昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(89)女と男(20)

2010-12-02 05:21:40 | 昭和のマロの考察
 <独裁者、毛沢東をめぐる女と男>③

 <毛沢東の私生活>に寄せて、コロンビア大学教授、アンドリュー・ネイサンが書いている。

 史上、毛沢東ほど数多くの人々のうえに、それもあれほど長期にわたって権力をふるった指導者はほかにいないし、また自国民にあれだけの破局をもたらした指導者は皆無である。毛沢東のあくなき権力欲と裏切られることへの恐怖は、足もとの<身内>や国家を混乱の坩堝に陥れつづけた。
 毛沢東のビジョンと手練手管は中国を<大躍進>とその戦慄すべき結末である大飢饉や<文化大革命>に突入させ、数千万人の死者を出したのだった。


 現、北朝鮮の首領金正日があたかも同じ道をなぞっているかのようだ。独裁者に依存する政治体制の恐ろしいところである。
 
 教授は続ける。
 皇帝権力というのは、究極の贅でもある簡素に行きつく。
 毛沢東は大半の時間をベッドか、プール・サイドの寝椅子に横たわるかしてすごし、・・・農村出の娘たちとベッドを共にした。・・・
 毛主席の名において男女間の純潔主義が唱導されながら、彼の性生活は宮廷の中心プロジェクトだった。・・・
 このような絶対権力が毛沢東の精神的、肉体的な健康、その人間関係、さらにはこれを通じて自国および世界に影響を及ぼしたのだった。

 結局のところ、中国でもっとも愛された人物には友人がひとりもいなかったのである。
 長い老衰期の間じゅう、世話係たちの主たる強迫観念は、主席の死を自分たちの責任にされないようにすることであった。
 もっともお気に入りの女性、張玉鳳だけが毛と口論することで彼を人間並みに扱う人間らしさがあり、彼を怒らせて死にいたらしめるという非難を恐れなかった。
 

 しかし毛の衰弱が進むにつれて、張玉鳳は女として別の行き方を求めつつも、宮廷内では不可欠の存在となっていった。
 毛沢東のろれつがまわらない言葉を解読できるのは彼女だけだったからである。

 
 ─続く─


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