衣装で着飾った娘さん達も薄化粧で可愛さ倍増!
 
街の辻々では山車の前で小さなお子さんの扇子踊りです。

石橋人形もさる事ながら、金箔うるし彩色の彫刻が素晴しい。
 
後ろの緞帳も唐獅子刺繍を織り込んだ文化財物の逸品です。
何で埼玉の本庄にこれ程立派な山車が?・・・と誰しも思います。

本庄まつり”で巡行する山車は明治年から大正13年にかけて建造されたそうです。現在でも10基が健在で祭り巡行していました。
当時、この地方も生糸の輸出で大いに栄えたそうで、その時の財力で造ったそうです。

娘祭り囃子も賑やかに本庄まつり山車巡行は続きます。
 
弓先に金鵄(きんし・金色のトビ)を頂いた神武天皇は山車人形の定番ですね。

笹竹に囲まれた武将の加藤清正公は七軒町の山車です。
 
埼玉県は武蔵野国ですから、太田道灌公も鷹狩り姿でお出ましです。

人形や緞帳の他にも山車の側面にある彫り物が素晴しい。
加藤清正公の山車には見事な朝鮮の迫力ある透し彫り。
 
山車上部の人形を上下する巻揚げ機は奥ゆかしい人力作業です。

日本武尊宮本町からの山車人形。
 
泉町の山車は子を抱いた珍しい武内宿禰(たけのうちのすくね)人形です。
武内宿禰は300歳まで生きたと言われる伝説の人。(詳細はここ。)

金杖を鳴らしながら祭り衣装姿のミス本庄たちの先導で商店街を山車行列は巡行しました。
 
おかめひょっとこの舞踊りも登場し、本庄まつりは佳境に入ります。
 
本庄は美人の産地でしょうか、お囃子に綺麗な方が優雅な音色を奏でていました。
 
山車の前破風に彫刻された犬・猿・雉を従えて退治を終えた桃太郎
絢爛華麗な衣装に身を包んで登場しました。

本庄まつり”はその昔し、中山道随一を誇った本庄宿の秋祭り。
金鑚神社からの祭神を神輿に乗せて先頭に、国道旧17号線の商店街からJR本庄駅へ華麗な山車巡行。
山車の規模と豪華さと台数は北関東一を誇ると謂われています。

晩秋の時代絵巻、“本庄まつり”は必見の秋祭りです。皆様にもお奨めいたします。

次回は本庄まつりの夜祭り篇です。
2007 11 13(火)記。    前橋市    最高気温20℃。


第218回 日光戦場ヶ原ハイキング 赤沼から湯川。

2007-07-18 18:18:18 | 写真・旅行・日記・コラム

7月6日(金)   豪快な竜頭の滝見物の後、バスで近くの赤沼へ。

ハイキングの出発地点・赤沼自然情報センターで館内で戦場ヶ原の動植物など軽く学んで休憩の後、いよいよ徒歩でのハイクが始まります。
 
赤沼自然情報センター近くには黄オレンジ色のニッコウキスゲが満開に・・・。
眼に鮮やかな紫色の花は何でしょうか? ラベンダーとも違うみたいな花ですね。
とりあえず、ニッコウラベンダーとしましょうか?(苦笑) 花名はルピナス
 
戦場ヶ原のハイキングポイントとして昔から有名な赤沼茶屋も朝の開店準備中。
それにしても赤沼茶屋のがこんなに立派になったとは・・・驚きだ!
バスの中でアルコール補給したお嬢様方は気合充分でにこやかにスタート。
 
昨日までの雨が嘘のような天候の中、木漏れ日の下を足取り軽くランララ~ン!

ハイクコースは土道をしばらく歩くとやがて木を敷き詰めた木道に変わります。
歩き易くてハイヒール・パンプスでもOKだよ。
 
良く整備された木道の横に沿って、湯の湖・湯滝から流れ下る湯川が澄み切った川面を煌かせていました。
朽ちた倒木も一片の絵になり、景色にアクセントを添えていました。

若いハイカーは景色・風景よりイケメン彼氏の話題に集中です。 おっと、足元ご注意!!
 
しばらく進むと湯川で釣りを楽しむ釣人と出合いました。
釣れる魚は岩魚・山女じゃなくてブラウントラウト(移入種で川鱒の一種)と云ってましたっけ。
日本奥地の河川まで外来種に占領されたんじゃ、企業も外資に乗っ取られるよね~。

広々とした戦場ヶ原の奥には日光男体山の雄姿が・・・。
 
歩いている木道の間にハクサンフウロが可憐な花を精一杯咲かせています。

緑深い木々草原を縫ってなだらかな木道は続きます。 
オ~ぃ 待ってくれ~~ぇ! 筆者を置き去りにするな~!  
 
仲間ハイカーの冷たい仕打ちに耐えながら、一人寂しく小さな草花(イトキンポウゲ)と写真ゴッコです。(石川啄木の孤独な詩を思い出しましたね。

遅ればせながらやっと追いついたと思ったら、上流の方から「写真を撮って!」だって!

朽ち果てそうなオンボロ木橋に並んだ面々はバンザイのポーズで・・・勝手なもんだね~。
写真係りはウロウロ・オタオタで辛いばっかしだよ。

赤沼自然情報センターの駐車場から1時間経てやっと休憩場。
なんとか皆さんに追いついて早めの昼食に参加、カメラ以外は何も持参しないのでY氏からオニギリの施しを受けてパクッリ・・・。

朝が早かったので、ハイク仲間の皆さんも食欲おおせいです。
日頃は可愛いお嬢様方も顔より大きく口を開けてムシャムシャ・モグモグ・パクパク!!
イケメン彼が見たら百年の恋も一瞬で醒め・・・・・!??  

でも、ハイキングでは色恋よりも食欲が一番! ラーメンはサッポロ一番・・ってか!

次回は湯川小滝と湯滝のハイク編です。

2007 07 18(水)記。    前橋市     最高気温22℃。


ラーメンと云えば、こんなら~めん風呂はいかが・・・。

世にも珍しいら~めん風呂は箱根小桶園ユネッサンに7月13日登場!
頭の上に箸に摘まれた巨大麺。
ラーメン風呂にはコラーゲンニンニクエキスタップリの豚骨色の湯!
おまけに胡椒もふんだんに入ってるって。

湯上りは体中からニンニク臭が・・・・・臭ッそ~!

OPEN当日、ラーメン風呂の共同企画者で秦野市の「なんつッ亭」店主・古谷一郎氏が入浴剤で作った特製麺を投入するサービスまで行われたってさ!


第201回 美しいシャクヤクの花。

2007-05-24 23:23:23 | 写真・旅行・日記・コラム

5月24日(木)   春は心躍る花の季節

美人の形容にたとえられる花と云えば、今の季節は立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花の諺に出てくる芍薬(シャクヤク)ですね。

前橋市上増田町の大山シャクヤク園(℡ 027-266-1705)で芍薬花が満開と聞いて、早速見に行きました。

場所は前橋市の駒形駅の北側、共愛学園の近くです。

大山シャクヤク園は4000平方メートルの敷地に、約50種類1600株の芍薬花が今を盛りと咲き誇っています。
大山シャクヤク園の無料駐車場にを駐車し、受付で入園料の200円を支払うと、花より綺麗な娘さんが「帰りに花を一株持ってって下さい」だって。

安い入園料に更に花の大サービス! 太っ腹な大山シャクヤク園です。
無料サービスの花の品定めを小当たりにしてから、取りあえず芍薬園へ・・・。

入場すると、そこは一面のカラフルな芍薬畑です。
赤、白、ピンク、紫、と色とりどりに咲き誇って、まるでシャクヤクの天国!
 
花好きの人には堪えられないゴージャスな光景が広がっていました。

シャクヤクの花は華麗な美しい立ち姿を見せています。

流石に「立てば芍薬」と言われる艶やかな姿形です。

一番人気なのが、真っ白な花を咲かせている「酔月」ですね。

大輪の花が太陽の光を浴びて眩しいくらいに輝いています。

園内には芍薬だけで無く、アイリス、グラジオラス、ポピー、などの春の花も華を競っていました。
  
それぞれの芍薬花には名前が記入された標板が立ててあります。

派手なショッキングピンク色は「花 籠」。  品の良いピンク色の芍薬は「サラベルナール」。
 

鮮やかな赤は「小島の輝き」。  奥ゆかしい白さは「信濃の月」。
 

三浦綾子の小説からでしょうか?「氷点」。  黄色の珍しい品種は「オリエンタル・ゴールド」。
 
他にも「華燭の典」「ラズベリーサンデー」「ソルベット」「春の粧」・・・沢山の種類で載せきれません。

芍薬花を充分に堪能してからサービスの花鉢を頂きました。
入園時に選んでおいた“西洋オダマキ”をGET! 
開花したらオダマキをうるさい時の妻に見せて、「あんたはオダマリ!」って・・・。(爆)

気持ち良い初夏の気候中、美麗な芍薬で眼の保養が出来た楽しいひと時でした。

読者の皆様もぜひ前橋市大山シャクヤク園へ・・・。
2007 05 24(木)記。    前橋市    最高気温30℃。


自動車のドアを開閉するリモコンの電波到達距離を伸ばす方法。

自動車リモコンの動画はここクリック。

早速、筆者も実験してみました。 
T社の車ですが、頭蓋骨経由で約2倍の距離でもリモコン電波が到達・作動しました。 人体は伝導体ですからアンテナの役になったのでしょうね。
ナゼか?上の画像のように口をアホみたいに開いた方が結果は良好です。 
暇な読者は一度お試しあれ~~、  きっと驚きますよ。


第187回 群馬県 甘楽町・小幡の桜並木と武家屋敷。

2007-04-12 22:22:22 | 写真・旅行・日記・コラム

4月7日(土)    甘楽町・小幡郷が満開との情報。

早速をカッ飛ばして甘楽町小幡へ・・・。

甘楽町・小幡郷は古い街並み武家屋敷と織田信長子孫の織田家七代の墓がある処として名高い地区です。
 
雄川上流から約4kmほど引いてきた雄川堰(おがわぜき)のせせらぎが街の中心を流れています。(雄川堰は環境庁の「名水百選」の一つに選ばれています。昔はこの雄川堰の水を生活用水として利用していました。)

清流の雄川堰に沿って江戸時代から続く家並みの横に桜並木が続いていました。
 
商家の古い看板には「腹調丸」と書いてありましたが、正露丸の元祖でしょうか?

小幡郷の桜並木は350m程の長さですから、ちょうどGLOFのミドルホールの距離と同じですね。 桜並木の下は遊歩道で花見の客と露店でにぎわっていました。

晴天の桜花の下をノンビリとお散歩タイム、体も心もウキウキと晴れやかな気分です。

桜並木の中ほどには薄暗い小幡八幡神社が小山の中腹にひっそりと建っていました。
 
甘楽町小幡桜並木は約60本ありますが、戦後すぐに植えられたそうです。
今では大木になって町の名物の一つで、町興しの大役の一つを担っております。

桜並木のお花見散歩の後は、武家屋敷めぐりに向かいました。
春うららの中を歩いていると、町の角々に春の草花がいっぱい咲いていました。

この鮮やかな薄紫色の花はヤシオツツジでしょうか?

数軒ある武家屋敷の一つ松浦家です。
約300年ほど前、藩主が織田家の時代に建てた書院造りの家。
 
本来の屋根は茅葺きだったと思われますが、ご覧の通り銅板葺きになっていました。 金属泥棒の餌食にならないようにご注意を・・・。

下の画像は喰い違い郭と呼ばれています。

戦闘の防備の為と、下級武士が上級武士と直接出合わないように隠れ場を作った江戸時代の石垣塀です。 (いつの世も下っ端はツライものですね。)

陽光をたっぷり浴びて草花も我が世の春と満開状態!
見ているだけで気持ちまでウキウキしてきます。 なんたってが一番!!
 
武家屋敷塀でスレンダーな美女発見! やっぱより団子、団子より美人ですね。 

武家屋敷めぐりの後は、直ぐ近くにある江戸時代の名庭園を復元した楽山園へ・・・。

を中心に築山茶屋を巧みに配した設計の純和風庭園。
もう少しで完成と思いますが、時を経ると共に樹木も育ち、庭園に風格の趣を添えることでしょう。

楽山園の見物でちょうど正午に。 楽山園入口前にある、蔵を改造してうどん屋にした「蔵楽屋」(くらや)で手打ちうどんを食しました。

蔵楽屋」のうどんは見た目も風味も手打ちそのものです。本当の手打ちうどんで、ダシ汁も天然材料だけを使って美味しいのですが、醤油過多で塩っぱさが勝ち過ぎていました。もう少し塩分控えめだと良かったですが・・・。 (田舎料理は塩っぱいのが特徴でしたね? 余計なお世話でした・・。)

次回は、織田家歴代の墓の予定。

2007 04 12(木)記。    前橋市    最高気温19℃

4月12日    パンの日   世界宇宙飛行の日(ソ連 ガガーリン宇宙飛行。)


第180回 奇祭 新潟・浦佐 普光寺毘沙門堂裸押合い祭り。 下巻。

2007-03-18 00:00:00 | 写真・旅行・日記・コラム

3月3日(土)    夕刻になり毘沙門堂の裸押合い祭り本番の時間を迎えた。

越後浦佐・普光寺の境内では巨大なロウソクに次々に点火され、晒し姿の若衆達によって担ぎ上げられ水垢離を行う不動の滝へ続く薄暗い回廊へ運ばれました。
 
この普光寺・毘沙門堂裸押合い祭りは別名大ローソク祭り」と云われている。
重さ30Kg程の大ローソクを抱えて境内や毘沙門堂の照明代わりにもしています。

回廊の突き当たりの一枚岩を穿った“不動明王滝のうがい鉢”では裸押合い祭りに参加する若衆達が真言を唱え一心不乱に水垢離(みずごり)、でも冷水には3秒と浸かっていられません。
 
水垢離の後はずぶ濡れのまま毘沙門堂に駆け込む水行参拝
毘沙門堂内では独特の所作でダンシング! この踊りは裸祭りの準備体操でしょうか?
堂内に敷かれた藁ムシロは昔し毘沙門堂に居た大山猫の皮に見立てています。

後方壇上の奥(内陣)には3月3日だけ御開帳される毘沙門天像(椿木造り)。

毘沙門御本尊前の御簾をあげて一年一回の毘沙門天像御開帳です。

本堂前の境内では数十の大ローソクが点火され、熱いの中で晒し姿の若衆が炎部の蝋削りに余念がありません。
 
大ローソクを抱えて毘沙門堂へ、蝋燭(ローソク)講中参拝で堂内は熱気の渦です。

担ぎ上げた若衆達の背中には溶けた蝋が滴っています。 これは集団SMショーか・・・!?(爆)
年男衆も毘沙門堂前で豊年踊りをご披露!
 
毘沙門堂内部は裸若衆でムレムレ状態です。

肩車された福物撒与者が次々と毘沙門堂へ・・。
 
普光寺脇の白山神社の神主も肩車で撒与福物を捧げてご登場。
毘沙門堂内では裸の若衆達が「サンヨ(撒与)~セ! サンヨ~セ!」、「撒けよ~ 撒けよ~」の大合唱! 壇上でも「撒くよ~ 撒くよ~」の連呼が続きます。
 
神主自ら毘沙門堂で福物扇子を投げて撒与の瞬間SHOT!!
この他にも金盃・銀盃・坂上田村麻呂盃・穀種などが堂内の裸参拝者に撒与され、裸押合い祭りは益々盛り上ってゆきます。
 
壇上から手桶で撒かれる水の中に福盃が・・。猛烈な争奪戦が繰広げられます。(盃UP画像は関様から。)

毘沙門堂の裸押合い祭りも最終盤となり、堂の中央に肩車された神主が(ササラ)を持って擦り上げ、年男たちが“簓すり音頭”を唄う“ささらすり神事”が始まりました。(夜10時30分) (簓は古代中国の楽器・竹製。 下に擦ると凶作、上に擦り上げると豊作。)
 
「シャッ、シャッ、シャッ」というササラ擦りのリズムと“簓すり音頭”(「正月三日に年男詣ったりや、ハ~サンヨ、サンヨ。 黄金の花が咲き四っの角のように、ハ~サンヨ・・・。」)の唄声に合わせて裸若衆が神主の周りを掛け声と共にグルグルと威勢良く廻ります。

若衆達が廻るときに毘沙門堂内に山猫の皮に見立てて敷かれたムシロを踏みしめて廻る事を「ねこたたき」と云い、“化け猫伝説”に由来しています。
毘沙門堂の裸押合い祭りもこの刻がクライマックスに達し、参加者も祭りを心ゆくまで楽しんでいました。

普光寺・毘沙門堂裸押合い祭り”はこの後、大鏡餅撒与・御灰像撒与など御利益物撒与が続き夜の11時過ぎまで賑わっていました。

最後の多門青年団・裸参拝者紹介を拝見して、思い出深い毘沙門堂を後にしました。(浦佐・多門青年団の皆様、ご苦労様!!)

浦佐商店街の玉屋菓子舗で名物・志んこ餅を購入。(10個入り、1000円)
 
新潟銘菓100店の一つに選ばれた店で、実に上品な味の餅でした。
“名物に美味い物無し”と云われますが、玉屋志んこ餅はお奨めの逸品です。

1200年の歴史がある“普光寺・毘沙門堂裸押合い祭り”は本来は正月3日に毘沙門堂に棲み付いた大山猫退治の記念として山猫の皮を踏みしめて行われていましたが、明治6年から春の訪れる3月3日に除災招福・五穀豊穣・家内安全・諸願成就を願う祭りに変更されました。(新潟県伝説集。)

前夜3月2日の前夜から3日の深夜まで続く“毘沙門堂裸押合い祭り”は真に日本三大裸祭りと云えます。 
“毘沙門堂裸押合い祭り”は国の重要無形民俗文化財に指定されています。
越後の小さな町・浦佐を訪ねる価値ある“毘沙門堂裸押合い祭り”をぜひお奨め致します。

2007 03 18(日)記。    前橋市    最高気温9℃。  真冬並み寒気。弥生冷え。

3月18日   小野小町の忌日。


第177回 羽生市郷土資料館 ひな飾り人形 羽生市水族館 ムジナモ

2007-03-06 23:46:18 | 写真・旅行・日記・コラム

2月24日(土)  鴻巣市ピラミッドひな人形祭りを見物した後、隣り町の羽生市へ足を伸ばしました。 

訪ねた場所は羽生市郷土資料館です。

鉄筋コンクリートの頑丈な造りの近代教会と見まごう建物の中で、「の節句・舞姫の競演」と題された人形展が開催されています。(今年は2月3日~3月18日迄、無料)

羽生市の雛人形展は内裏雛ばかりでは無く、どちらかと言うと雛壇の横に置かれる人形がメインです。
 
でも、華やかさに眼を引かれるのはやはり豪華な内裏雛
  
享保雛などの江戸期の内裏雛はありませんが、日中戦争で物資が乏しくなってきた昭和12年の小粒な内裏雛壇など珍しいものが展示されていました。

羽生市郷土資料館の目玉は桃の節句のサブ人形なのです。
   
上の写真は「道成寺」「藤娘」「春駒」「八重垣姫」「汐汲み」です。
他にも桜姫・紅葉狩り・角兵衛獅子・鏡獅子・お三輪・手習子・浅妻・・・など懐かしい人形たちが勢ぞろいしていました。
これらの人形は雛壇の飾り役として“飾り人形”とか、“脇人形”とか云われています。   

羽生市ではこれらの飾り人形を全国から集めているそうです。皆さんのご家庭で不要になった人形が有りましたら、贈られては如何でしょう・・。

羽生市の名物・名産品を羽生市郷土資料館の係員に聞いたら、名物は“うどん”と“いが饅頭”と“銘菓・むじなも”と云う。
それらが揃っているキャッセ羽生と云う市の施設に早速行ってみました。
因みにキャッセとは「来なさい・おいで下さい」という意味だそうです。

キャッセ羽生のうどん店「むじな庵」で羽生名産・うどんを頂きました。
うどんメニューの中でもお奨め品は“田舎汁うどん”(570円)

甘塩ぱいつけ麺風の出汁ツユに漬けて食べます。

もう一つのうどんは、けんちんうどん(630円)。サッパリとしたけんちん汁でした。
羽生名物うどんはコシの無い柔らかいのが特徴みたいですね。

キャッセ羽生で次なる羽生名産品、「いが饅頭「銘菓・むじなもをGET!
 
いが饅頭(100円程)は餡入り饅頭の周りにお赤飯を着けた菓子、腹もちが良く食事代わりにもなります。 これは美味しいです!
羽生銘菓・むじなも(約70円)はアーモンドのプラネレリをのせた焼き菓子の一種。 味は好みによります。

うどんを食べた後、キャッセ羽生の合い向かいの羽生市水族館(300円)に入館しました。
 
羽生市水族館の横にある宝蔵寺沼には日本唯一の食虫浮遊植物ムジナモが生息している。

冬なので宝蔵寺沼では直接見られないので、貴重なムジナモを水族館で拝見です。

根なし草でも微細水中動物(動物性プランクトン)を捕食して栄養分にして生きているそうです。
原産国はインドのベンガル地方で日本では1892年(明治25)牧野富太郎博士によって江戸川で発見されました。

群馬・茨城・新潟でも見つかりましたが、現在では羽生市の宝蔵寺沼が日本唯一のムジナモ自生地との事です。(水質悪化で全滅の危機!!) 

根を持たないで水面下1~2cmのところを浮遊生活する多年草の水草(モウセンゴケ科)で長さ10cm前後。
ムジナ(あな熊)の尾に似ているのでムジナモと命名されました。
羽生市水族館のムジナモ動画で微細動物(ミジンコ)を捕食する場面も見られます。

羽生市水族館ではムジナモの他にウーパールーパーやアメリカ鯰や巨大鯉など珍しい魚たちがいっぱいです。 

寒風吹きすさぶ一日でしたが、鴻巣羽生と充分にお雛様が楽しめました。

2007 03 06(火)記。    前橋市    最高気温13℃  強風。

3月6日    ジャンヌ・ダルクの日  菊池 寛忌日
 


第176回 鴻巣市 ビッグひな祭り

2007-03-02 23:30:00 | 写真・旅行・日記・コラム

2月24日(土)    春の雛祭り見に埼玉・鴻巣市へ行きました。

昔から、埼玉のこの周辺地区は日光東照宮造営の木材・工職人の往来・宿場として発展し、更に大消費地の江戸に近かったので人形生産拠点としても有名でした。

近年は岩槻市周辺が一大人形生産地で名を馳せていますが、鴻巣も380年余の伝統を誇る日本を代表する人形の町です。

江戸時代から雛人形作りで賑わった鴻巣は、「人形職人の引き抜き事件」として江戸下町奉行の記録にも残っている程の生産地だそうです。(人形職人事件で遠山の金さんがもろ肌を脱いで桜吹雪のイレズミを見せるなんてピッタリですね。)

なにはともあれ、24日の寒風吹きすさぶ中を鴻巣市へ・・・。

一路目指すは鴻巣市役所へ!!

2月5日~3月3日まで鴻巣ビッグひな祭りが開催されている。
「ビッグひな祭り」メイン会場鴻巣市役所なのです。

鴻巣市の市役所入口前には既に雛人形の大陳列ができていました。
 
入口階段と車寄せにずら~っと雛人形の大行列です。

市役所入口両側には竹筒に収まった雛達が勢ぞろい!!(竹筒雛人形
 
かぐや姫を見ている気分でした。

鴻巣市役所へ入って、先ず驚くのは等身大享保雛!!

立派ですね、これを見るだけでも鴻巣に行く価値があります。
保管状態が良かったのでしょう、古さを感じさせません。

市役所の内部に入ったとたんに、目の前に真っ赤な大ピラミッド!!
 
緋毛氈を敷いた26段の雛壇飾りです。!!
市役所の大きなロビーいっぱいに聳え立っています。
大ひな壇正面の左右には鴻巣菓子工業組合寄贈の巨大三色菱餅が雛壇に添えられていました。

ロビー二階からのビッグひな壇をご覧ください。
 
日本一のピラミッド形ひな壇の高さは約6mほどで、地元・鴻巣をはじめ全国からの寄贈された1414体の雛人形が陳列展示されています。

下左は二階から望遠した頂上部の雛たち
 
上右はピラミッドひな壇下から見上げた頂上です。
頂上には左右前後に四体のお雛様が座っていました。

大ピラミッド雛壇の奥にはロビーから二階への階段を利用して別な雛壇が。
 
こちらも綺麗な雛人形が所狭しと並んでいます。

階段ひな人形の三人官女ですが、数十人官女でした・・・。
 
階段ひな様の最上部には二組の内裏雛です。(写真は一組。)

筆者みたいな凛々しいお顔の男雛です。(
 
お姫様も華麗な内に気品を秘めているお姿が美しい・・・。

享保雛をはじめ、昔の古いお雛様も展示・説明されていました。
 
「胡蝶の舞」「二人小町」「明治・大正雛」「つるし雛」とか多数有りました。

下の写真は嵯峨御所を模した御殿雛で昭和初期の作品。
 
御殿付き雛人形は西日本に多く、関東では少ないそうです。
家庭に眠っていた雛人形も、鴻巣で沢山の人達に見て貰って心なしか嬉しそうでした。  雛人形たちは鴻巣市のまち起しの大役を立派に果たしていましたね。

どんな見事な雛人形よりも、やっぱ生きてる姫様が一番と改めて感じ入った鴻巣の楽しい雛祭りの一日でした・・・!!

次回は埼玉・羽生市の「飾り人形」の予定。

2007 03 02記。    前橋市      最高気温14℃。


第175回 松本市 時計博物館と中町蔵通り。

2007-02-27 18:18:19 | 写真・旅行・日記・コラム

1月28日(日)   松本城開智学校を見学した後、城の近くにある松本市時計博物館を訪問。

松本城から南に200m程の場所に時計博物館はある。 
途中の女鳥羽川に架かる千歳橋の袂のナワテ通り(観光用お土産店街)脇には巨大なガマ蛙のオブジェが人目を引いていた。(東京芸術大学デザイン科作品)
 
ガマ侍」と云う題の作品で、ガマの上には白ガマ侍が・・・。

女鳥羽川の千歳橋を渡ると右手に大きな振り子時計を正面に配した立派な「松本市時計博物館」が見えてきた。
 
時計博物館(入館料300円)の正面の振り子時計は大きさでは日本一と言う。
近くに寄って見上げると、確かに巨大な振り子がゆっくりとしたリズムを打っていた。
(この巨大振り子時計は松本市ランドマークになっている。)

貴重な時計や珍品の展示は一階と二階で三階はイベントホールです。

大理石にダイヤなどの宝石を散りばめた1800年代フランス製時計。 
 
時計コレクションは地元の本田親蔵(ちかぞう)氏が89歳で没するまで、生涯かけて集めた逸品ぞろいです。 博物館内には常時110点余の貴重な時計が展示されています。(蒐集個数約300点。)
本田コレクションは昭和47年に松本市に寄贈され、今では市の観光名所の一つになっています。

時計博物館を見て一階の喫茶・洋食「クレソン」で遅いランチを頂きました。 
ビーフハヤシライスがとても美味しかったのを今でも記憶しています。

夕刻に近づいてきましたが、折角ですので博物館付近の中町通りを散策しながら駐車場に向かうことにしました。

中町通り”は昔し信濃・善光寺へ向かう街道(善光寺街道)で、近くの川では船が荷を運んで来たことから、多くの肴問屋が蔵造り店舗を構え商いが盛んな道筋だそうです。
現在でも往時の面影を色濃く残している蔵の街並みが見られます。
 
蔵造りは遺物としてでは無く、それぞれが喫茶店・カレー店・ラーメン店・お土産屋など現役で使用されていました。

中町通りの中程に観光案内を兼ねた「中町蔵の会館」があります。
 
内部は昔しの建物の構造・骨組みが良く理解できるがっしりとした会館です。
中町通りは真直ぐな一本道で、真冬の夕刻は観光客は皆無の状態。
 
途中で昨今の秤を集めた“はかり資料館”もありました。

中町通りの終点から女鳥羽川の一ツ橋を渡った、松本城近くで突如レンガ造りの立派な建築物が・・・。 
 
左は下町会館と云うレンガと木造のコラボ建築?
右は明治期の銀行でしょうか? この付近は映画のロケスポットで売り出しています。

中町通り”を30分でブラブラ散策終了。
川越の蔵町通り」と同じ雰囲気の町筋ですね。(川越の方が少し大規模。)

真冬・暖冬の松本市をタップリ満喫して充実した観光の一日となりました。
(戦争の惨禍を受けなかった地区は昔しの情緒が多く残っていて懐かしい風景ですね。)

2007 02 27(火)記。     前橋市      最高気温13℃。

2月27日    新撰組の日(1862年・文久2年 新撰組の前身「壬生浪士組」が結成された日 翌年の8月「新選組」に改称。)



第174回 松本市  カトリック教会・旧司祭館(文化財)

2007-02-22 18:00:00 | 写真・旅行・日記・コラム

1月28日(日)     重要文化財・開智学校の横に建っている旧司祭館(カトリック教会付属)の見学。

旧司祭館はコバルトブルーのペンキで化粧した下見板張り外壁の瀟洒な西洋建築物
 
この旧司祭館(宣教師の館)は松本カトリック教会の神父クレマン(フランス人)によって武家屋敷跡に明治22年(1889年)建設された西洋館です。
 
建築様式はアメリカ開拓時代の技法を取入れたアーリーアメリカン様式(コロニアル風)で、フランス積みレンガの基礎土台以外は全て木造建築の西洋館。(長野県最古の西洋建築物) 
和瓦屋根三角破風とで少し和風的面影が残っているのは、信州の地元大工の建築だったからでしょうか・・・?

後に赴任した宣教師グスタフ・セスラン司祭は、この司祭館で本邦初の和仏辞典「和仏大辞典」を編纂しました。(明治34年から27年間かけて。) 

総二階建て、信州の冬の寒気に対処するため、一階二階にはガラス張りのテラスを備え、各部屋には鉄製暖炉配置しています。
 
時代は明治・大正ですから燃料は石炭でしょうね。
排煙のため屋根には当時日本では珍しかったチムニーが立っています。

正面入口から内部の見学に入れます。 
入場無料は有難いですが、管理人も居ない無人館では防犯上物騒なことです。

ガラス張りの廊下兼用の明るいテラスが建物裏側にあります。(昔懐かしい歪んだ板ガラスでした。)
 
テラスからは隣の開智学校と暖冬で雪の殆ど無い信州の山々が遠望できました。

この旧司祭館は昭和38年まで小学校として使用されていました。
館内に暫らく居ると、不思議なもので気分が西洋人っぽくなります。
これもアーリーアメリカンタイプ建物からのオーラのせいでしょうか・・・?

2007 02 22(木)記。   前橋市      最高気温14℃

2月21日   猫の日(ニャン ニャン ニャン)⇒猫オモシロ動画はここクリック
                                                  元祖デブ屋・ 石塚猫の爆睡イナバウアーはここクリック


第172回 国宝 松本城

2007-02-14 18:18:18 | 写真・旅行・日記・コラム

1月28日(日)    第21回全国氷彫刻フェスティバルを見た後は松本城の見学。

さすがに国宝ですね、内堀越しに勇壮な天守閣が聳え立っています。
天守の築城は石川数正康長公時代の1593~4年日本最古の天守閣
外壁が黒色に塗られていることから烏城(からすじょう)とも呼ばれます。
 
冬とは思えない穏やかな天気で、内堀の鏡のような水面に天守が映っていました。
天守右下の朱色の手すりの付いた建物は「月見櫓」。(三方開きの開放的な板敷き広間、花見・月見の宴に使用。平和になった寛永年代の建築。)

観光撮影ポイントからの凛々しい姿の松本城

手前の赤い「埋橋」がアクセントになってモノトーンの天守閣を引き立てています。

冬枯れの芝生の場所には本丸御殿がありました。1727年焼失したままです。
 
中央の天守閣の左は「月見櫓」と「辰巳附櫓」 右には「乾小天守」がバランスよく並んでいます。
天守閣の外観は五層ですが、内は六階建てで、形式は江戸時代に多く造られた層塔型天守。 
二層と三層の間に隠れた3階があります。 そこは外部からは見えないので、戦闘時の武者溜りで指揮所にもなるそうです。 
聳え立つ天守の高さは29.4m 右の乾小天守は16.8m。

にはなどが建築材として用いられています。
 
天守閣の内部は格子窓(武者窓)からの明かりだけなので、かなり薄暗いです。
太い頑丈な丸太柱を多用しています。 木肌に残るチョウナ痕も400年余の歴史を感じさせていました。

順路に従って上ると武具甲冑の展示中。
 
火縄銃の展示品が見物客の興味を引いていました。
先端に火薬や油脂を塗り点火して発射する、現代のロケット弾と迫撃砲を併せた様な火薬兵器は珍しかったですね。(これら武具は赤羽氏の寄贈。)

天守最上階(六階)の部屋です。(広さは20畳ほど)
戦闘の時は敵味方の動きをみる望楼として使用する場所されます。
 
天守の天井はがっちりとした井桁梁で、天井部の中央には松本城の守護神「二十六夜神」が奉られていました。

天守からの眺望は素晴しく美ヶ原北アルプス連山も遥かに・・・。
 
松本城の北には重要文化財に指定されている、開智学校の瀟洒な校舎が天守から望めました。 開智学校の左にはコバルトブルーのカトリック旧司祭館も少し見えます。

見所いっぱいで充分楽しめる松本城です。
見事な咲く松本城は更に素晴しいです、皆様も見物に行かれては如何でしょうか・・・。

次回は重文・開智学校の予定です。

2007 02 14(水)記。     前橋市      最高気温9℃。

2月14日    バレンタインデー 

義理チョコも貰えなかった貴方にチョコ風呂の美肌ギャル?を差し上げます。ナメルなり噛むなりご自由に・・。(箱根小涌園・ユネッサン)


第170回 節分行事 桐生市 賀茂神社の御篝神事。

2007-02-06 00:00:00 | 写真・旅行・日記・コラム

2月3(土)    二十四節気の最後を締めくくる、豆撒きで邪気を祓う節分の日

成田山新勝寺や川崎大師のように、タレントや関取の撒きも良いけど、有名人を利用しての○儲けが見え透いていて・・・ちょっと、ね。

素朴で面白い節分行事を探していたら、群馬の桐生市に一風変わった伝統節分会があると聞く。

各地のお祭りへ私に無理やり連れて行かされて、今じゃ、私以上にお祭りフリークになった妻を乗っけて早速桐生へGO!! 
昔は絹織物で有名だった桐生も今じゃパチンコ機械の生産で日本一の街だね。

訪ねた場所は、桐生市広沢町にある神社で、“格式が高い”とか“格式がある”という語源になっている”延喜式内神社”の位を授けられている従一位賀茂神社
 
石の鳥居をくぐると広い境内が広がり、その突き当たりに賀茂神社・拝殿と本殿が鎮座しています。
奥の本殿は極彩色の見事な彫刻で四面が飾られて、奥ゆかしさ内にも華やかさが醸し出されていた。
 
拝殿前の神社境内で、節分の行事御篝神事(みかがりしんじ)が催される。
なんでも、御篝神事江戸時代から続いている伝統行事で、極めて珍しい奇祭と云う

御篝神事の開始時刻は夜の7時から、それまでは神社から徒歩3分の重要文化財・彦部家住宅と桐生の飲食店で暇つぶしです。 特に美味しいケーキ店は後日紹介予定。

6時30分頃に陽の暮れた賀茂神社に戻って来ました。
天気は無風快晴ですが、放射冷却でしょうね、深々と寒くなって・・・。(帽子が最適)

賀茂神社の境内にはアチコチにドラム缶焚き火が用意されていました。
暖を取らせて貰っていた横では、賀茂神社の奉納人形(ひとがた)を200円で販売中。(紙人形に名前・数え年を記入して、体の悪い部分をなでると霊験あらたか。)
 
素朴な和紙人形ですが、焚き火の薄暗い炎に浮かび上がったヒトガタは少し不気味。

でも、この人形に祈りを込めると願いが良く叶うそうです。(丑の刻参りにはBESTかも~。)
桐生・賀茂神社まで行けない人は上の写真の人形に願かけて下さいね。

広い境内には見物が怪我しないように縄が張られていましたが、私が到着したときにはカメラジジババの場所取りでごった返していました。

夜の7時に賀茂神社御篝神事の開始です。

初めは賀茂神社の拝殿内で、神主が御篝神事を行う氏子若衆達に御祓いと祝詞奉読。

境内に厳かに神主のお出ましです。

お炊き上げ用に積み上げた浄薪木神主が紙人形で着火します。
 
ご覧のように着火の瞬間はTBSカメラクルーが邪魔で見れませんでした。 
マスコミ業界の傍若無人ぶりには呆れますね。

境内では賀茂神社の用意した甘酒が無料で配られて、寒い季節に実に有難いことです。感謝・感謝!! 

程なく薪木が燃え上がり、炎の中にダルマ招き猫・お札・紙人形も投入されて盛大なお炊き上げ
 
御篝神事に使用する火付き薪木(50~60cm)を長い鉄に引っかき棒で引き出しています。

境内で白装束姿氏子若衆達が35m程の間隔をあけて6~7名づつ二手に分かれて対峙し、の着いた浄薪木を大きくグルグルと廻して、同時に相手に向かって投げ合うのが奇祭・御篝神事なのだそうです。
 

 
投げる手元が狂ったのか、時として見物客の方にも飛んできます。
写真を撮っている私の横にも落下して、危うく大怪我をするところでした。

の着いた浄薪木が境内の神楽殿の屋根に落下し、消防車のホースで消火する騒ぎも・・・。

危険な伝統行事ですので、の強かった昨年は火災を恐れて中止になったとの事。

真っ暗な夜空に円弧を描いて火薪木が飛ぶさまは実に壮観ですね。

上写真の真ん中右の丸い光は双方の焚き木がぶつかった瞬間です。
半ば偶然ですが、ナイスショットの一枚です。 (自画自賛・・笑笑。)
 
時間に亘って9回火投げの御篝神事が繰り返し行われ、節分(旧大晦日を盛大に祝う賀茂神社奇祭は滞り無く、三三七の手拍子で賑やかな幕引きとなりました。

全国に類例の無い奇祭で一見の価値は充分にあります、ぜひ来年は桐生・賀茂神社へお出かけ下さい。

2007 02 06(火)記。     前橋市     最高気温15℃。


第169回 冬の渡り鳥  たげり。

2007-02-03 00:01:00 | 写真・旅行・日記・コラム

1月の中旬。   友人のF氏が「野鳥が遊んでいたので、写真に撮ってみました」、と写真を持って来ました

野鳥を撮ったって、どうせカラススズメだろうと思ったら、F氏は「珍しい鳥ですよ。」って。  野鳥の名前を訊いたら、「渡り鳥のタゲリです」って云う。

タゲリなんて知らないからどんな字を書くのかF氏に尋ねたね。そしたら、「冬の田圃の土を足で蹴って中の小虫を捕食する鳥で、たしか漢字では田蹴りって書くらしいよ」だって。  (本当は“田鳧って難解な文字らしいです。 コウノトリ目チドリ科ですから、コウノトリや浜千鳥と親戚。)      タゲリはここクリック

F氏は「タゲリが逃げないように車の中から少し窓を下ろして、望遠レンズで狙った」って云うんです、撮った写真を見せて貰ったら、結構キレイで躍動感ある写真に仕上がっていたね。 写真の腕は確からしいよ。
寒いシベリア大陸から苦労して遥々南下して、日本で越冬する渡り鳥らしいよ。

写真では鳥インフルエンザはあまり感染しないと思うから、F氏の力作をご覧下さい。

真冬一月の赤城山をバックにタゲリが沢山舞っています。

今年は記録的な暖冬なので赤城山にも雪があまり降りませんね。
このまま春になると首都圏水不足かも・・・。 節水を心がけましょう。

暖かいのでタゲリも気持ち良さそうに羽根を休めていますね。
陽光を受けて、羽根が金属的な玉虫色に光り輝いています。

タゲリは頭頂部のハネ上がった長い冠羽が特徴です。
 
鳴く声は“ミャー”“ミュー”って子猫みたいな声を出します。

土の中の大好物のミミズに蹴りをくれてから、ついばんで食べているタゲリ
三脚を使わないで、良く撮れていますね。 750mmの望遠レンズで撮ったそうです。
 
メス鳥Hを仕掛けているのでしょうか? 白い内羽根が印象的な一枚です。


相手の気を引こうと周りで求愛ダンスってか・・・。

如何でしたでしょうかF氏の生き生きとした自然美あふれる力作写真は・・。 (写真の著作権はF氏です。ご使用の際はご一報を。)

大陸から奇妙な病原菌さえ持ち込まなければ、渡り鳥って可愛い季節の風物詩ですね。 一年中が愛鳥週間と思って大切にしましょう・・・。


2007 02 03(土)記。     前橋市    気温12℃。   朝寒く、昼は温暖。

2月3日    節分の日(二十四節気の最後、本来の大晦日。 明日は正月。)
   
小袋福豆は袋ごと投げれば後で食べられます。
恵方巻? しゃぶる物をナニと間違ってませんか? 


第168回 第62回冬季国民体育大会 群馬国体 下.

2007-02-01 18:33:00 | 写真・旅行・日記・コラム

1月27日(土)  冬季群馬国体開会式の前に演じられた歓迎式典も無事に終わり、いよいよ開会式本番になった。

森大会会長の開式通告後、先ずは選手団入場(43都道府県から1930名の参加)です。 
真っ先に入場したのは沖縄県選手団で総勢5名。無駄の無い小じんまりとした選手団は ですね。
 
上左写真・前回の総合優勝の兵庫県は天皇杯を携えての行進。

第62回冬季国体の開催県の群馬県選手団は一番最後に、手に水芭蕉の造花を掲げて大勢(約100名)で入場。
 
南の沖縄から北の北海道まで全選手が着席したところで、また歓迎のマーチング演奏フラッグダンスが始まりました。

男子吹奏楽団は軽快なマーチ曲演奏しながら場内をパレード。
女性達(子供を産む機械じゃありませんよ! 群馬は「かかぁ天下」の女性上位ですから!)もリズムに合わせてを操り軽やかに舞っていました。

約8年近く、たいした業績も無い小寺群馬県知事開会宣言です。
 
前夜、伊香保温泉に宿泊し、台本を読みながら挨拶の言葉を述べる皇太子を真横で見ましたが、雅子さんが見れなくて残念!!

森大会会長・小寺県知事・前橋市長・皇太子の言葉より遥かに立派だったのが、選手宣誓式での選手代表の小川賛菜(23才。スピードスケート)の力強い宣誓でした。
 
選手宣誓の中に「速きこと上州の風のごとく、華麗なること利根川の青き流れのごとく、凛とすること上毛三山のごとく、・・・」と風林火山をたとえながら。群馬県の特徴を織り交ぜて、声高らかにハッキリと宣誓!。 実にお見事な選手宣誓でした。

11時30分過ぎに開会式も平穏なうちに終了。
会場の外に出て、群馬県選手団プラカード係りの可愛らしいお嬢さんとツーショット!
  
群馬冬季国体開会式終了の後は隣接するアイスアリーナ女子フィギュアスケートを見させて貰いました。  「きばってや。大阪」っていかにも関西らしいですね。
 
  
3回転ジャンプ・スパイラル・ドーナッツスピンありの華麗なスケーティングで真に銀盤の妖精!!
女子フィギュアスケートをたっぷりと楽しませて頂いた後、芝生の「ふれ合い広場」で群馬名物・焼まんじゅうを頬張りながら帰路につきました。

2007 02 01(木)記。    前橋市     最高気温10℃。   風強し、午後から冷え込む。


第167回 第62回冬季国民体育大会 群馬国体 上。

2007-01-30 23:23:23 | 写真・旅行・日記・コラム

1月27日(土)  27日から31日まで第62回国民体育大会冬季大会「ファイト! 群馬国体」が開催される。

冬季群馬国体のキャッチフレーズは明日へ!未来へ! ファイト!! 群馬国体。 

27日の午前10時30分から行われる開会式に招待されたので、朝の9時前に行ってみました。 
 
ファイト! 群馬国体」の開会式場は前橋市関根町の群馬県総合スポーツセンター・ぐんまアリーナ(ここクリック)。  
坂東太郎で名高い清流・利根川近くの会場なので、冬の川風が厳しかろうとポケットに使い捨てカイロを忍ばせて・・・。 ところが案に相違してこの日も暖冬の一日でした。

ぐんまアリーナに到着したのが早かったので、会場はガラガラ状態。
暇つぶしに警備員や私服警官がウロウロしている開会式会場内を散歩しました。

ファイト!群馬国体」のシンボルマークはダルマさんです。
ダルマの生産量が日本一なのでシンボルに採用したとか・・・。
 
会場内には各団体の大きな旗がいっぱい・・・・国旗の右は群馬県旗、左は国体旗、下段中央の紫地に白旗は前橋市、右は高崎市、一番右は渋川市の旗です。  (三市は群馬国体のアイススケート開催都市。)

ぐんまアリーナの内部は本当に驚くほどの広さです。

開会式のイベントに使い大小の太鼓が中央に置かれて準備OK!
中央の白い囲みの席が皇族席でツトムの席はその直ぐ横でした。

開会式の音楽は吹奏楽には中之条町中学校渋川青翠高校県警察音楽隊
合唱隊前橋女子高校前橋空っ風合唱団渋川混声合唱団合唱団すいせい」・クール ド アマトゥールで総勢250名。

開会式前の歓迎式では、群馬県歌をはじめ尾瀬の名曲「夏の思い出」など群馬にまつわる数々の曲を奏でていました。 

午前10時頃から開会式歓迎イベントが始まり、最初は和太鼓の競演です。
前橋華龍太鼓振興会群馬町和太鼓会育英短大各太鼓会ダンス部など・・・。
 
華龍太鼓八木節をバチさばきも鮮やかに、元気いっぱいに叩いて踊っていました。

マーチングバンド(91名)は東京農大第二高校の華麗なパーフォーマンス!

指揮者のタクトで一糸乱れぬ演奏・演技は見事の一言です。

 
カラフルな旗を使って呼吸の合った宙を舞うような演技。

この旗のパーフォーマンスをカラーガード演技って云うらしいです。 
東京農大第二高校の皆さんお疲れ様でした、想い出に残る名演技でした、大変素晴しかったですよ。

開会式典の前の歓迎式も滞り無く無事終了。

午前10時30分過ぎから開式通告で開会式の本番となります。

次回は冬季群馬国体の開会式です。

2007 01 30(火)記。    前橋市   最高気温12℃  寒中なのに・・・。