<金沢の山ちゃん>から<山代温泉>のフォト便りがありました。
*千三百年以上前の神亀二年(725年)に行基という名の高僧が霊峰白山へ修行に向かう途中、一匹の烏が羽の傷を癒している水たまりを見つけたのが、山代温泉として今に受け継がれている。
古事記や日本書紀にも登場する伝説の三本足の霊長「ヤタガラス」も山代温泉の伝説として伝わっている。
最近では「古総湯:が復元され、明治期当時の入浴体験が再現されている。
(シャンプー、石鹸使用不可。カラン、シャワー設備がない)
*山代温泉鎮守として、温泉街の中心部に服部(はとり)神社がある。
弥生中期の遺跡から木製織機が出土され、古くから機織り、裁縫が盛んだったことから機織りの祖神「天羽槌雄神(あめのはづちのかみ)」をお祀りしたものと思われます。
一向一揆で消失後、明治になってから「菊理媛神(くくりひめかみ)」と合祀され、本殿の屋根を見ると「千木(ちぎ)」は外削、「鰹木(かつおぎ)」は四本(偶数)と男神と女神を祀ってあると覗われる。
<服部神社の境内>
<一向一揆太鼓>
山代の古総湯は昨年の10月3日に開業したそうだ。浴室の窓にはステンドグラス、壁や床には当時使用されていた九谷焼のタイル、建物は総ヒノキ造りという和洋折衷の構造になってる。
古来親しまれた<加賀温泉郷>もこのところの観光客低迷で、各地でこういった<総湯>の建築が相次いでいるという。北陸新幹線の開業を控え、各温泉郷の思惑が交錯する。
<山中温泉>
<片山津温泉>
<粟津温泉>
*千三百年以上前の神亀二年(725年)に行基という名の高僧が霊峰白山へ修行に向かう途中、一匹の烏が羽の傷を癒している水たまりを見つけたのが、山代温泉として今に受け継がれている。
古事記や日本書紀にも登場する伝説の三本足の霊長「ヤタガラス」も山代温泉の伝説として伝わっている。
最近では「古総湯:が復元され、明治期当時の入浴体験が再現されている。
(シャンプー、石鹸使用不可。カラン、シャワー設備がない)
*山代温泉鎮守として、温泉街の中心部に服部(はとり)神社がある。
弥生中期の遺跡から木製織機が出土され、古くから機織り、裁縫が盛んだったことから機織りの祖神「天羽槌雄神(あめのはづちのかみ)」をお祀りしたものと思われます。
一向一揆で消失後、明治になってから「菊理媛神(くくりひめかみ)」と合祀され、本殿の屋根を見ると「千木(ちぎ)」は外削、「鰹木(かつおぎ)」は四本(偶数)と男神と女神を祀ってあると覗われる。
<服部神社の境内>
<一向一揆太鼓>
山代の古総湯は昨年の10月3日に開業したそうだ。浴室の窓にはステンドグラス、壁や床には当時使用されていた九谷焼のタイル、建物は総ヒノキ造りという和洋折衷の構造になってる。
古来親しまれた<加賀温泉郷>もこのところの観光客低迷で、各地でこういった<総湯>の建築が相次いでいるという。北陸新幹線の開業を控え、各温泉郷の思惑が交錯する。
<山中温泉>
<片山津温泉>
<粟津温泉>