昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(90)女と男(21)

2010-12-03 06:05:11 | 昭和のマロの考察
 <独裁者、毛沢東をめぐる女と男>④

 ふたり(毛沢東と張玉鳳)の仲は時として険悪なものになった。毛沢東がほかに多くの女を引きこんでいたからである。
 いまわの際でも、かつて毛とベッドをともにしたふたりの若い踊り子が非公式に臨時の看護婦として勤務し、毛のからだをスポンジでふいたり、食事を口もとにはこんだりしていた。
 しかし毛との関係は張玉鳳が一番長く、その間に品性も粗野になって──酒におぼれていったにもかかわらず──なんとか毛の信頼だけはつなぎとめていた。
 1974年、長きにわたって主席の機密秘書を務めた徐業夫が肺ガンで入院すると、毛沢東が日々、目を通して所見をつけくわえるおびただしい文書類の受領、送達という責務を張玉鳳がひきつぎ、また毛が視力をうしなったあとも彼女が文書類を読んで聞かせた。 同年、張玉鳳は党中央弁公庁主任の汪東興から正式に主席付きの機密秘書に任命されたのだった。


 独裁者の急所をつかんだ彼女は、国を運営する幹部といえども無視できない存在となった。

 主治医として私はいつでも自由に主席と面会を許されたが、私をのぞく人たちは張玉鳳を通さなければならなかった。
 毛夫人の江青はじめ政治局のお歴々でさえ張を介さなければならなかったし、彼女は相手が党の最高首脳だろうと尊大にとりあつかった。
 1976年6月某日、華国鋒首相が毛主席を訪ねたとき、張は昼寝をとっていて、勤務中の服務員は彼女を起こすのをおそれた。張が起きだしてこないので、毛につぐ党内第二位の実力者は二時間後、とうとう主席に面会することなくひきあげていった。


 国を運営するシステムがたかがひとりの女に左右される。そこまで行くか! だれも異常な事態だと思わなかったのか! なんとも人間的<情>の世界ではないか!

 同年の初頭、小平は病にたおれたうえ政治的攻撃にさらされ、家族からひきはなされていた。
 の末娘、ようは父の世話をしたいので許可されたいという嘆願書を主席あてにだしたが、張はそれを主席に見せるかわりに親しくしている毛の甥・毛遠新にわたした。 毛遠新は、その嘆願書を小平の決定的な政敵である江青におくった。
 主席はついにその書簡を目にしなかったし、ようは父の面倒をみることもとうとう許されなかったのだ。

 (リチスイ<毛沢東の私生活>より)

 ─続く─


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