昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(108)経営・ビジネス(10)

2010-12-25 07:32:58 | 昭和のマロの考察
 <借金頼みの過去最大92兆円予算>
 菅内閣は昨日、来年度政府予算案を閣議決定した。
 社会保障関係費が28兆円と過去最大規模になり、これも今後年々1兆円増加することは必至である。補いは年明けに方向性が示されるという消費税増税ということになるのだろう。

 税金に関してロバート・キヨサキ氏は興味深いことを言っている。

税金の歴史を学ぶと興味深い側面が見えてくる。税の法制化が可能だったのは、金持ちからお金を取ってほかの人にそれを分け与えるというロビンフッド的な経済論を大衆が信じていたからだ。

 そうでなかったら決して大衆の支持は得られず、法制化されることもなかっただろう。問題は、ひとたびお金の味を味わった政府の食欲がとどまることを知らず、いくらももたないうちに中流階級からも税を取りたてなければならなくなり。そのあと、なし崩し的に次々と課税対象が広がっていったことだ。


 ところが儲けた金を取り立てられるはずの金持ちは巧みに逃げ道を探し出す。
 説明を単純化すると、金持ちと中流以下の人間を分け、金持ちをはるかに有利な地位に立たせているのは、会社という法的な組織が持つ力についての知識だというのだ。

社会主義者と資本主義者の二人の父からいろいろ教えられていた私は、お金の運用に関しては、資本主義的な考え方のほうが一理あるということに早いうちに気づき始めた。
 私には、社会主義者たちはお金に関する教育が不足しているために、結局は自分で自分の首をしめているように思えた。
「金持ちから取り立てろ」とがなりたてる連中がどんな手段を使ってこようと、金持ちはいつもそれを出し抜く策を見つける。
 結局、中流家庭からも税金を搾り取ることになった理由はここにある。
 金持ちが頭のいいだけの連中を出し抜いたのだ。金持ちにそんなことができた理由はただ一つ、彼らは学校では学ばないお金の力を習得していたからだ。


 我々が何よりも大切にする<生活>を左右するのは、原始的な<物を生産する>ということよりも、現在では<お金>にかかっているということなのだろうか。

 次回はお金持ちが高い教育を受けた連中をどう出し抜いたかについて。

 ─続く─
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