昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(74)文明の進化路線に逆らえるのか(11)

2011-06-15 06:12:29 | エッセイ
「イタリアもドイツに続いて脱原発」
 
 原発の再開の是非をを問うイタリアの国民投票は原発反対派が9割を超えて圧勝した。
 イタリアはチェルノブイリ原発事故後に、国内の4か所の原発をすべて閉鎖、電力の約15%を輸入に依存している。

 奇しくも独・伊と第二次世界大戦敗戦国が、現行の<文明進化路線>に逆らうことになった。

 <核反応>は本来宇宙に存在する地球をはじめとする恒星内で燃えさかる炎であって、中世的な観点からすれば、人類は<原子力>という悪魔を召喚してしまったのだ。
 しかし、技術革新により次々と利便な生活を求めて進化してきた西洋文明は、<悪魔的エネルギー>さえ克服できると見ている。
 それが依然として世界の主流である。

 浜岡原発停止を決めた菅政権、あるいはその後継政権に導かれる日本は<原発依存>脱却を決断できないとしても、脱却に向けて舵を切らざるを得ないだろう。
 となると、<文明進化路線>を継続する<西洋文明>へ仲間入りする挑戦に前回失敗した日・独・伊三国のそろい踏みとなる。

 わが国にとっても貴重なチャレンジの機会ではあるが、なにしろ<リスクはあってもそれを克服して文明の利便性を求め前へ前へと進む>のが人類の<本性>である。
 いったん手に入れた<魅惑的なエネルギー・原子力>を人類は捨て去ることができるのだろうか。それは人類にとって至難なことであることを歴史が証明している。

 はたしてその<本性>に抗する力が見つけられるであろうか?。
 

三鷹通信(40)貴方の知らない中国

2011-06-13 05:29:36 | 三鷹通信
 
 昨夜開かれた大学の地元同窓会総会の講演は上海生まれ、上海育ちの中国人学者童適平氏の「貴方の知らない中国」と題するものだった。

 13億という世界最大の人口を抱える、世界最古の文明発祥の国でもある中国。
 卑弥呼、安倍仲麻呂の昔から日本は政治的にも文化的にも多大な影響を受けてきた。
 近代に入ってからは英国をはじめ列強から蹂躙され、日本もそれに加担したという逆境の歴史も有する中国。太平洋戦争の敗戦からいち早く復興した日本にくらべ、毛沢東の大革命から小平の改革解放路線を経て、遅ればせながら今年は日本を抜いて世界第2の経済大国に踊りだし、いずれは米国も抜かんかという勢いを示している中国。
 最近では尖閣問題や南中国海域での覇権的な活動も目立つ中国。
 
 文革の動乱期に若い時代を上海で過ごし、超一流大学復旦大学経済学部出身、同大学教授を経て現在は明治大特任学教授である童適平氏の講演は、題名からして、・・・表面的には大躍進している中国のドロドロした内実が語られるのでは・・・と期待したが、実際は学問的な分析に基づく論理的な内容で、それなりに迫力があり、現在そして将来の中国を見通す意味でたいへん有意義な講演だった。

 氏は中国の躍進の基になったものを「毛沢東のふたつのプレゼント」という魅惑的な言葉を使って表現されている。
 人口年齢ピラミッド図を使って説明されたが、一つはこの躍進の50年間ずっと経済を支え続けた若年労働層である。 
   
 改革開放政策が始まったころは~20才までが最多を占めたピラミッド図が、2000年には20~49才がピーク、今は30~59才が最多という絶頂期を迎えている。


 もう一つは皮肉なことであるが、<貧困>というバネだったと分析されている。
 この躍進期、統計をみると消費もGDPとともに常に伸び続けているのだが、消費の伸びはGDPを常に下回っている。
 大半の中国国民の経済姿勢は、先ず働き、消費は二の次でむしろ貯蓄に回している。
 さらに昨今ではこれを投資に振り向けている。そして作り過ぎたものは輸出にという図式である。

 北京オリンピックがあり上海万博があって、日本のようにバブルが弾けるのではという推測もあったが、現在その兆候はない。人口の50%も占めるという貧困層農民が依然として存在しており、毎年2000万人が都市部に流入して旺盛な住宅需要があり、年間GDPの80%の450兆円もの貯蓄がそれを支えている。

 しかし、一方では同じ根っこから種々の問題が顕在化している。
 都市部では猫も杓子も大学へと77%も入学するが、卒業しても就職ができない。  
 公式には20%と言われているが、実際には半数の人が就職できない。日本どころではない。
 また貧富の差が開く一方である。25年間で富裕層は40倍に所得が伸びたが、低所得層では11倍にすぎない。

 生産人口もピラミッド図で見るように、2013年までは問題ないが、さらに15年経つと若い層が1億人も減少する。つまり人口のボーナスを使い果たすことになる。
 また、人口爆発を防ぐために採られた<一人っ子政策>がひずみを生んでいる。
 <月光族>なんて言われて生活態度が変わってきた。
 月々の収入は使い切ってしまう。日本の秋葉原で家電を買い、化粧品は中国製はダメ、資生堂でなければ、そして<百万負翁>と呼ばれる、銀行ローンで車や住宅を買う若者。

 農家から都市へ出稼ぎにきたが仕送りもできない。大学を出ても就職ができないので田舎にもどりたいが戸籍の問題がからんでそれもならない。
 農業従事者が人口の半分も占めるのに、中国は農産物を輸入している。
 大規模農業も法的なあしかせがあって難しい。農村部と都市部の格差はますます開く。

 また<一人っ子政策>を免除されている少数民族は増加しており、現在8%を占めて中国政府には頭の痛い問題となっている。
 原発の問題が起きて、これから不足している電力をいかにするか、経済的にもどう対応するか・・・。


 他にもいろいろ興味深いお話が具体的にあったが、聴き逃した部分もあり、聞き間違いもあるかと思う。気が付いた点はご指摘いただければ幸いです。
 いずれにしても膨大な人口を抱えるメリットもあるが、彼らを食べさせていくために資源ひとつとっても内輪だけでは間に合わず外へと求めることで国際的にもトラブルが増えることが予想される。そんな中国の動向を興味深く見守っていきたい。
  

 
 
 

エッセイ(73)菅首相退陣のめど

2011-06-05 06:18:55 | エッセイ

「退陣夏めどの意向、首相閣僚に名言」
 鳩山氏から<復興基本法成立>と<二次補正予算編成>のめどが立ったら辞任することで引導を渡されていた菅首相は>”
 ”めどについて時期を定めたものではない、震災のめどがつく来年早々あたりをめどとしている”
旨の発言をし、当の鳩山氏からは「ウソつき、ペテン師」と謗られ、身内の防災相からもからも「6月いっぱいというのは私の頭の中にある」などという発言が出る始末で、さすが往生際の悪い、潔くない菅首相もついに<めど>前倒しせざるをえなくなったようだ。



 「首相に居座る気持ちはないと確信している」
 と枝野官房長官。
 「復興にめどをつけて身をひくことが総理のお考えだ」と岡田幹事長。
 「この夏ということになるのではないか」と安住国会対策委員長は述べた。こうした発言内容は菅首相も容認しているという。問題はこの線で野党の理解が得られるかである。

 菅氏が野党の闘士として体制側に恐れられていたころ、「菅君ら市民派は国家国民を考えない根無し草だ」「菅君はポピュリストの大将、はっきりいえば大衆迎合」と体制側の中曽根康弘氏や宮沢喜一氏らに嫌われていた。
 その菅氏が体制内の反乱者小沢一郎氏と組んで大衆に迎合する政策を掲げ、体制内に身をおくことになった。
 しかし、今まで政権を攻撃するだけでよかったのに、政権を守る立場になって、大衆に迎合してばかりはいられない現実に直面して戸惑っている。ましてや大衆迎合を掲げ続ける体制内反乱者小沢氏の処理に誤った結果が今日の混乱に至っているとみる。
 つまり政権を引っ張るリーダーとしての哲学が彼に欠けていた。

 ここで福地桜痴が「渾身これ政治家」と評し明治国家の基礎をつくった大久保利通のことを思い出す。

 <沈黙>と<慎重>が大久保の自己表現であり、<冷血>をもって、情熱のすべてを国家の建設に努めた。あくまでも冷厳、あるいは」冷酷なほどに現実を見続けた人物で、太政官のだれもがそういう大久保に畏怖しきっていた、と司馬遼太郎は評している。

 菅氏と重ね合わせてみると興味深い。
 

エッセイ(72)映画<奇跡>鑑賞

2011-06-04 05:17:06 | エッセイ
 久しぶりに映画を見に行った。いつものように家内に引きずられて・・・。
 <奇跡>という題名だが、内容については一切知らないまま。
「開場一時間前に行くなんて早すぎるじゃん」
「そんなことないの! すごい行列なんだから」
「だって、招待試写会なんだろう? 来る人は限られてるだろう・・・」
「でも、いつもそうなんだから」
 家内はいろいろな応募にせっせと精出し、時々無料イベントをゲットする。
 そしてそのおこぼれにあずかるのがぼくだ。

 招待状によれば、今回の映画は是枝裕和監督の意欲作だという。
 以前にも彼の作品<誰も知らない>をやはり招待試写会で見て感動した記憶がある。
 主演の柳樂優弥君がカンヌ国際映画祭で主演男優賞を取ったやつだ。
 少し見る気が出てきた。

 開場45分前に有楽町のビッグカメラのビルに到着し、7階のよみうりホールにエレベーターで向かう。ところが「こちらで並んでください」と5階で待ち構えていた係りに降ろされた。もうすでに7階から5階まで三列の行列ができている。

 7階まで行った人たちも次から次へと降りてきて行列に並んでいる。
 中には「あら遅れてゴメン」とか仲間に声をかけながら割り込んでくるのもかなりいる。「まだ、30分もあるから座ってましょう」と家内は前にいた80歳ぐらのおばあさんと通路にあったベンチにちゃっかり座っている。最初静かだった階段が、おしゃべりでわんわんと反響するぐらいになってみんなリラックスしてきた。
 さすが主催者も気を利かして10分目に開場した。
 いつの間にか見知らぬやつが行列に割り込んでいる。日本人は礼儀正しいなんて言われているが、ずるっこいのもいる。

「ほぼ満員になったね。だけど前のほうだったら、開演ぎりぎりでも座れるぜ。招待客だからそんなにオーバーに券をだしてるわけがない」
 ぼくは皮肉っぽくつぶやいていた。

 会場でもらったパンフレットを見ると「九州新幹線の一番列車がすれ違うとき、奇跡が起きる」そんなうたい文句に続き豪華なキャスティング。
 これは面白そうだ。期待が高まる。


 次から次へと画面が移り変わる。
「なんでこんな火山のあるところに街を作るんだ」床に積もった桜島の灰をを拭きながら口を尖らす前田航基くん。「こんな高台に学校を作るなんて信じられない」と坂を歩きながらぼやくお友達。「大変よね」と言いながら自転車を押してくるスマートな長沢まさみ先生を見ると「長沢先生に乗り~」と機嫌をなおす。
 両親が離婚したため福岡にいる弟、旺志郎くんに「お父さん(オダギリジョー)が浮気しないように見張ってろ」と鹿児島にいる航基くんが携帯電話してる。
「新幹線開通を機会に街を活性化せんといかん」航基くんと一緒に住んでいるおじいさん(橋爪功)は<かるかん>づくりに励む。
 できたものを仲間に披露。「新幹線の<さくら>にちなんでピンクにしたらどうや」と仲間から言われるが「かるかんは白ときまったもんや」と職人じいちゃんは頑として妥協しない。「味もなんとなくぼんやりしてるな」とけちがつくと「しっかりあじわってみろ、味わいがわかるやろ」と言い張る。

 さて、自動販売機の下をさぐったり、おこずかいをためたり、水泳教室の月謝を回したり、手持ちのおもちゃを処分したりして旅費をねん出し、仮病を使って学校を早退して新幹線のすれ違う場所に出かけた子どもたち。
 奇跡は起きたのだろうか。
 
 帰ってきた航基くんにおじいちゃんの橋爪功が聞く「かるかんを旺志郎にくわせたか?」 実は弟は「なんやぼんやりした味やな」と感想を述べていたのだが、航基くんはおじちゃんに言う。「まだ、大人の味がわかってないみたいやな」と。

 詩人の谷川俊太郎がパンフレットにコメントを載せている。
「大人は毎日を<生活>しているが、子どもは今を<生きている>。それが奇跡なのだと信じる力を、私たちはもっているだろうか」 この言葉にこの映画の感想のすべてが凝縮している。 
 

エッセイ(71)リーダーとは

2011-06-03 06:35:27 | エッセイ
「菅さん、ああいうの弱いですねぇ。攻めるのは強いが、守りは弱い(笑い)。これからの課題ですよ」
 これは菅さんが女性問題を起こした時叱った伸子夫人の言葉である。

 野党のみならず、身内の小沢さんからも責め立てられて守り一方となり、瀕死の身が鳩山さんの<永田町論理>のおかげで息を吹き返したかに見えたが、その鳩山さんが激怒しているとかで、またまた怪しくなってきた。

「お遍路の約束も残っているが、大震災や原発事故に一定のメドがつくまで責任を果たさせていただきたい」お遍路の約束?なんじゃそりゃ! 
 国難にあたっての決意を述べているのに、私的な約束かい!
  
 だいたい彼には<自分で責任をとる>という意識が薄い。しかも言葉が軽くて、喋り過ぎ。
国として全力を挙げますので、それが一番だと思っています。本当に大変でしょうが」 
 避難地へ赴いて述べた言葉だ。そして「もう帰るんですか、もう帰られるんですか」との避難民の罵声を浴びた。
 そしたら次は5時間もかけて釈明して廻ったという。

 国として? 私が!と言わんかい! 
 リーダーとしての意識に欠けている。
 竜巻被災地を訪れたオバマ大統領は
「こんな惨状は見たことがない。私が全責任をもって地域の復興のためにできる限りの支援をお約束する」と力強く、簡潔に述べた。

 リーダーが全部自分でできるわけがない。部下を信頼して任せ、その責任は自分が取るという姿勢でなければ務まならない。

 ところが彼は中途半端な原子力に関する専門知識を振りかざして、プロの実務家を怒鳴り散らすらしい。
 それじゃ<人徳がない>と言われてもしょうがない。

 さらに仲介の手を差し伸べてくれた鳩山さんに、退陣の時期について「ウソを言ってはいけない」なんて言われているらしい。
「民主党を壊してはならない。政権を自民党に戻してはならない」と約束した菅首相の言葉にまたいちゃもんがついた。
 
 これじゃあ、残念ながら<民主党内の手打ち>も持ちそうもない。 

エッセイ(70)文明の進化路線に逆らえるのか(10)

2011-06-01 05:23:29 | エッセイ
 <脱原発>はドイツにとって大変チャレンジングなテーマだとメルケル首相は言った。
 たしかにこれは言葉以上に大変なことだ。チェルノブイリ事故を体験したウクライナ が象徴しているように、今や人類は原発を手放せないのが現実なのだ。

 言い換えればドイツは人類の<文明進化路線>に逆らおうとしているのだ。
 
 「文明の始まりは農耕技術の獲得だった。そして自然を収奪し続けた。人間はたびたびその有限性に突き当たってうろたえたが、それを文明の技術によって切り抜けることができた。固定した畑地に、焼畑、そして肥料をほどこし、化学肥料を作り出した。
 繊維が足りなくなれば、合成繊維を、皮革が足りなくなれば合成皮革を、木材や金属に代えてプラスチックを。我々の周囲をちょっとながめただけで、人類の生活がもはや自然界の利用だけではたちゆかなくなっていることがすぐにわかる。合成化学の進歩、これこそ自然の有限性を突き破る人間の知恵だと思われた。しかし、ここに大きな錯覚がある。
 自然の有限性に気づき、たびたび自然の収奪に反省を加えた人間も、水と空気、こればかりはその有限性を思ってもみず、収奪を重ねつづけてきた。が、ここにきて、大気汚染、水汚染という形で、その有限性の壁に突き当たって人類は愕然としている」
(立花 隆<文明の逆説>より)

 同じことが<原子力の開発>にも当てはまる。リスクはあっても人類の文明にまちがいなく利すると信じているフランスやアメリカをはじめ、大半の国は<原発の活用>に人類の将来を託している。
 その中でのドイツの<脱原発>宣言である。これは人類の<文明進化路線>に対する壮大な挑戦でなくてなんだろう。


「ドイツ語には<恐怖><戦慄>にあたる<グラウエン>という言葉がある。たしかに恐怖なり戦慄を意味する単語だが、しかし何が怖ろしいというものでもないのである。何におののくというわけでもない。もっと本来的な、存在そのものに根ざしたところの恐怖とおののきの場合に使われる。・・・家にもどる途中の学生が、不意に頬をかすめる冷気を感じた。・・・ふと足をとめた。そこには誰もいない。何があるわけでもない。にもかかわらず、どうしてか足がすくむ。これを称してドイツ人は<グラウエン>という。ドイツ語特有のこの言葉は、ドイツ、ドイツ人、ドイツ文化というときに人が感じる重さ、奥深さ、強さとまじり合った不気味さを、一言であらわすものではあるまいか。
 いわゆるゲルマンに固有の魂の状態をいう言葉であって、明晰なラテン精神の知らないところのものだろう。イギリス流の芝居がかった<ホラー>とも、はっきりちがう。ドイツ人が内に秘めている影の世界である」

「五感で感じとれる具象の世界よりも、第六感で感じとる抽象の世界を、より得意とする。ドイツ・ロマン派が典型だが、神秘家さながら、繰り返し、いのちのない物体にいのちを感じ、ありきたりの事物に魂をかいま見てきた」
とドイツ文学者、池内 紀氏は言っている。
 
 今まで自然を牛耳ってきた人類の文明を仕切ってきた西洋文明の中では、他の国とは異質の魂をドイツ人に感じる。
 その魂が今回の宣言に向かわせたのだろうか。 

 40年も前になるが、ドイツの民宿に泊まってそこのおやじと話したことがある。
 たいして喋れたわけではないが、他の外人とは異なる親近感の共通項は<自然に対する畏敬の念>だったのかもしれない。