昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(313)イドラとメディアの葛藤

2014-11-03 04:58:02 | なるほどと思う日々
 昨日の日経の風見鶏は興味深かった。
 
 哲学者ベーコンに言わすと、そもそも人間はイドラ(幻想・虚想・偏見などを意味する)に惑わされている。
 今回の朝日新聞問題も<イドラとメディアの葛藤>だと言うのだ。

 ここに水が半分入ったコップがある。
 
 ある人は「水は半分しかない」(否定型)と言い、
 別な人は「水は半分もある」(肯定型)と言う。

 あるメディアがある問題をめぐり否定型報道を続けたとする。肯定型に共感する読者は離れ、否定型を好む読者だけと共有する空間ができる。
 政治学者丸山真男のいう<タコツボ>である。
 
 外部との交流はない。
 外からはイドラを共有する空間に見える。

 朝日新聞は8月5日付け朝刊で慰安婦問題をめぐる過去の記事の取り消しを伝えた。
 日韓関係に影響したとされる記事だが、読者だけに向けた、タコツボ内部での処理ともとれた。
 木村社長の9月11日の会見は、タコツボを出て自社を批判の対象にした点で日本新聞史に残る。
 
 相互批判はメディアを鍛える。タコツボに入ったままでは権力に対しても強くなれない。


 だいたいマスメディアなんて言っているが、大メディアは<マス>の意見、あるいは思いを汲み上げていたというより、<マス>を作っていたという意識が強すぎたのでは。
 その点で、朝日新聞問題は今回自らの墓穴を掘っただけでなく、マスメディアの威力を削ぐという歴史的な事件だった。
 捏造で世論を形成しようなどという魂胆が見え透いてしまったのだから。
 
 いずれにせよ、メディアなんてこれ見よがしのいい加減なもの。
 1紙だけにこだわらず、いろいろとチェックする能力が読者にないと、簡単に丸め込まれちゃうぞ!

 ・・・雨の中でもたくさんの人!・・・
 
 
 
    外人は空いていておいしそうなラーメンを選ぶ。




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