昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(109)経営・ビジネス(11)

2010-12-26 06:10:44 | 昭和のマロの考察
 <閑話休題> <金持ち父さん 貧乏父さん>④

 良いか悪いかは別にしても現在の経済は<お金>を中心に回っていることは事実だ。

 <金持ち>は、学校で学ばないお金の力を習得していたから頭のいいだけの連中を出し抜くことができたとロバート・キヨサキ氏は言う。

「金持ちから取り立てる」という名目で税が法制化されると、現金が政府のふところに流れ始めた。はじめはみんな満足していた。
 だが実際は、税金は政府で働く人たちと金持ちの手に渡っていた。


 金持ちにも?

つまり、政府の役人のもとには給料や年金という形で渡り、金持ちのもとには、彼らが所有する会社に政府が仕事を発注するという形で渡っていた。 
 こうして政府は巨大な現金の受け皿となっていった。それはそれでいいのだが、問題はそのお金の毎年の運用の仕方だった。一度割り当てられたお金を再利用するというシステムはここにはない。つまり「お金をあまらせない」というのが政府の方針なのだ。


 そういえば年度末の道路工事という実態をよく目にする。


あなたが政府の官僚で、割り当てられた予算を使い切らなかったとすると、次の年度にはその分予算が削減されるおそれがある。それにあなた自身も決して有能とは見てもらえないだろう。
 ビジネスの世界ではその反対に、あまりを出せば報酬を与えられ、有能と評価される。


 こうして政府の支出が雪だるま式に増え、「金持ちから税金を取る」という考え方が、もっと収入の低い層にまで広げられていったのだ。

一方、本当の資本家たちは、お金についての知識を大いに利用して、さっさと逃げ道を見つけた。
 そして自分たちを守ってくれる会社の陰に身を隠した。会社は金持ちを守るものなのだ。・・・
 課税の対象が広げられたときも金持ちの財産は守られた。このときも前の時代と同様、会社が隠れみのとなった。


 会社が隠れみのか・・・なるほど!

おかげで会社を利用する方法がさらに普及した。というのも、所得税法が成立し、その蓋を開けてみると、会社の所得税率が個人の所得税率よりも低かったのだ。さらに、会社の場合、支出の一部は経費として、税を払う前の収入から差し引くことができた。
<持てる者>と<持たざる者>の間のこの戦いは何百年も前から続いている。これは「金持ちから取り立てろ」と叫ぶ集団と金持ちの戦いだ。なにか新しい法律ができるたびに行われるこの戦いは、決して終わることはない。
 問題は、いつも戦いに負けるのが知識を持たない人たちであることだ。


 いかにきれいごとを言っても、この<お金>に振り回される現経済の実態を認識して対応する能力を身につけなければ、この資本主義の世の中では敗者になってしまうということか。

 ─続く─


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